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しばしの別れ

 翌朝。

 昨日は宿に戻るなり早めに休むようにと言われ、早々に眠りについたヒューティリアは、早く眠りについたぶんだけ早くに目が覚めた。


 まだ薄暗い室内を見回し、隣室が静かなことを確認する。いつもヒューティリアより先に活動を始めるセレストもまだ眠っている時間帯らしく、物音ひとつしない。

 今起き出しても手持ち無沙汰なだけだろうと判断して、ヒューティリアは改めて眠ろうと目を閉じた。

 しかしすっかり目が冴えてしまって眠れない。

 段々と布団の中にいることに耐えられなくなって、仕方なく体を起こした。


 とりあえず部屋に常備されている水差しからコップに水を移し、喉を潤して椅子に座る。

 昨日のもやもやとしたすっきりしない感覚はほぼ消えたものの、何か大事なことを考えていたような気がして、小さな引っ掛かりだけが残っていた。


 昨日の自分が相当ぼんやりとしていたことは、あのときのセレストやムルクの反応から見てもわかる。

 ヒューティリアは改めて何を考えていたのか思い出そうとしたが、何気なく楽しげな王都の人々を見ていたことしか思い出せず。諦めの入り混じったため息を吐き出した。



 そのまま薄闇に沈む室内を見るともなく眺めていると、隣室から物音がした。セレストが目覚めたのだろう。

 ヒューティリアは自分が全く身支度を整えていないことに気付いて、急いで着替える。長いこと薄暗い部屋を眺めていたおかげか目が慣れており、身支度を整えるのに不便はなかった。

 最後にいつも通り笛を首から掛けると、控えめに隣室との間にある扉をノックする。


「……もう起きたのか」


 まだ早い時間だからか、やや抑えめの声で返答があった。


「そっち行ってもいい?」

「構わないが」


 許可を得て、ヒューティリアはそっと扉を開けた。

 隣室は燭台の揺らめく炎が極狭い範囲を照らしており、身支度を終えたセレストが燭台の明かりを頼りに荷造りをしていた。

 ヒューティリアは小走りでセレストのそばまで行くと、向かいのソファーに座る。


「今日帰るの?」

「お前の体調次第だ」

「あたしは大丈夫だよ」


 すかさず応じると、セレストは荷造りの手を止めてじっとヒューティリアの顔を見た。


「昨日よりは調子がよさそうだが……」


 眉間に刻まれた皺が燭台の明かりに照らされて強い陰影を生み、セレストの表情をより険しく見せる。

 けれど表情や口調からセレストの心情を察せるようになりつつあったヒューティリアは、セレストの様子から自分が心配されていることに気付いた。


「昨日だって別に大丈夫だったよ」

「あれだけ真っ青な顔をしていて、よく言う」

「……そんなに酷かった?」


 自覚がないヒューティリアに、セレストは呆れ混じりの息を吐いた。

 一旦荷物を横に置き、昨日と同様にヒューティリアの額に手を当てる。


「そう言えば、お前は少し体温が低いんだったか」


 ぽつりと呟いて手を離すと、セレストは何やら考え込んだ。

 しばしの沈黙を経て小さく「移動する距離を短めに刻みながら戻れば大丈夫か」と零し、改めてヒューティリアと向き合う。


「問題なさそうなら、今日の昼過ぎに発つ」

「わかった」


 そうして話しているうちに、カーテンの隙間から光が差し込み始めた。光に気付いたヒューティリアが窓に駆け寄り、カーテンを開く。

 途端に、燭台の明かりを打ち消して清浄な朝の陽光が室内を照らした。


「今日も天気よさそう!」


 雲ひとつない空を見上げてヒューティリアが振り返れば、セレストも空模様を確認して頷いた。




 荷造りを終えて朝食を済ませると、宿を出て真っ直ぐムルクの家に向かった。

 セレスト曰く、「世話になったから挨拶くらいはしていこう」とのこと。


「そのうちまた王都にくる?」

「師匠が不在の間は頻繁に森を留守にできないから、何とも言えないが……ただ、王都でしか手に入らないものもあるし、年に一度くらいは来るかもしれないな」

「そっか。じゃあ今日お別れしても、ムルクやイナさんに会えなくなるわけじゃないのね」


 ヒューティリアはほっと息を吐きながら微笑む。

 そんなヒューティリアを見下ろし、セレストは頷こうとした。


 しかし。不意に師の姿が脳裏を過ぎる。

 首肯する動作が、無意識のうちに止まった。


「……セレスト?」


 反応がなくなってしまったセレストを、ヒューティリアが不安気に見上げる。


「あぁ……いや、そうだな。別に、今生の別れになるわけじゃない」


 そう応じながらも、セレストは複雑な気分に陥っていた。


 思い出すのは、免許皆伝を得て独り立ちした日のこと。

 師に別れを告げて家を出る際、セレストは定期的に師の様子を見に戻るつもりでいた。

 魔法師団の仕事の関係で実現こそしなかったが、見送りに出てくれた師の方からも、たまには顔を見せにくるようにと言われたのを覚えている。


 故に、まさか手紙で一方的に不在にすることを知らされ、言葉を交わすことも、顔を合わせることもないまま師が姿を消すだなんて考えもしなかった。


 手紙にはヒューティリアが一人前の魔法使いになる頃には戻れるだろうと書かれていたが、セレストはその言葉を全面的に信じているわけではなかった。

 本当に戻ってくるのか、どうしてヒューティリアを拾っておきながら唐突に姿を消したのか、その後目的地に到着した等の連絡も全くないが無事でいるのか……考え出すと不安しかない。


