始まりの手紙
コンコン、と控えめに扉がノックされる。室内で本を読んでいた青年はちらりと扉に視線を遣るも、すぐに手元の本へと視線を戻す。
するとしばしの間を置いて、再びコンコンと扉がノックされた。
「セレスト、いるんだろう? ていうか、いるのはわかってんだからな。無視するなら勝手に入るぞー」
扉の向こうからかけられた同僚の言葉に、セレストと呼ばれた青年はため息をひとつ。重い腰を上げた。
しかし億劫そうな動作で扉に手をかけた瞬間、向こう側から扉を押されて後退る。
「お、なんだ。出るつもりがあるなら返事ぐらいしろよー」
結局勝手に入ってきた同僚にセレストは眉間に皺を寄せた。しかし大柄な同僚は気にした風もなく陽気に笑うばかり。
「ムルク……用件は何だ」
「おう。お前に手紙だ」
ムルクと呼ばれた同僚の男は手に持っていた封筒をセレストに差し出した。
自分に手紙。
思い掛けないものを目にして内心では驚いたものの、表情を動かすことなく封筒を受け取る。しかし背面の封蝋を目にした途端、嫌なものを見たような表情になった。
その封蝋には、大樹と本の意匠が刻印されていた。
「封蝋なんて珍しいもんついてるなぁ。ついにお前もお貴族様から目を付けられて、引き抜きのお誘いがきたのかもな!」
がっはっはと豪快に笑うムルクを無視して、セレストは封を切って中身を取り出した。目の前に同僚がいようとお構いなしだ。
そうして確認した内容は。
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我が愛弟子 セレストへ
急で悪いけど、大急ぎで帰ってきて欲しい。
素直で優しい私の自慢の弟子である君のことだから、きっとすぐに帰ってきてくれるだろう。
きてくれるよね?
うんうん、素晴らしい弟子を持って師である私も鼻が高いよ!
それでは、久々の弟子との対面を楽しみに待っています。
師匠より
──────────
あまりにもあんまりな内容にどっと疲れが押し寄せる。
襲いくる疲労感に、セレストはがくりと肩を落とした。
「おーおー、どうした急に老け込んで。そんなに条件が酷かったのか?」
「違う。師匠からの呼び出しだ」
「師匠? あぁ、そう言えばお前、魔法は学園じゃなくて魔法使いに師事して学んだんだっけか。その師匠から呼び出しとは……っていうか、あれ? さっきの封蝋の印、どっかで見たことあるような??」
ムルクが顎に手を当て首を捻る。
しかしセレストはそんな同僚を再度無視して、険しい表情を浮かべながら思考した。
(師匠からの急な呼び出し。行ったところでろくでもない話を聞かされそうな気もするが、無視するわけにもいかないか。どのみち王国魔法師団に長居するつもりもなかったし……ちょうどいいと言えばちょうどいい)
そう決断するなり、セレストは大柄な同僚を見上げた。
「ムルク」
「んぉ?」
「退団届けの書き方を知っているか?」
「はぁっ!?」
同僚を驚かせたことなど気にも留めず、セレストは退団届けを書くための紙を探し始めた。
「おいおい、セレスト。急に退団って……再就職の宛はあるのか?」
「魔法薬が作れる。仕事なんてどうとでもなるだろう」
「マジか、魔法薬作れるのはすげぇな。でもお前のその愛想の無さで客はくるのか?」
「……魔法薬が本当に必要な人間なら、俺の愛想なんてどうでもいいだろう」
「そんなわけあるか! この甘ちゃん!」
頭を抱えた同僚を再々度無視して、セレストは取り出した紙をずいっとムルクに突きつけた。
「早く退団届けの書き方を教えてくれ。明日にでも出発したい」
「お前馬鹿なの!? 明日退団届けを出してすぐに団から抜けられるわけねぇだろうが!」
「ワース団長なら事情を話せばすぐに承認してくれるはずだ」
「んなわけあるか!」
「いいから早く教えろ」
セレストは考え直せと喚く同僚をせっつき、退団届けの書き方を教えて貰うなりさっさと部屋から追い出した。そして自分以外誰もいなくなった部屋で、丁寧な文字で退団届けを書き上げた。
そして翌日。
ムルクの常識的な予測に反して、王国魔法師団団長であるワースはセレストから退団届けを受け取り、事情を聞くなりその日のうちに退団することを許可した。
「お前ほどの魔法使いならいつでも歓迎だ。戻りたくなったらいつでも戻ってこい」
ワースからそう言われたものの、セレストは淡々と「お世話になりました」とだけ告げて、すでにまとめていた少ない荷物を背負って王都をあとにした。
────秋の始まり、まだ暑さが残る季節のことだった。