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風の精霊

 ヒューティリアが早駆けの魔法の練習を始めて十日ほどが経過した。

 いまだ風の精霊はヒューティリアの呼びかけに応えてくれず、練習と言いながらも何ひとつ進展はない。


 しかしヒューティリアは諦めずに何度も何度も呼びかけた。

 森の精霊たちが言うには、風の精霊は最近よくこの森に現れているそうだ。ならば、呼びかけに応えてくれる可能性もあるはず。

 そう信じて今日も今日とて、ヒューティリアは必死に呼びかけていた。




 そんな弟子の様子を眺めていたセレストは、不意に空を見上げた。

 遠いながらも確かにそこに存在している気配が、セレストの視線に射抜かれて肩を揺らして忍び笑う。


「だから渡りの精霊は性格が悪いと言われるんだ」


 ぽつりと呟くと、その言葉を聞き咎めたのか上空の気配がゆっくりと降りてくる。

 地表に近付くにつれてヒューティリアにもその気配が感じ取れたようで、きょろきょろと周囲を見回していた。


『そんなことを言っているのは、お前くらいじゃないか?』


 ヒューティリアには聞こえないようにしているのか囁くような声で言われ、セレストは顔をしかめる。


「そう思いたいならご自由に」


 言外に自分以外にも同様のことを言っている者はいるのだと仄めかすと、上空から降りてきた存在……風の精霊が肩を竦めた。

 その向こうでは、ヒューティリアが首を傾げながら改めて精霊への呼びかけを行っている。


 諦めない。頑張る。

 自ら宣言したことを違えぬよう努力するヒューティリアの姿勢に、自然とセレストの方が風の精霊に対して不満を抱いてしまう。


「……何が気に入らないんだ」


『気に入らないわけじゃない。むしろ、あの子のことはとても気になっている。ヒューティリアという名前らしいな? それも、お前が名付けたのだとか』


 事情を知っているような口振り。

 セレストは眉間に皺を寄せ、目を細めた。


『髪色と瞳の色が絵本とやらのヒューティリアの姿と似ているから、という話だったが。本当に、それだけか?』


「……?」


 風の精霊が言いたいことがわからず、今度は怪訝な表情を返す。

 すると風の精霊は『そうか、偶然か』と、どこか残念そうに呟いてから、今も必死に呼びかけを行っているヒューティリアの方へと視線を向けた。


『お前の弟子に、私の力を貸して欲しいか?』


「できるなら。だが、気が向かないなら仕方がない」


 それが正直な気持ちだった。


 精霊や妖精は魔力を受け取りさえすればこちらの望みを叶えるべく力を貸してくれるが、魔力を受け取るかどうかは彼ら自身の判断に委ねられている。

 セレストがヒューティリアに早駆けの魔法をかけた際に力を貸してくれたのは目の前にいる風の精霊だが、弟子にも力を貸してやってくれとセレストが頼んでも意味がない。ヒューティリアの魔力を受け取り、力を貸すかどうかを決めるのは風の精霊自身だからだ。


 だからこそ、特定の地に根付く精霊や妖精たちとは彼らの好物を用いて良好な関係を築くのだ。

 地に根付く精霊であれば時間をかけて信頼関係を作り上げ、その信頼関係の下で力を貸して貰うことができる。

 そういった下地作りができない属性特化の精霊……渡りの精霊に力を借りることが難しいのは言うまでもなく。全ては彼らの気分次第なのだ。


『そうか。なら、もう少し様子を見させて貰おう。なかなか根性がある娘だし、素質もある。だが、お前のようにあまりにも簡単に干渉魔法が使えるようになっては、面白くないだろう?』


 片目を瞑ってみせた風の精霊は、ふわりと上空へと舞い戻っていった。

 その姿を見送りながら、セレストは小さくため息をつく。


(面白くない、か……。まぁ、あれが渡りの精霊だからな)


 呆れ半分、諦め半分。

 そんな感想を抱きながら、改めて弟子の方へと向き直る。


 いつもなら眉間に皺を寄せるのはセレストの役目なのだが、ここ最近はヒューティリアの方がよく眉間に皺を寄せている。

 弟子に変な癖がつく前に風の精霊が気まぐれを起こしてくれることを、心の中でそっと願った。






 そして、その願いは三日後に叶えられた。


「あっ!」


 ヒューティリアの目に喜びの色が浮かぶ。

 みるみる笑顔になったかと思ったら、唐突に駆け出した。かなりの速さで走り出したものの、すぐに転んでしまう。

 けれど勢い良く起き上がったヒューティリアは笑顔のまま、セレストを振り返った。


「ね、見た見た!? 今ね、風の精霊が応えてくれたの!」

「あぁ」


 喜びに満ち溢れているヒューティリアの後ろでは、風の精霊が笑みを浮かべながら師弟の様子を眺めている。

 セレストは軽く片眉を上げてから、弟子の方へと視線を戻した。


「よくやった。だが、魔力の調整がうまくできていない」

「うん」


 誉めもするが、今は課題の方が重要だ。

 なので転んだ原因を指摘すれば、すでにヒューティリア自身も気付いていたのだろう。笑顔を収め、真剣な表情を浮かべた。


「他の魔法とは調整の仕方が少し違うみたい。基本は同じっぽいけど、借りられる力が思ったよりも大きい気がする」


 魔力の調整がうまくできなかった理由にまで思い至っているヒューティリアの言葉に、風の精霊が驚きの表情を浮かべる。

 その顔を見て、セレストは不思議と胸がすくような気分になった。


 無意識に緩む口許に気付かぬまま、地面に座り込んでいるヒューティリアに手を差し伸べる。

 ヒューティリアは差し出された手を借りて立ち上がり、服についた汚れを叩いて落とすとセレストの顔を振り仰いだ。


「でも、何となく感覚はわかったよ! あと何回か力を貸して貰えれば、コツが掴めると思う」


 ぐっと握りこぶしをつくるヒューティリアに、セレストは苦笑を向けた。そしてその頭に手を乗せ、軽く撫でる。


「そうか。お前がそう言うなら、習得もすぐなんだろう」


 ちらりと風の精霊の様子を窺えば、風の精霊は面白いものを見つけたような楽しげな表情を浮かべていた。あの顔は精霊がお気に入りを見つけた時に見せる顔だ。

 これで一安心……かはわからないが、とりあえずこの風の精霊は今後もヒューティリアに力を貸してくれそうだと判断した。






 そうして更に七日後のこと。


 ヒューティリアはその素質を存分に発揮し、着実に干渉魔法に合わせた魔力の調整を覚えていった。

 そして調整の仕方がわかるなり、早々に早駆けの魔法を成功させる。


『これは……逸材だな』


 成功を喜ぶヒューティリアを遠巻きに眺めながら、風の精霊が心底楽しそうな声音で賞賛する。


「うちの弟子は優秀だからな」


 淡々とした口調ながらも自らの弟子を自慢するセレストに、風の精霊は苦笑した。


『これはこれは。お前がそこまで言うなら、あの子がどんな風に成長していくのか見てみたくなったな』


 こうして、風の精霊はこの春の間フォレノの森に滞在することを決めた。

 そしてついでだからと、ヒューティリアの干渉魔法習得に力を貸してくれることとなった。

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