 しかし師の場合は特殊例だろう、とセレストは思う。

 本を出すと言い出した時も突発的な思いつきだったようだし、親を失った動物を拾い育てるようになったのも同じような感じだった。

 現状では、今回も突然思い立ってそのまま出かけてしまったのだと思う他ない。


(ムルクは師匠とは違う。突然姿を消すなんてことはないだろう)


 義理堅いあの元同僚が、何も言わずに姿を消すようなことはないはずだ。

 セレストは半ば自分に言い聞かせるようにそう結論付け、ヒューティリアに対して嘘は言ってはいないと自らを納得させた。



 そんなことを考えている間に、ムルクの家に到着した。ヒューティリアが玄関扉の前に立って、ノッカーで扉を叩く。

 するとすぐに家の中からぱたぱたと足音が聞こえてきた。


「どちらさまですか?」

「おはようございます、ヒューティリアです!」


 中から聞こえてきたイナの声にヒューティリアが元気よく答えると、すぐに扉が開かれた。


「おはよう、ヒューティリアちゃん! セレストさんも、おはようございます」

「おはようございます」


 イナと挨拶を交わしていると、家の中からムルクも姿を現した。


「今日にもセレストは王都を発つだろうって団長が言ってたけど、さすがの読みだな。つーか、俺もそんな気はしてたけどな!」


 ムルクは軽く挨拶を交わすなり、セレストとヒューティリアが旅支度を済ませた格好でいるのを目にして顎を撫でた。そして、手に持っていた立派な刺繍が施された袋をセレストに差し出す。

 セレストは差し出された袋を見るなり、目を細めて如何にも嫌そうな表情を浮かべた。


「断ったはずだが」

「そうもいかないんだって。あとこっちが感謝状な」


 ムルクは袋をセレストに押し付けると、続いて立派な筒もセレストの手に握らせる。

 すぐにセレストが突き返そうとしたが、機先を制してムルクが真面目な表情を浮かべ、背筋を伸ばした。


「この度は我々王国魔法師団への協力と多大なる助力を頂き、王国魔法師団一同、心より感謝申し上げる。その報賞金と感謝状には、我ら王国魔法師団団長のワース=エゼルのみならず、国王陛下の謝意も込められている。どうか受け取って頂きたい」


 今のムルクは友人としてではなく王国魔法師団の団員として、本来彼らが守るべき国民であるセレストに対する姿勢を取っている。発せられた言葉も魔法師団団長のワースに加え、この国の頂点たる国王の代理人としての言葉だ。

 断ればワースの面子を潰すだけでなく、報償金や感謝状を出すことを承認した国王の意思をも無下にすることになる。

 故に、セレストは報賞金と感謝状を受け取らざるを得なかった。


「有り難く頂戴いたします」


 礼儀を守りながらも不満一杯の声で応じるセレストに、ムルクやイナ、ヒューティリアまでもが笑ってしまう。

 そんな周囲を見回して眉間の皺を深めると、今度はセレストの方からムルクに、小さな袋が放り投げるように渡された。

 咄嗟に受け取ったムルクは目をぱちくりさせながら、問う視線をセレストに向ける。


「今回世話になった代金と、宿代、食事代だ」

「これこそいらないって!」


 慌てて返そうとするムルクに対し、セレストは報奨金の袋と感謝状の入った筒を左右の手に持って受け付けない姿勢を見せた。


「王都に滞在中、毎日宿を取って外食していたらその額より大きな出費になっていただろう。今回は本当に色々と世話になった。イナさんも、ありがとうございました」


 一歩下がり軽く頭を下げるセレストに追従して、ヒューティリアも「お世話になりました」と頭を下げる。

 するとムルクが「セレストが……! 俺に、感謝してるだと……!?」と大袈裟に驚いていたがセレストは綺麗に無視して、「また来て下さいね」と微笑むイナに改めて軽くお辞儀すると背を向けて歩き出す。

 ヒューティリアもその後に続いた。


「今度そっちに遊びにいくからなー!」

「来なくていい!」


 後ろからムルクが叫べば、セレストは振り返りもせずに珍しく声を張り上げて言い返す。


 そんなふたりをヒューティリアは交互に眺めた。そしてふたりの口許に笑みが浮かんでいるのを目にすると、自然とヒューティリアの口許までもが緩むのだった。

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