風邪
この冬はよく雪が降り、よく積もる。
空を見上げながら、ヒューティリアはこの冬何度目になるかもわからない「あ、雪だ」という言葉を白い息と共に吐き出した。
吐き出された白い息は空気に溶けて消えていく。
「またか」
ややうんざりした声音で戸外を見遣ると、セレストはヒューティリアを家の中へと促した。
これから魔法植物周りの雪を溶かして土を整えようとしていたのだが、外に出るのは断念する。
幸い雪を溶かす魔法も土の状態を維持する魔法も、家にいながら使うことができる。ただし、初級や中級魔法で済むものを上級魔法に切り替えなければならないが。
それでも心配で、ヒューティリアはしんしんと降り積もる雪の向こう、魔法植物が植えられている辺りを窓から眺めていた。
すると、背後からくしゃみが聞こえてくる。振り返れば、セレストが小さく身震いする姿が目に入った。
「寒いの?」
室内はセレストの魔法によって温められ、快適な状態になっている。
ヒューティリアとしては寒いという感覚はないのだが、一瞬とは言え身震いしていたことと言い、心なしかセレストの動作が緩慢なことと言い、表情もどことなく気怠げに見えることと言い……嫌な予感を覚える。
しかし問われたセレストはしばし考える素振りを見せ、「いや、大丈夫だ」と答えると書棚から本を取り出した。そしてソファーに腰を下ろし、視線で向かい側に座るように促してくる。
「外の雪と土の件は俺の方でやっておく。で、室温を保つ上級魔法の方だが。少しずつ上達していると判断しているが、何か疑問点や質問事項はあるか?」
そんな風に切り出して、いつも通り魔法の勉強の時間が開始される。
ヒューティリアはセレストの様子が気掛かりではあったが、セレストがいつも通り振る舞っているので小首を傾げながらも向かい側のソファーに座った。
異変は、翌朝に起きた。
朝、ヒューティリアがいつも通りの時間に目を覚まし身支度を整えてリビングに向かうと、いつもなら先に起きているセレストの姿が見当たらなかった。
リビングやダイニング、キッチンに食料庫……と家の中を見て回ったがどこもしんと静まり返っている。
玄関扉を開けても眼前には真っ白な景色が広がるばかり。足跡ひとつ見当たらない。
(雪に足跡がないから、セレストは家の中にいるはず)
思い当たるのは、調合部屋。あとはセレストの自室だ。
しかし調合部屋に朝早くから籠るなら昨日のうちにヒューティリアにひとこと伝えていたはず。
何の知らせもなかったのであれば、残るは。
ヒューティリアはセレストの部屋の前に立った。
珍しく寝坊でもしているのかと思い、最初は控えめに扉を叩いた。
「セレスト、起きてる?」
大きな声ではないが、扉の向こうに届く程度の声量で問いかける。
しかし返事はない。
「セレスト?」
もう一度呼びかけるが、返ってくるのは耳が痛くなるほどの静寂のみ。急激に不安が募り始める。
その不安を打ち消すように、今度は強めに扉を叩いた。
「セレスト? ねぇ、まだ寝てるの?」
先ほどより大きめの声で呼びかける。
すると、微かな物音が室内から聞こえてきた。続いて「今起きた……」というセレストの声が辛うじてヒューティリアの耳に届く。
室内にいることがわかり、ほっと息を吐いた。が、すぐに聞こえてきた声に違和感を覚える。
声が掠れているのは寝起きだからだろうとも考えられるが、声に力がない。
不意に、昨日のセレストの様子を思い出してひとつの可能性に気付く。
「ねぇ、セレスト。風邪ひいたんじゃないの? 起きれそう?」
この冬は寒い日がずっと続いている。
それに昨日のセレストは、何度かくしゃみをしていた。小さく身震いもしていたし、気怠そうにもしていた。
加えて今日の、珍しい寝坊。聞こえてきた弱々しい声。
それらを足して答えを求めてみれば、思い浮かぶ結論はひとつだった。
導き出された答えを口にして問いかけたものの、今度は返答がない。
物音すらしなくなって、ヒューティリアは慌てて妖精たちに呼びかけた。
「妖精たち、鍵っ……セレストの部屋の鍵を開けて!」
咄嗟に口に出して訴えると、すぐさま妖精たちが周囲に集まる。
『わかったよ。でも先にセレストの様子を見てくるからちょっと待ってて』
『ぼくらにとってはセレストも大切な友人だからね』
『鍵を開けた方がいいと思ったら、協力してあげる』
そうしていくつかの気配が扉をすり抜けてセレストの部屋へと消えていく。
ほどなくして、部屋の内側からカチャリと鍵が開かれる音が響いた。
『結構やばいかも!』
『ヒューティリア、はやくはやく!!』
室内から飛び出してきた妖精に加えて背後にいた妖精たちからも急かされて、ヒューティリアは扉を開くなり室内に駆け込んだ。
「セレスト!」
物が極端に少ない部屋の最奥、窓際に置かれたベッドの上にセレストは横たわっていた。
ヒューティリアの呼びかけで起きようとしたのだろう。毛布から肩がはみ出しており、眉間の皺が過去見たこともないほど深く刻まれている。
汗で髪が張り付いた額に片手を当て、顔を顰めているセレストの横に立つ。すると、セレストが小さくうめいた。
「頭が痛い……」
ぽつりと漏らされた言葉から、高熱があるのではと思い手を伸ばしてセレストの額に触れる。驚くほど熱い皮膚に、ヒューティリアは動揺した。
「ど、どうしよう! さ、サナさん、サナさんを呼びにいけばいい!?」
混乱し、思いがけず大きな声が出てしまう。
その声すら頭痛に響くのか、セレストは再び顔を顰めてから「だめだ」と諌めた。
「いくら野生動物が少ない冬とは言え、ひとりで森の中を行くのは危険だ。そもそも道が雪で埋まっているのに、どうやって村まで行くつもりだ……」
話すのもつらいのだろう。声は相変わらず弱々しい。
しかし、こんな時でも頭の方は冷静さを欠かず、しっかり働いているらしい。ごもっともな指摘をされてヒューティリアは言葉に詰まった。
「じゃ、じゃあ、あたしが看病する……!」
かつて共に暮らしていた自らの家族は、誰かが熱を出したときは両親や長兄、長姉が看病をしていた。その光景を覚えているし、ちょっとした手伝いならしたことがあるので何とかなるだろうと考えた。
まずは濡らした布を額に乗せて、薬を飲ませて安静にさせればよかったはずだ。
食欲が戻ったら胃に優しい食事を用意して──
と、そこまで考えたところで、再び「だめだ」と言われてしまった。
「なんで……」
「風邪がうつる」
「それくらい」
「だめだ」
取りつく島もなく言い放たれて、押し黙る。
じゃあどうすればいいと言うのか。
ヒューティリアは途方に暮れた。
とりあえずずれてしまっていた毛布を掛け直そうとしたものの、ヒューティリアの考えを先読みでもしたのか、セレストは自ら毛布を掛け直して近付くことすら許してくれそうになかった。
見るからにつらそうなのに、何もするなと言い、何もさせてくれない師を恨みがましく睨む。
玄関扉がノックされたのは、まさにそんな時のことだった。




