出会い ─セレストという名の青年─
ここはガシュレン王国という、周辺国と比して突出して良くもなければ悪くもないような、平和で平凡な国である。
そんな平和で平凡なガシュレン王国には優秀な魔法使いを擁する王国魔法師団という組織があり、セレストはその王国魔法師団に所属する魔法使い……だった。
セレストは空色の髪に新緑色の瞳を持つ、この国では珍しい寒色系の色素の持ち主で、家族はなく、捨て子だったところを師である魔法使いに拾われた。
ちなみにセレストという名は、髪色から連想して師が付けた名である。
セレストは十八歳のときに師から免許皆伝を言い渡され独立し、縁あって王国魔法師団に入団した。
六年という歳月を王国魔法師団で過ごすあいだに団の中でも五指に入る実力を誇るに至ったが、本人の出世欲のなさから役職を得るには至らなかった。
そんな日々を過ごしていたある日のこと。セレストは師から手紙で呼び出された。
ちょうど周囲から向けられるやっかみへの対処も億劫に感じていたことから、あっさりと王国魔法師団を退団。そのまま旅路についた。
王都から乗り合い馬車を乗り継ぎ、町から町、町から村へと移動していく。
そうして王都を出て半月ほど。
セレストは目的地であるフォレノの森に辿り着いた。
『おかえり』
『ひさしぶりー』
囁くような声が周囲に溢れる。セレストは軽く手を上げて応じると、躊躇なく森に足を踏み入れた。
『マールエル、セレストがいなくなってからずっと寂しそうだったよ』
『セレストが帰ってきたから、マールエルももう寂しくないね』
くすくすと、囁きの合間に笑い声が混ざる。
しかしセレストの周囲に人の姿はない。
「そうやって油断していると、いつか狩られるぞ」
セレストが呆れつつそう告げれば、声たちは『大丈夫だよ』と再び笑った。
『ぼくたち妖精の姿が見える人なんていないもの』
『わたしたち精霊の姿が見える人なんていないもの』
『ねー』
くすくす、くすくす、と姿なき彼らは楽しげに笑っている。
「王都では妖精の蜂蜜漬けや、精霊を閉じ込めた小瓶が売られていたが」
『それ、本物ぉ?』
『本当に妖精や精霊が囚われていたの?』
「俺の目が確かなら、本物だ」
セレストの言葉に、周囲に溢れていた笑い声がぴたりと止んだ。
『だ、大丈夫だよね?』
『こわーい』
『そ、そうだ。ぼく、長に呼ばれてたんだった!』
『あ、わたしもー!』
ひそひそと声が聞こえたかと思ったら、次々と気配が遠ざかっていった。どうやら棲み処に帰っていったようだ。
それを確かめて小さく息を吐くと、セレストは歩みを速めた。
目的の家は森の奥深くにあり、のんびりしていると日が暮れてしまう。日が暮れると野生動物が活発に動き出すため、安全に移動したければ日の出ているうちに辿り着かねばならない。
そうして進むことしばし。大きな泉の横に建つ、一軒の家が見えてきた。森に溶け込むような木造の、くすんだ緑色の屋根を乗せた一軒家。
セレストは遠慮なく扉をノックし、返事も待たずに扉を開けた。
「師匠、ただいま戻りました」
さっそく呼びかけてみるも返事がない。セレストの記憶にある師は基本的に賑やかな人で、自分が呼びかければ大喜びで出迎えてくれたのだが。
それゆえに、しんと静まった室内に違和感を覚える。
首を傾げながら、セレストは家の中に入った。
「師匠?」
師の春の陽射しのような淡い金色の髪を探しながら、家の中を歩く。しかしそれらしき姿が見当たらない。
一体どうしたのだろうとさらに首を捻ったところで、セレストはあることに思い至った。
(家の方にいないのなら、離れの調合部屋に籠っているのかもしれない。となると、作業中の可能性があるな。不用意に踏み込むわけにもいかないか)
そう思考を巡らせ眉間に皺を寄せたとき、調理場横にある倉庫からかすかに物音が聞こえた。
「……師匠?」
セレストは音を頼りに調理場に足を向け、ひょいっと倉庫の中に顔を覗かせ──目を見開いた。
最初に目に飛び込んできたのは、燃えるような赤い髪色。続いて物陰からきつく睨んでくる、髪色と相反するような涼やかな水色の瞳。
