空渡りの魔法
風の精霊の協力を得られたことで、干渉魔法の練習が一気にやりやすくなった。
そのおかげだろう。ヒューティリアは魔力を完璧に調整し、早駆けの魔法を危うげなく使いこなしてみせた。
「早駆けの魔法はもう充分だろう。正直半月程度でここまで来るとは思わなかった」
『私の力添えも大きかっただろう?』
「そこは感謝している」
『そこは、なのか』
風の精霊が限定的な言い回しに突っ込みを入れたが、セレストは無視して話を続けた。
「風の精霊が力を貸してくれるのであれば、次に教えるのは空渡りの魔法がいいだろう」
「空渡りの魔法?」
ヒューティリアの疑問に、セレストは端的に「空を飛ぶ魔法だ」と説明した。
途端にヒューティリアは元々大きな瞳を更に大きく見開く。
「空を飛べるの!?」
「そういう魔法だからな。一度手本を見せてからお前にも空渡りの魔法をかけるから、感覚を覚えておくように」
そう言い置いて、セレストは風の精霊に呼びかけた。次いで地面を軽く蹴ると、ふわりと宙に浮き上がる。
ヒューティリアの背丈よりも高く浮き上がったその姿を、ヒューティリアは目を輝かせて見上げた。
「もっと高くまで飛べるの?」
「そうだな……どこまで上がれるか試したことはないが、王都の城壁くらいなら簡単に越えられるだろう。まぁ、もし越えようとしても警備兵に射落とされるが」
セレストはヒューティリアの疑問に答えながら地面に降り立ち、手を差し伸べた。
その行動の意図がわからず、ヒューティリアは差し出された手とセレストの顔を交互に見る。
「最初は慣れない感覚に恐怖を覚えるかも知れないが、落ちないようにこっちで気を配っておくから安心しろ」
そう言って改めて手を差し出され、ようやくその意図を察した瞬間、久々にヒューティリアの心臓が跳ね上がった。
思わず動きを止めてセレストを凝視していると、視線の先でセレストが目を瞬かせる。
「……補助なしでいいのなら、それでも構わないが」
全く反応を返さない弟子の思考をどのように読み取ったのか、セレストは手を引っ込めようとした。あっと思うのと同時に体が動き、その手を追いかける。
「補助、いる! 補助して欲しい!」
がっちりとセレストの手を捕まえて、必死に必要だと訴える。
するとセレストは不思議そうにヒューティリアを見返しながら「そうか」と頷いて、手を握り返した。
再び暴れだす心臓を深呼吸で落ち着かせようとしていると、そんなヒューティリアの様子になど気付きもしないセレストが空渡りの魔法を自分とヒューティリアにかけた。
早駆けの魔法のときと同じく、体が軽くなるような感覚。
「軽く地面を蹴ってみろ」
一心不乱に深呼吸を繰り返すヒューティリアに、セレストが指示を出す。その声をしっかりと拾い、ヒューティリアはまだ落ち着かない心臓に苦心しながらも頷いた。
意を決して、先ほどのセレストと同じように地面を軽く蹴る。すると、まるで体の重さなど消え去ってしまったかのようにふわりと体が浮き上がった。
「ひゃぁっ」
見えないクッションに押し上げられるような、何とも不思議な感覚。加えて、通常であれば地面に着地するはずの足が地につかない違和感に、おかしな声が出てしまった。
しかしすぐにセレストもヒューティリアに合わせて上がってきて、支えがいることを思い出させるように繋いだ手を握り直す。
「高いところは大丈夫そうか?」
世の中には、高所を苦手とする人間も存在する。
この魔法の欠点というべきなのかは微妙なところだが、高所を苦手とする魔法使いが空渡りの魔法を習得した場合……しかも、本人に高所が苦手だという自覚がなかった場合、宙に浮き上がった途端に恐慌状態に陥り、最悪の場合は地面に墜落する。
故に、この魔法を教えるときは必ず高所への耐性の有無を確認する必要があった。
その方法として、教える側の人間が教えを受ける側の人間の手をしっかりと取ってこの魔法を用い、耐性を見るのだが……。
セレストは大丈夫かと問いながらもヒューティリアの表情を見た瞬間、問題なさそうだと判断した。
最初は地面の上にいるときとの感覚の違いに戸惑っている様子だったが、早くも慣れたのだろう。すでに普段とは違う目線の高さと、普段とは違う形で目に映る景色を楽しんでいた。
