ある師弟の日常と客人のひとり言
地面を埋め尽くす雪は、解ける気配がない。
太陽が出た日には解けだすものの、解けきる前に新たな雪が降り積もるからだ。
雪が降ったり止んだりを繰り返す中、ムルクがフォレノの森にやってきてひと月が経過しようとしていた。
部屋数も寝台も足りず、すっかりリビングのソファーが定位置になったムルクは、この日も大きく伸びをしながら起き上がった。
物音に反応して目を覚ましたのだが、音の主は決まっている。セレストだ。
すっかり快復したセレストは、誰よりも早く起きて庭に出て行く。
何をしに行くのかついていったことがあったが、どうやら精霊に呼びかけて庭の土の状態を整えているらしかった。
その後は雪が積もり過ぎる前に魔法で解かして、家が潰されないようにしている。
今日も今日とて、いつも通り外へと出て行くセレストを見送る。
するとほどなくして、ヒューティリアがリビングに姿を現した。
「おはよう、ムルク」
ぱたぱたと小走りで現れたヒューティリアは、朝食の支度を始めるべく真っ直ぐキッチンへと向かう。
「おはようさん」
欠伸を噛み殺しながら応じると、ムルクもようやくソファーから足を下ろした。
何気なくヒューティリアの後ろ姿を見遣り、一瞬腰を浮かしかけたもののすぐに座り直す。
この家にきたばかりの頃は何か手伝おうかと声をかけていたのだが、ヒューティリアはムルクを客人としてもてなしたいらしく、何もさせて貰えなかったので最近は諦めている。
セレストはヒューティリアの好きなようにさせていて、ムルクが何もせずに居座っていても特に何も言わない。
しかしそうなると、どうしても手持ち不沙汰になる。
ただぼんやりと忙しくしているセレストやヒューティリアを眺めていても仕方がないので、一冊の本を手に取った。以前ワースから譲り受けた、『魔法の基礎』だ。
ヒューティリアに魔法を教えるようになって初めて、ムルクは人に知識や技術を教える難しさを知った。
フルートを教えた時はそんな風に感じなかったのだが、魔法を教えるのはどうにも難しい。
説明し難い感覚や、目に見えない技術を要する魔法は、言葉で表現できない事柄が多すぎる。そのことに気付くのに、そう時間を要さなかった。
ムルクはどう伝えたらいいのかわからず、悩んだ。
そんなとき不意に、ワースから貰った本のことを思い出したのだ。
最初は教える方法を知るために『魔法の基礎』を開いたのだが、そうして読んでいくうちに、慣れで無意識に行っていた手順が基礎知識としてわかりやすく書かれていることに妙な感動を覚え、気付けばじっくり読むようになっていた。
それからは何度も読み返し、教えるとはどういうことか。どのように伝えればいいのかがわかってきた……ように感じている。
その成果だろうか。
ヒューティリアの温度調節の上級魔法はムルクの補助がなくとも安定し、現在リビングの室温はヒューティリアが維持している。
(本当に、目覚ましい上達ぶりだ)
心底そう思う。
同時に。
(意外も意外。予想以上にセレストが教えるのうまいんだよなぁ)
そう思うようになったのには、理由があった。
理由。
それは、看病をした見返りとして、ムルクもセレストから魔法薬の教えを受けるようになったからだ。
魔法薬に関する決まりごとについては、魔法薬が作れないムルクでもある程度把握していた。
だから詳細を説明してくれたセレストの言葉も、すんなり知識として入り込んで来た。
同時に、基礎知識があったからこそ、セレストの説明がわかりやすいことに気付いたのだ。
つい余計な話をして脱線してしまう自分と比べて、セレストは面倒なことや手間がかかることを嫌うせいか、話が大幅に逸脱することがない。
必要な情報と、多少の関連知識。それだけを語って、「わかったか」と確認してくる。
その姿が妙に板についているように見えて、「あぁ、セレストはヒューティリアの師匠なんだな」と、今更ではあるが実感した。
(だって、意外すぎるだろ)
人との関わりは最小限。むしろ足りないくらいだったセレストが、相手に合わせて言葉を選び、伝わるまで伝える姿勢を崩さない。
(ヒューティリアの存在があったからこそ、こうなったんだろうなぁ)
ムルクの知る魔法師団でのセレストは、後輩から教えを請われても素気なく断っていた。
のし上がるのに充分な実力を持っていたセレストは先輩からは目障りに思われることが多かったが、後輩からは尊敬の対象として見られていたのだ。
しかしその対応は見方によっては実に冷たいもので。理由も言わなければ言い訳もせず、あっさりと断る。
(断った理由は、面倒だったからとかそんなところなんだろうが)
そのセレストが、ヒューティリアには魔法を基礎から教えている。驚かずにいられるわけがない。
となれば、セレストの変化の要因はヒューティリアであろうと考えることは、ごく自然なことのように思えた。
好奇心の塊。
純粋に学び、得られた知識や技術を全て吸収せんばかりの才能。
ヒューティリアに教えることを楽しいと感じさせる魅力。
そういったヒューティリアが持つ不思議で強烈な引力が、不動とも思われたセレストを動かし、変えた。
ヒューティリアは、セレストの師である書の賢者マールエルから押し付けられた弟子だと聞いていた。
けれどセレストは、そんな風に押し付けられたヒューティリアをすんなり受け入れたのだろうか?
その辺の経緯は不明だが、結果的に受け入れ、真面目に魔法や魔法薬について教えている。
(まさかセレストがこんな風に変わるとは)
つい緩んでしまう口許を引き締めていると、外に出ていたセレストが戻ってきた。
手には朝食に使う食材。そして、朝食後に行う魔法薬の練習で使う魔法植物。
「おはよーさん」
先ほど言いそびれた朝の挨拶をすると、セレストは表情を変えず、素っ気なく「おはよう」と返して通り過ぎていく。
そのまま笑顔で迎えたヒューティリアに食材を渡し、いくつか指示を出すと食料庫へと姿を消した。
この家での料理は基本的にセレストが主となって行っており、ヒューティリアはその手伝いをしていた。
ヒューティリアは渡された食材を洗い、指示された通りに処理していく。どうやらそれすらも魔法の修行らしく、洗うにも切るにも、魔法を使っていた。
細かな魔力の調整や、精霊への繊細な呼びかけを必要とするそれらを真剣な表情でこなし、戻ってきたセレストに出来映えを確認して貰う。
上出来だったようで、セレストはヒューティリアの髪を撫で、「上達したな」と評価しながら小さな笑みを浮かべた。
(これもな)
ついつられてムルクも笑みを浮かべてしまう。
自然と相手に触れ、笑うセレストなんて、魔法師団では見たことがなかった。
ムルクが必死にあれこれ世話を焼いたり話題を振ったりして、ようやく苦笑のようなものを浮かべることはあったが。
(変わったなぁ)
しみじみとそう思う。
いい変化だ。
淡々と仕事をこなし、ただ日々を費やしていた頃とは比べ物にならない。
(変わったなぁ……)
嬉しく思う気持ちとは異なるところで、自分では変えられなかったという無念を抱きもするし、いい弟子を持ったセレストを羨む気持ちもないわけではないが。
良かったな、と、小さな小さな声で囁いた。




