早駆けの魔法
干渉魔法とは、人体に干渉し、何らかの影響を与える魔法である。
端的に説明すれば、それで事足りるのが干渉魔法だ。
実際どのように干渉するのかは、セレストが言葉にした通り、実践形式で教えられることとなった。
「干渉魔法の基礎と言えばこの魔法、というのが早駆けの魔法だ。この魔法は走る速度を上げる魔法なんだが、加減を誤ると認識の差異に対応できずに物に激突するから気をつけろ」
「わかった」
ヒューティリアはセレストの説明に真剣な表情で頷く。
セレストはそれを確認して、頷き返しながら続けた。
「これまで教えてきた魔法と大きく違うのは、干渉魔法はこれまで力を借りていた精霊たちとは少し系統の違う、ひとつの属性に特化した精霊に呼びかけるという点だ」
「ひとつの属性に特化した精霊……」
記憶に刻み込むように反芻するヒューティリアの言葉を、「そうだ」とセレストが肯定する。
「属性に特化した精霊は基本的に特定の住処を持たず、常にこの世界を巡っている。それ故に、呼びかけてもすぐに応じてもらえるわけではない。応じてもらえるまで呼びかけ続ける根気が必要だ」
「そうなんだ……。でもそれってつまり、楽器の演奏を聴いてもらったり対話したりしなくても力を貸してくれるってこと?」
ヒューティリアの問いに、セレストは眉間に皺を寄せた。
「そういうことになるが……土地に根付く精霊たちと違って信頼関係が結べていない以上、力を貸してもらうのは容易ではない。属性特化の精霊側が気紛れを起こすか、何らかの理由でこちらを気にいるかすれば可能性はある、という程度の、極めて成功率の低い魔法が干渉魔法になる」
だから扱える魔法使いが少ないのだと、セレストは続けた。
するとひとつの疑問がヒューティリアの中でわき起こる。
「セレストは、干渉魔法が使えるんだよね?」
「使えるな」
「それは、精霊が気紛れを起こしたから? それとも気に入られたから?」
ヒューティリアとしては何気なく浮かんだ疑問を口にしただけなのだが、思いがけない問いを向けられたセレストは言葉に詰まる。
何故なら、これまでセレストが干渉魔法を使うべく精霊に呼びかけて精霊が応えてくれなかったことなどなかったからだ。
そもそも、属性特化の精霊から協力を得るのは容易ではないとセレストは説明したが、それもマールエルから教えられた知識であり、本人の実感ではない。
しかしそのことを特別意識してこなかったが故に、精霊が自分に力を貸してくれる理由になど思い当たるはずもなく。
結果、ヒューティリアの問いに対する答えは出なかった。
そうして必然的に落ちた沈黙は、周囲で様子を見ていた精霊たちが現れたことで破られた。
『セレストは特別だからね』
『セレストが呼びかければ、大抵の精霊は力を貸すよ』
『ねー』
いつもの調子でわいわいと話し出す精霊たちに、ヒューティリアがそれは何故なのか問おうと口を開く。
しかし。
「ちょうどいいところに。この近くに風の精霊は来ているか?」
ヒューティリアより先に、セレストが精霊たちに問いかけた。
精霊たちはしばし静まりかえったかと思うと、『あ、いるいる! 結構近くにいるよ!』と元気よく答える。
何となく機を逸してしまったヒューティリアは、疑問をわだかまらせたまま立ち尽くし、ひとり悶々とする。
セレストは特別。
これまでの精霊や妖精たちの様子から、なんとなくそれは理解できる。けれど、何故なのかがわからずすっきりしない。
「ヒューティリア」
不意に名前を呼ばれ、声の方を見遣る。すると、泉の畔に立ったセレストが手招きをしていた。
「幸運にも風の精霊が近くにいるらしい。さっそく早駆けの魔法をかけるから、泉の外周を走ってみてくれ」
「えっ、走るの!?」
思いがけない言葉に驚いていると、「そうしないと違いがわからないだろう」と言われてしまい、仕方なく泉の淵に沿って走り始めた。
そのまましばらく走り続けていると、不意に体が軽くなったような感覚を覚える。次の瞬間には走るのに必要な力が半減したかのように前へ踏み出す速度が上がり、歩幅も飛ぶように広くなった。
「えっ、えぇっ!?」
変化に気付いて慌てて走る速度を下げ、障害物を飛び越える。