「凄い、凄い! なにこれ、面白い!」
ヒューティリアが興奮気味にセレストを振り返った。その楽しげな様子にセレストもつられて笑みを浮かべる。
「その様子なら、空渡りの魔法の習得もすぐだな」
「うん! こんな魔法が使えるようになるなら、あたし頑張る!」
乗り気も乗り気。
ヒューティリアはやる気に満ちた様子で、繋がれているセレストの手を両手で掴んだ。
しかし。
「だが、ひとつ言っておく」
楽しそうにしているところに水を差すようで気が引けたが、セレストは笑みを収めた。
唐突に真剣な顔を向けられ、ヒューティリアは目を瞬かせる。
「この魔法は、風の精霊からの確実な協力が得られなければ危険極まりない魔法だ。お前は風の精霊の協力を得られるようになったが、もし、いつか誰かに干渉魔法を教えるようなことがあれば、確実に風の精霊の協力が得られるようになるまで空渡りの魔法を教えてはいけない」
予想外の言葉に、ヒューティリアは更に目を瞬かせた。
「あたしが、誰かに教える……」
遠い未来に弟子をとることなど考えたこともなかったヒューティリアは、無意識にセレストの言葉を反芻する。しかし思いの外、すんなりとその言葉はヒューティリアの中に落ちてきた。
いつかそんな日がくるかもしれないと、ひとつの可能性として意識する。
セレストの話は続く。
「師を持つ魔法使いだからといって必ずしも弟子を取らなければいけないというわけではないが、可能性はゼロではないだろう。俺のように、弟子を取るつもりなどなかったのに弟子を取って魔法を教える日が、お前にも来るかも知れない」
続けられた言葉に、ヒューティリアは息を呑んだ。
心臓が嫌な音を立てる。
(セレストは、弟子を取るつもりがなかった……。なら、一体どんな気持ちであたしを弟子にしてくれたんだろう)
恐る恐る師の顔を窺い見る。
視界に入ったセレストの表情は、いつも通り。何を考えているのか読み取れないものだった。
「──セレストは」
口から言葉が零れ出る。
「セレストは、弟子をとったことを後悔してる……?」
望まぬ答えが返されればつらいのは自分だとわかっているのに、言葉が出て行くのを止められない。
どうしても、セレストの気持ちを知りたいと思ってしまった。
不安で一杯になりながら答えを待っていると、セレストは眉間に皺を寄せて短く息を吐いた。
「似たような質問を、初日にもされた気がするが」
思いがけない言葉が返されてヒューティリアは首を捻る。
そんな質問をしただろうか? と。
「確かあのときお前は、自分に魔法を教えるのは嫌じゃないかと聞いてきたな。俺は、暫くこの家にいるつもりだからついでだと答えた」
淡々と語るセレストの声に耳を傾けていると、静かに見下ろしてくるセレストと目が合った。表情こそいつも通りではあるものの、向けられた真剣な眼差しに自然と背筋が伸びる。
一方セレストは、緊張しながら見上げてくるヒューティリアとしっかり目を合わせながら、はっきりと言い放った。
「今はもう、ついでという気持ちはない。俺はお前を一人前の魔法使いに育てる。そのつもりで魔法を教えてきたし、これからもそのつもりでいる」
揺らぎない言葉に、ヒューティリアは再び息を呑んだ。
自分はセレストの言葉を曲解してしまったのだと理解し、咄嗟に謝ろうと口を開きかけ──
唐突に。
上から押さえ込むように頭に手が置かれた。
不意を突かれ、何が起こったのかわからず目を白黒させていると、頭上からふっと笑う気配が降ってくる。
「俺の言い方が悪かった。お前が気にする必要はない。だが、俺がお前を一人前の魔法使いにするつもりでいるということは、覚えておいてくれ」
セレストはそう告げると、ヒューティリアの手を引いて地面へと降り立った。
続いてヒューティリアの意識を引き戻すべく、「さっそくだが」と切り出す。
「空渡りの魔法がどんなものかわかっただろうから、練習を始めようか。まずは地面から軽く足を浮かすところから始めて、徐々に高度を上げていく」
すでに魔法を教える姿勢になっているセレストに、ヒューティリアもハッとして思考を切り替える。
そして話に集中しようと、まっすぐセレストを見上げるのだった。