そんな鮮烈な印象をぶつけてきたのは、全く見覚えのない少女だった。
「……」
「…………」
互いに硬直して、見つめ合う。
そうして流れた長い沈黙のあと、先に口を開いたのはセレストだった。
難しい顔をして言葉を探し、ようやく口から出した言葉は。
「……縮みましたか? 師匠」
「あんた、誰!?」
明らかに外見年齢も髪色も瞳の色も師とは違う少女にかけるべき言葉が浮かばず、咄嗟に間の抜けた問いを投げかける。一方の少女は、セレストの問いを無視して誰何の声を上げた。
圧倒的な声量に圧されたセレストは若干後退りしつつ、思考を巡らせる。
(人間の子ども? 一体どこの──)
と、そこまで思考したところである可能性が閃き、がくりと肩を落とした。
「……まさか師匠、また拾ったのか」
セレストが独り立ちする前、師であるマールエルと共にこの家に住んでいた頃を思い出す。
さすがに人間を拾ってくることはなかったが、マールエルは親を失った生き物を拾ってきては独り立ちするまで育てるという妙な癖があった。
そのおかげで捨て子だった自分も生きながらえたのだろうが、セレストが独り立ちしたのを機についにセレストに続く人の子を拾ってきたのかと思い至り困惑する。
「無視してないで答えなさいよ!」
噛みつかんばかりの少女を無視して、セレストはリビングに取って返した。
何にせよ、状況がさっぱりわからない。自分の予測が当たっているのかも、あの少女をどう扱ったらいいのかもわからない。
ゆえに、改めて師を探そうとしたのだが、不意にテーブルに置かれた白い何かが目についた。
近付いてみると、そこには一通の手紙が置かれていた。
怪訝に思いながらも手紙を手に取る。
それは王国魔法師団に届けられた手紙と同じく、師の意匠が刻印された封蝋の付いた手紙だった。
自分宛であることを確認し、躊躇なく封を切る。そして中身を取り出すなりさっと目を通した。
──────────
我が愛弟子 セレストへ
よく帰ってきてくれた。やはり君は私の自慢の弟子だ!
本当は直接会って話したかったのだけど、時間がないので手紙で失礼する。
家に女の子がいると思うけど、彼女は私の拾い子だ。親に森の中に捨てられて行くあてもない。
そんな理由もあって彼女を私の弟子にしようと思ったのだけど……どうしても急ぎ遠出をしなければならない事情があってしばらく家を空けることになった。
なので私に代わって彼女の師となり、彼女に魔法と魔法薬作りを教えてあげて欲しい。
君は私の自慢の弟子だ。きっと私の願いを聞いてくれると信じている。
信じていいよね?
うんうん、素晴らしい弟子を持って私は幸せ者だ!
恐らく私が戻るまで、何年かかかると思う。
話が長くなるから遠出する事情については割愛するけど、その子が立派な魔法使いに成長する頃には戻れるのではないかと考えている。
どうか私に代わって、私が君に教えた全てをその子に教えてやって欲しい。
彼女が無事独り立ちできるよう、見守ってやって。
よろしく。
師匠より
追伸。
彼女には名前がないから、何か可愛い名前をつけてあげるように。
──────────
「…………そこを割愛するなよ」
いつかと同じようにどっと疲れを感じて、セレストは項垂れた。
数年単位の外出なんて普通では考えられない。
(失踪か? どうして? いや、あの師匠のことだ。最近「知の賢者唯一の弟子」とか「書の賢者」とか呼ばれ始めたから、逃げ出したくなったのかもしれない。それで、ほとぼりが冷めるまでほかの大陸に潜伏しようとか企んでいる可能性がある。師匠に本気で隠れられたら──探し出すのは、難しいか……)
はぁー、と長い長いため息を吐き出して椅子に座り込む。
セレストの師であるマールエルは名の知れた魔法使いだ。
数多くの魔法関連書籍を世に送り出した人物であり、現代魔法学を大幅に進歩させた立役者だとも言われている。
そんな彼女が実は、今は亡き希代の魔法使いにして知の賢者の異名を持つソルシスの弟子であることは最近まで知られていなかった。が、彼女の最新の著書である『時繰り魔法学』が世に出回った途端にバレた。