そうこうしているうちに、広い泉をあっという間に一周してセレストの許に戻ってきていた。
「魔法がかかった感覚はわかったか?」
「う、うんっ! なにあれ、凄いね!!」
同じ速度で泉を一周しようと思ったら、通常なら息が切れて苦しい思いをしていたころだろう。しかし、ヒューティリアは息ひとつ乱していない。
「危なげなく泉を一周してきたお前も大したものだけどな。もし障害物を避け切れなそうだったら手助けするつもりでいたんだが」
普通であれば、唐突な干渉に対処し切れず転んだり物にぶつかったりするものだ。
事前に気をつけるように言われていたとは言え、干渉を受けてすぐに走る速度を落とし、障害物にも見事対処したヒューティリアは、運動神経がいいのかもしれないなとセレストは感心する。
「これで早駆けの魔法はこういうものだとわかっただろうから、今度は自分で風の精霊に呼びかけてみてくれ。早駆けの魔法を受けたときの感覚を覚えていれば、どのような魔法を望んでいるのか精霊に伝えるのはそう難しくないはずだ。問題は、風の精霊が応えてくれるか否か。応えてもらえるまで根気よく呼びかけるんだ」
セレストの言葉に頷き、ヒューティリアは意識を集中させた。
感覚を研ぎ澄まし、精霊たちの気配を強く感じ取る。自らの内を巡る魔力を精霊に差し出すような気持ちで、手の平に導いていく。
(風の精霊。あなたの力を貸して欲しいの)
常ならこの呼びかけの時点で周囲に呼びかけに応じた精霊たちが集まってくる。しかし、ヒューティリアの呼びかけに応える精霊の気配はなかなかやってこない。
呼びかけている相手が風の精霊に限定されているので、周囲にいる森の精霊たちも固唾を飲んで見守っていた。
(お願い。力を貸して。あたし、どうしても干渉魔法を使えるようになりたいの)
改めて呼びかけてみる。
けれど結局、この日は風の精霊がヒューティリアの呼びかけに応えることはなかった。
あっという間に日が沈み、辺りが暗くなる。
「そろそろ戻るか」
春とは言え、朝晩はまだ肌寒さが残る。
セレストに促されて歩き出しながら、ヒューティリアは項垂れた。
「だめだった……」
ぽつりと言葉が零れ落ちる。
気落ちしているのがありありと見て取れる様子に、セレストは弟子の背中を優しく叩く。
「まだ一日目だ。諦めるには早い」
「……うん!」
諦める、という言葉に反応して、ヒューティリアは勢い良く顔を上げた。
「あたし、まだ諦めてないから!」
「わかってる」
「明日も頑張るね!」
「ああ」
強い眼差しで意気込みを語るヒューティリアに対し、セレストは口許を緩めて頷いた。
すると、ヒューティリアがふわりと微笑む。
「ありがとう、セレスト」
何故礼を言われたのかわからず、セレストは怪訝な表情を浮かべる。けれどヒューティリアは礼を言った理由を告げることなく、先行して家へと戻っていった。
そして玄関扉を開け、魔法で室内に明かりを灯すと、くるりと振り返る。
「セレスト、早く! お腹空いちゃった!」
急かされたセレストは目を瞬かせると、すっかりいつもの調子を取り戻している弟子に苦笑を漏らす。そのままゆったりとした足取りで明かりの灯る家に入り、一度庭を見回してから扉を閉めた。
ふたりの去った庭は、途端に静けさに包まれた。
ぽつぽつと、精霊や妖精たちが放つ光が幻想的に泉に映り込む。
その中に、一際強い光が降り立った。
『この森に来るのも久しいな……』
淡い緑色の光を纏った精霊が、懐かしむように呟く。
『フォレノの森の精霊たち。どうだろう、私の話し相手になってくれないか?』
緑の精霊の呼びかけに応えるように、森の精霊たちが集まり始める。
自分たちより遥かに上位の精霊。そんな存在からの呼びかけに、彼らは興味津々で言葉の続きを待つ。
『ありがとう。何を話そうかって? そうだな、例えば──』
緑の精霊はしばし考える様子を見せてから、楽しげな声でひとつの案を提示した。
『例えば。そこの家に住む祝福持ちの魔法使いと、その弟子のことを聞かせてもらいたいのだが』
その言葉に嬉々として、森の精霊たちのみならず森の妖精たちもが、我先にと話し始めるのだった。




