推定弟子から見た推定師匠
翌朝。
窓から差し込んだ光でヒューティリアが目を覚ますと、外からザクザクと土を掘り起こすような音が聞こえてきた。まだ眠い瞼を擦り、ベッドから下りる。
何気なく見渡した部屋は相変わらず殺風景ではあったけれど、昨日までの出来事が夢ではなかったのだと彼女に知らしめた。
しばし部屋を眺めた後、ヒューティリアはベッドサイドに置かれている棚の上から笛を手に取り首にかけると、急ぎ足で部屋を出た。
家の中に人の気配はない。試しにセレストが使うと言っていた部屋の扉をノックしたけれど返答はなく、リビングや調理場、倉庫も覗いてみたが人の姿はなかった。
ヒューティリアは迷わず家の外へと続く扉に手をかけ、開け放つ。途端に視界一杯に飛び込んで来たのは、木々が織りなす緑溢れる景色。秋とは言えまだ葉が色づくには早く、様々な濃淡の緑が広がる様子は壮観ですらあった。
この家で目覚めてから一度も外に出ていなかったヒューティリアは息を呑み、扉を開け放った姿勢のまま眼前の景色に見入ってしまう。
「起きたのか」
そんなヒューティリアに横合いから声がかけられた。そちらを振り向けばセレストが剣型ショベルを手に家の裏手から姿を現す。
「あっ……おっ、おはよう」
「おはよう。起きたなら食事にするか」
咄嗟に吃りながら挨拶をするヒューティリアに対し、セレストの方はさらりと挨拶を返してショベルを壁に立てかける。よく見れば、セレストが手に持っている籠から数種類の野菜が顔を覗かせていた。
「そ、それっ、どうしたの?」
「それ? ……ああ、この野菜は裏の畑から取ってきた」
セレストは少女の視線の先を追って何を問われたのか察すると、淡々と答えた。
素っ気ない返答が彼の標準的対応である事に気付き始めていたヒューティリアは「もっと会話する努力をしなさいよ!」と言いたい気持ちをぐっと飲み込み、どんな畑なのか気になって家の外に足を踏み出す。
しかしセレストの横を回り込んで家の裏手を覗こうとするより先に目に飛び込んで来たのは、家の横に広がる色とりどりの花が咲く区画と、広々とした泉だった。
咲いている花々は見た事がないものばかりで、泉は木漏れ日を反射して輝いている。
「うわぁ……」
思わず感嘆の声を上げたヒューティリアにつられて、セレストもその視線の先を追う。先に目を留めたのはヒューティリアが見入っている花々だ。
「そこの区画にある花は薬草だ。魔法薬の材料だな」
「魔法薬?」
勢い良くセレストを見上げてきた少女の目は、泉に負けないくらいきらきらと輝いていた。
セレストは魔法薬用の薬草に真新しさを感じていないせいか、そんなに珍しいものかと不思議に思いながら簡単に魔法薬について説明する。
「魔法が使えるようになったら教えるつもりだったんだが……魔法薬っていうのは通常の薬よりも良く効く薬だと思ってくれればいい。ただ、中には通常の薬と違って特殊な効果を持った薬もある。そういったものは大抵違法薬だから作ったのがバレると罰せられるけどな」
魔法薬用の薬草は通常の薬草と違って生育に魔法の補助が必要であること、特種な加工をしない限りは薬にも毒にもならないこと。普通に見たらただの花や草のように見えることなどを淡々と説明するセレストの言葉を、ヒューティリアは食い入るように聞いていた。
その様子を目にしてセレストはヒューティリアの知識への貪欲さを感じ取り、無意識に口の端を緩めた。セレストの意外な表情を目にしたヒューティリアは、目を瞬かせる。
しかしセレストはそんなヒューティリアの反応には気付きもせずに、視線を泉の方へと向け直した。
「魔法薬を作る魔法使いなら、朝早くから薬草の世話をする必要がある。その時が来たらお前にも薬草園の一部を任せるから、早起きに慣れておくように。ちなみにそこの泉は妖精が住む泉だ。妖精は魔法薬を作る時に力を借りるから、今度菓子作りを教えてやる」
セレストの言葉に、ヒューティリアは首を傾げた。
「かしづくり?」
「妖精は甘い食べ物が好きだからな。精霊に音を聞かせるのと同じで、快く力を貸して貰うために日頃から彼らと交流する努力が必要だ」
この言葉に、ヒューティリアは思わず吹き出してしまった。どの口が「交流する努力が必要だ」と言っているのか。