理由は簡単。時繰り魔法を編み出しておきながら、その知識を一切漏らさなかった人物が知の賢者ソルシスであり、時繰り魔法の概念を伝えられるということは則ち、ソルシスから時繰り魔法を伝授された人物であるという証しだからだ。
物の時の流れを遅らせるこの時繰り魔法は、概念が理解できたからと言ってほいほい使えるような代物ではない。使えたところでできることと言えば、物質の劣化速度を遅らせることくらい。
難易度に対して効果が釣り合わないのだ。
……というのは表向きの話。
そのことを知るセレストもまた、「書の賢者」と呼ばれている魔法使いマールエルから時繰り魔法の全てを伝授された人間のひとりだった。
この魔法が編み出された最大の目的は、時間の遡行だ。なぜソルシスがそんな魔法を編み出したのかは不明だが、真の時繰り魔法が門外不出である理由はそこにある。
マールエルが著書に記したのはあくまで漏れても構わない部分である劣化防止魔法のみだ。しかし、時繰り魔法は人間を若返らせることが可能な領域にまで発展させることができ、実際にその手法は完成されている。
実行には特殊な手順や一定以上の素質、滅多に出会えない精霊からの助力に加えて莫大な代償も必要となるのだが、もし真の時繰り魔法の存在が世間に知れたらと思うと……。
ぞっとして、セレストは思考を打ち切った。
若さを求めて殺到する欲に塗れた人々の姿が容易に想像できてしまい、身震いしたところで「ん?」と声を上げて改めて師の手紙を見遣る。
手紙には「私が君に教えた全てをその子に教えてやって欲しい」とある。
それはつまり、超高難易度であり門外不出の魔法でもある真の時繰り魔法も教えろ、ということだろうか。
(面倒くさい)
セレストの感想はこの一点に尽きる。
魔法の初心者にそこまで教えるならば、自分が師から教えを受けたのと同程度の時間をかけて魔法を懇切丁寧に教える必要がある。
向いてない。圧倒的に向いてない。
しかし。
セレストは眉間に皺を寄せながらも、視線を調理場横の倉庫へと向けた。倉庫からは少女が顔半分を覗かせて、こちらの様子を窺っている。
眉尻こそ吊り上がっているものの、どことなく怯えているような目。
セレストはふぅ、と何度目ともわからないため息を吐くと、椅子から立ち上がった。
「俺の名前はセレストだ。お前の名前は──」
問いかけて、途中で言葉を切った。
師の手紙、その最後に書かれていた文言が脳裏を過ったからだ。
「──名前がないというのは、本当か?」
気を取り直して問いの内容を変えてみれば、少女はセレストを睨みながらも、やや間を置いて小さく頷いた。
その様子を見て、セレストは眉間の皺を指で揉み解す。そして考えた。
(名前がないと不便だろう。師匠の言葉に従うなら、何か名前を考えなければ)
そうして考え込んでいると、視界の端に本棚が映り込んだ。導かれるようにそちらを見遣れば、とある絵本の背表紙が目に飛び込んでくる。
「……ヒュー。ヒューティリア、でどうだ?」
改めて少女に視線を向け直して問いかけると、少女は訝しげに首を傾げた。
「名前だ。お前の。気に入らなければ別のを考えるが」
そう告げれば、相変わらずセレストを警戒していた少女の瞳がぱっと輝いた。けれどすぐに表情を引き締め直し、またもやじっとセレストに警戒の眼差しを向けてくる。
セレストは仕方なく本棚に向かい、先ほど目についた絵本を引っ張り出して少女に歩み寄る。そして絵本を差し出した。
「『森の中のヒュー』だ。お前はこの本の主人公に似ている」
名の由来を伝えると、少女はおずおずと手を伸ばして絵本を受け取った。そして表紙に描かれている妖精の姿を見て目を瞬かせる。
表紙に描かれている妖精は少女とよく似た鮮やかな赤い髪を肩まで伸ばし、少女よりも濃い青い瞳を細めて幸せそうに微笑んでいた。
少女は改めてセレストを見上げ、再び絵本に視線を落とす。それを何度か繰り返したあと、自分を見下ろしている青年を見上げ、気の抜けたような顔で「その名前でいい……」と呟いた。
 




