魔法の基礎 その1
「今日こそ魔法の勉強がしたい!」
時刻は朝食にちょうどいい頃合い。ヒューティリアが勢い良く挙手しながらそう訴えた。
今正に食卓に朝食を並べ終えたところだったセレストは、ヒューティリアの勢いに圧されて僅かに身を引く。
「そのつもりだが」
「良かった。でもライアーも教えてね」
「やる気があるなら」
「ある!」
ぐっと胸の前で拳を作ってみせるヒューティリアに、相変わらず元気だなと思いながらセレストは食卓に着いた。向かい側ではヒューティリアも席に座って元気よく「いただきます!」と言って、いつも通りパンに手を伸ばす。
こうして毎日観察していると、ヒューティリアには決まった手順を踏む癖があることに気付く。
朝食はまず最初にパンを手に取って食べる。他の食べ物も順に食べるけれど、最初は必ずパンから。
読み書きの勉強をしていた時も、セレストが何も言わずとも毎日最初にこれまでに覚えた文字を書き、それを読むという手順を踏んでからその日の勉強に取りかかる。
畑に種や苗を植える時も必ず右手手前から始めていた。
セレストも守らなければならない手順はしっかり踏むようにしているが、余程効率的な手順でもない限り普段からきっちり順序を決めて行動することはない。
「どうしたの?」
何気なくヒューティリアの観察をしていたら、食事の手が止まっていた。
声をかけられてそのことに気が付くと、セレストは「何でもない」と答えて食事を再開した。しかし思考は続く。
(この気付きが何の役に立つのかわからないが、覚えておいた方がいいだろうか。覚えていた方がいいのであれば、頭の中に入れておくのも限界がある。いっそ日誌のようなものでもつけて書き残しておくか……)
そこに思い至ったところでふとある物の存在を思い出し、書棚の方へと視線を向けた。
先日目にした『子供とのつきあい方』という本。もしかしたらあの本は、似たような考えから書かれたものなのかも知れない。字に見覚えはないけれど、この家に置かれた手書きの本という時点で書き手は大分絞られてくる。
(あの本は、もしかして────)
「セレスト、あまりゆっくり食べてるとスープが冷めちゃうよ?」
再び手が止まっていたようだ。ヒューティリアに指摘されて食事を再開すると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
『どっちが子供なんだか』
『ねぇ?』
『ふふっ、可笑しい』
これにはセレストも反論できず。以降は食事に集中することにした。
食事を終えると、まずは泉の横でライアーの練習を始める。
「楽器を扱えるようになることも、魔法を使う上での基礎になる」
とは言ってもその更に基礎として、ひとつひとつの弦の音階の調整が出来るようにならなければいけないので、調弦から教えることにした。しかしここでセレストは教える手順を間違える。
「まずは、弦を決まった音階になるように調整する」
「……音階って何?」
正に基礎の基礎。音楽について何の知識もなければ言葉の意味が通じないもの当たり前だった。
セレストはそうか、そこからかと内心唸る。思い出してみれば、自分も最初は実践を交えながら用語を教えて貰っていた。
「音階って言うのは、音を高さ順に並べたもののことだ。例えば──」
と、セレストは自らのライアーを音程の低い順に鳴らしていく。
「音が低い順になってる!」
「この音のひとつひとつに名称がついていて、その名称と記号を覚えないと楽譜……曲が書き記されているものが読めない」
「……難しそう」
これまで常に前向きだったヒューティリアが、珍しく及び腰になった。
あれだけの早さで文字の読み書きを覚えたのだから、同じ調子でやればそう苦戦はしないだろうと考えていたセレストは意外に思いつつ口を開く。
「俺でも覚えられたから大丈夫だろう」
「それ、何の励ましにもなってないんだけど」
ヒューティリアから見たらセレストは何でも出来る人だ。なので素直にそう告げれば、セレストは眉間に皺を寄せて「そうか?」と僅かに首を傾げた。
「まぁ、急いで覚える必要はない。時間をかければなんとかなるだろう」
気を取り直してセレストが音の名称をひとつずつ教え始めると、ヒューティリアも真剣にセレストの言葉とライアーから響く音に耳を傾ける。
一通り教え終えると、一度の説明では覚えられないだろうと、今度は調弦も併せて行いながら反復した。
調弦に必要な道具をヒューティリアにも持たせ、繊細な調整が必要であること、ピンを回し過ぎると弦が切れることを念入りに伝え、セレストが見本を見せる。
安全を期して音の低い方から順にやらせてみると、ヒューティリアは繊細な作業に向いているのだろう。元々飲み込みが早いことも相俟って、順調に調弦が進んでいった。
思いの外早く調弦を終えたので簡単に弦の弾き方を教え始めたのだが、ちょうどそのタイミングで太陽が天頂に昇った。ヒューティリアのお腹がぐぅと音を立てる。
「午後は魔法の基礎を教えるつもりだったが、このまま午後もライアーの方を続けるか?」
「えっ……」
ヒューティリアがあまりにも真剣に学ぼうとしているので、このまま続けるか、一旦中断して魔法の勉強に切り替えるかの判断をヒューティリアに委ねる。
するとヒューティリアは小さく声を漏らしたまま黙り込んでしまった。鈍いセレストから見てもわかるほど、その瞳からは迷いが見て取れる。
「……なら続きは明日にして、午後は魔法の勉強に充てる。とりあえず昼食にするか」
「うんっ」
ヒューティリアが迷うなら予定通りでいいかと思い、セレストは泉の方へと向き直った。そしていつも通り一曲奏で、その後ヒューティリアが辿々しく音を低い順に鳴らす。
とても曲とは呼べないが、既にヒューティリアのことを気に入っている精霊たちは『頑張れ頑張れ!』と声援を送っていた。