咄嗟に喉元まで出掛かったその言葉を先ほどと同様に飲み込んで、改めて湖の方へと数歩進んで裏手にあるという畑を探す。
すると確かに家の裏手にあたる場所に赤い実や黄色の実がなっているのが見えたので、恐らくあそこが畑だろうと目星をつける。
ヒューティリアは故郷の村にいた時、親を手伝って畑の世話をしていた。
今となってはつらい思い出だが、今の自分は居候の身。そんなことは言ってられないと考え、隣に立つセレストを見上げた。
「明日から早起き頑張るから、手伝ってもいい?」
ヒューティリアの問いに、セレストは再び僅かながらに表情を緩める。
「好きにしたらいい」
応じながらさっさと家の中へと入っていくセレストを追って、ヒューティリアも家の中へと戻った。
この日、ヒューティリアは幾度となくセレストに驚かされることになる。
早速文字の読み書きを教え始めたセレストが用意したのは、書いては消せる黒板とチョーク、そして絵本だった。絵本は昨日目にした『森の中のヒュー』だ。
余計な事は進んで話さないセレストが意外にも絵本の一文を読み聞かせ、登場した単語ごとにヒューティリアに書き写させた。そしてヒューティリアの書いた文字をひとつずつ差して発音と文字の特徴を伝える。続いて単語の意味を教え、絵本とは違う使い道を説明する。
ヒューティリアが難しい顔をすれば何がわからないのかを問い、何がわからないのかうまく伝えられなければ「なら、ここは明日改めて説明するから、何がわからないのかわかったら言うように」と、次の文字へと進んでいく。
そう。ヒューティリアが何に驚いたのかといえば、セレストが思いのほか根気よく、そして親身に教えてくれていることに驚いたのだ。何となく、もっと杜撰な教え方をされると思っていた。
あまりにも意外だったので思わず淡々と絵本を読み上げているセレストを見上げると、ヒューティリアの視線に気付いたセレストは眉をひそめて「俺じゃなくて本を見ろ」と注意し、ヒューティリアは慌てて絵本に視線を落とした。
次に驚かされたのは、「あまり根を詰めるのはよくない」と言ってセレストが設けた休憩時間に毎日吹くようにと言われていた笛を吹いていた際に、家の外から聴こえてきた音色。
耳に心地いいその音色を追って外に出れば、泉の淵でセレストがライアーを奏でていた。柔らかく繊細に運ばれる指先から奏でられる音色は、森や泉に溶け込んでいくよう。
美しい音色に聴き入っていると、不意にセレストがヒューティリアに気付いて演奏の手を止めた。
「……興味があるのか?」
「ある!」
勢い込んで答えれば仕方なさそうな様子ではあるものの、こっちにきてもいい、と視線で促されてヒューティリアはセレストの許へと走った。そして地面に座り込み、期待に満ちた目を向ける。
そんなヒューティリアの視線に晒されてやり辛そうにしながらも、セレストは改めてライアーを指先で弾く。
再びこの小さな世界を満たしていく音色に耳を澄ませながら、ヒューティリアは目の前の青年に少しずつ、本当に少しずつ、降り積もるように尊敬の念を抱き始めていた。
極めつけは、昼食と夕食の間にセレストが菓子を作り、ヒューティリアに振る舞った時のこと。
出されたのは一見何の変哲もない焼き菓子だった。それでもあまり裕福ではなかったヒューティリアからしたら、食事以外の食べ物を口にすること自体が稀で、菓子などほとんど食べた記憶がない。あったとしても歯が折れそうなほど固く焼かれた焼き菓子がせいぜいだった。
しかし出された焼き菓子はそんな焼き菓子とは一線を画していた。
口に含めば甘い香りが鼻孔をくすぐり、軽く噛めばさくりと解ける。セレストがジャムをつけて食べる様子を見て真似てみれば、ジャム特有の甘さと爽やかな風味が加わって更に頬が蕩けそうになる。
美味しそうに、幸せそうに一枚一枚を大切に味わうヒューティリアを眺めているセレストの表情も心無しか柔らかい。
そんなセレストの顔を見て、ヒューティリアは不思議な安心感を覚えながら自然と笑みを浮かべた。
「美味しい!」
「そうか」
素直な感想を述べるヒューティリアに、セレストは焼き菓子の乗った皿を押しやった。




