不思議な感情
ヒューティリアがセレストの弟子になって三度目の冬がやってきた。
今年の冬はまだ冬の入り口だというのに、すでに身を切るような寒さが辺りを包み込んでいる。
そのせいだろうか。ちらほらと白いものが空から舞い降りてくる日があった。
「あ、また雪」
何気なく窓外を見遣ったヒューティリアがつぶやく。
冬に入ってひと月が経過し、地面を薄ら白く染める程度の雪が何度も降っていた。
けれどこの日の雪はこれまでの疎らに降る雪とは違い、視界の半分が雪で埋まりそうなほどの降り具合。このまま降り続ければ間違いなく積もるだろうと思えるような様子だった。
「これだけ降られたら、村には行けないな」
ヒューティリアの声に反応して外の様子を確認したセレストが嘆息する。
冬前に充分な備蓄をしているが、日持ちしない物は村で買い足している。ちょうど今日あたりで買い足しに行こうかと考えていたのだが、その予定をずらさなければならなくなった。
「積もったら明日も行けないね」
「いや、止みさえすればどうとでもなる」
あっさりと告げられて、ヒューティリアは首を傾げた。
するとすかさず精霊たちの気配が室内に生じる。
『魔法で雪を溶かしながら行けばいいんだよ』
『セレストならそれくらい余裕だもんね』
『セレストとヒューティリアは村に行けるし、ぼくらも魔力が貰えてみんな幸せ!』
精霊たちの本音は『魔力が貰える』という点に集約されているのだろう。そのことに気付き、思わず閉口する。
セレストの方を見遣れば、呆れた視線を精霊たちの方へと向けながら「そういうことだ」と彼らの言葉を肯定した。
それからヒューティリアに向き直ると、ふと微苦笑を浮かべる。途端にヒューティリアの心臓が跳ねた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ」
安心させるようにかけられた言葉に、自分は一体どんな顔をしていたのかと、ヒューティリアは自らの両頬をぺたぺたと触る。
しかしセレストはそんなヒューティリアの行動を気に留めることなく、予定が変わったためか「今日は自習しててくれ」と言い残して自室に戻ってしまった。
一方、リビングに残されたヒューティリアは謎の動悸を収めようと深呼吸しつつソファーに座る。
どうも秋の急病人の一件以降、ふとした瞬間に、これまでごく稀に目にしてきたセレストの笑顔や触れた手の温度、飛びついても厭うことなく受け止めてくれていた腕のことなどが思い出されて落ち着かない。
加えて、最近セレストはよく表情を緩める。更に言うなら、褒めるときや落ち着かせようとするときに髪を撫でてくることが増えた気がする。あれも心臓によくない。
が、何故自分の心臓がそれに過剰反応してしまうのかはわからない。前は平気だったはずなのに。
理由をあれこれ考え、一時は愛読書の影響で「これは恋!?」なんて思ったりもしたが、そこまで強い想いを抱いている感覚はない。もっと穏やかで、けれどふとした瞬間に強く揺り動かされるような何か。
正に先ほどのように不意打ちで珍しい表情などを見るとドキッとするが、そうでなければ今までと何も変わらない。いつも通りのやり取りができる。
その感覚が、その感情が何なのか理解できずに困惑しながらも、日々は淡々と過ぎていく。
けれどヒューティリアは時々脳裏を掠める記憶に翻弄されて、その度に解けない謎に頭を悩ませるのだった。
翌朝。
目が覚めて外を見遣れば、昨日の朝から降り出した雪は夜更けまで降り続いていたようで、ヒューティリアの膝上まで積もっていた。
しかし今日は見事な晴れ。降り注ぐ陽光が雪の粒に反射して、きらきらと輝いている。
「うぅ、眩しい……!」
真っ白な雪景色に加えての反射光。
玄関扉から外に出るなり、ヒューティリアは顔の前に手をかざした。
雪が止んだので村に向かうべくしっかり着込んで家を出たのだが、あまりの眩しさに目を開けているのも厳しいくらいの視界状況。
この中を行くのかと尻込みしていると、ヒューティリアの横をすり抜けてセレストが前に出る。その時にはすでに精霊に呼びかけていたのだろう。一瞬にして玄関前の雪が溶けた。
雪を溶かすことで発生した水も魔法で処理したようで、地面を見ればぬかるむことなくほどよい水分を含んだ土が覗いている。
「すごいっ」
「そう難しいことはしていない。全て中級魔法で処理できる」
中級魔法は初級魔法を広い範囲に適用し、且つ強力にしたものを指す。故に、手を離れても発動し続ける上級魔法とはまた違った技術が必要とされる。
加減が難しく、精霊への指示を誤ると想定を上回る範囲に適用されてしまうことがあり、そうなると魔力がごっそり持っていかれてしまうだけでなく、大惨事を引き起こしかねないのが中級魔法の難しいところだ。
初級魔法でも魔力の調整は学んだが、小さい範囲に収めようとしていた初級魔法に対して中級魔法は広い範囲へと膨らませるので、改めて魔力の調整を覚える必要があった。
昨年は初級魔法の復習を兼ねて中級魔法を学んでいたので、ヒューティリアにも使えなくはないのだが──
「魔力が底をつくと倒れかねないからな。ごく一部の区間だけ、お前に任せる」
魔法を使うことも魔力の器を育てる上では大事な要素。
まだ魔力の器が充分に育っていないヒューティリアは、実践経験を積む必要があった。
さっそくセレストの教えに従って雪を溶かし、発生した水分を地下水脈に誘導する魔法に挑戦する。
雪を溶かすのは難なくこなせたが、水分を地下水脈へ誘導する方は難しく、セレストの助けを受けながら何とかこなした。
「まぁ、最初はこんなものだろう」
どうやら及第点を貰えたようだ。
ヒューティリアがほっと息を吐いて嬉しさに笑みを浮かべると、よくやったと言わんばかりにぽんぽんと頭を撫でられた。
またもや心臓が跳ね上がる。しかも今回は咄嗟に飛び退いてしまった。
素早い弟子の反応にきょとんとするセレストを、ヒューティリアは思わず睨んでしまう。
「もうっ、びっくりするでしょ!」
今までは同じことをされてもこんな反応はしなかったのだが、最近はあまりにも心臓に悪く、反射的にそう言い放っていた。言ってしまってから、後悔する。
嫌だと思ったわけではないのに、嫌がっていると捉えられたらどうしようと。
しかしセレストは不思議そうな顔で僅かに首を傾げ、「そうか」と応じただけ。
どう解釈されたのかはわからなかったが、ヒューティリアの言葉に傷ついたり嫌がっていると捉えた様子は見受けられず。そのことに胸を撫で下ろしたものの、ヒューティリアの内に小さな罪悪感が生まれた。
「……あの、ごめん。嫌なわけじゃないの。気にしないで」
「そうか」
「う、うん。そうなの」
咄嗟に謝ればいつも通りの平坦な表情と声を返されて、ヒューティリアは自分でも何を言っているのか、何を謝ったのかよくわからなくなってきた。
よくわからない感覚。よくわからない感情。
自分でも持て余しているそれらが何なのか改めて考えてみたが、やはり答えは出なかった。




