蒴果はじけて/すだち誘う
君の全てを愛する。
綺麗事だと誰もが冷やかな感情を抱くこの言葉に憧れていた。
いつか。自分にも好きな人ができたらこの言葉を贈ろうと決めていた。
あの頃の憧れや決心は叶わない今も、心のどこかに性懲りもなく潜んではいる。
でも風化するだろう。
気付かない内に。
そしてきっと新たな言葉に憧れを抱く。
だから今はこの言葉を信じて突き進もう。
「あれはあれ!これはこれ!」
自室の塩神様が宿っている神棚に参拝して、いざ参らん。美影の舞台へと。
この暑さも俺の熱意には敵わない。
玄関を開けた途端に襲い掛かる夏の熱気へと不敵な笑みを向けて歩き出した。
コンビニエンスストア「たけ」に隣接するこじんまりした一軒家の一階、居間にて。
「店長。今月分と今日のチケット」
「うん。確かに受け取りました」
僕はお金とチケットがそれぞれ入っている封筒二通を美影から受け取り、一通の表面に年月日と入っている金額、もう一通には年月日と舞台の演目名が、裏面には共通して僕と美影の名前が書いてあるのを確認してから懐にしまうと、ポケットからガマ財布を取り出して、チケット代三千五百円を美影に手渡した。
最初はチケット代は要らないと言われた。利子分だと。でも、嫌だちゃんと払いたいと言えば、気難しそうな顔をしながらも受け取ってくれた。
今もほんのちょっと納得していない顔をしている。
払いたい理由をきちんと伝えていないからだろう。
代理人の僕が言う事ではないと伝えられていない。
誇らしいと。
他人が言うべき言葉ではないだろう。
出会って十一年の月日が経ったけど、線引きは曖昧なまま。
関係は義理娘と義理父親とでも言うべきか。
美影と彼女の両親、双方から乞われて父親の代理人をしている。
現在進行形だ。
「あと、これもお願いします」
向かい合うソファに座っている美影から、もう一枚同じ封筒が手渡された。さっき受け取った物とは違い、表にも裏にも何も書かれていない。伝わるのは厚みと重み。
「ちゃんと届けるからね」
「ありがとうございます」
笑って、同じ懐にしまえば、美影は力を抜く。
毎月同じやり取りをしているのに、美影はこの瞬間いつも緊張する。
「アルバイトのシフト表。渡しておくね」
「はい」
「…美影が家から出て行って寂しいなあ」
おどけて見せるのは、儀礼的なやり取りのおしまいの合図。
シフト表を見ていた美影はそれを机に上に置くと、微笑んだ。
「誰も彼も茶室に引き連れてないだろうな」
「我慢しているよ」
「ちゃんと布団の中で寝ているか?」
「善処します」
「パートのおばちゃんたちの差し入れは食べているか?」
「食べているよ」
水だけで自分は生きていける。
そう思い込んだのはこの店を始めてからそう幾分も経っていない頃。
他店より搬入する品物の数を制限しているけれども、どうしたって食料廃棄物は出る。
毎日毎日捨てられていくそれらを見ている内に、何故か食欲不振に陥った。
水だけが生命線で、これだけで生きて行けると思い込めば、不思議とどうにかなった。
これぞ生命の神秘と感激していたけど、一か月後には倒れてしまった。
それからパートのおばちゃんたちが交代で差し入れをしてくれる。
少量のおかずと味噌汁と一個のおにぎりを。
店の商品は未だに食べられない。
「美影の舞台楽しみだなー」
「毎回来なくてもいいんだが」
「やだねー。僕の数少ない楽しみを取らないでくださいー」
チケットを死守せんと両腕を交差させて胸に押し付ければ、美影は気難しそうな顔を向ける。きっと、照れているんだろう。
普段の気取っている姿もだけれども、こういう時の美影も可愛い。
(可愛いのに)
どうしようもない父親を思い浮かべて、影が生まれる。
他人には分からないと言われれば、そうだろうと頷くしかできないけれど。
「今回のおはなしは、美影初主役だったよね」
気持ちを入れ替えて、机の上に置かれた台本に手を伸ばす。
美影は本番の日。僕の都合が合えば家を訪れて、芝居の流れを一緒に再確認する。
美影の役は今の処、全部が言葉を発しない者ばかり。
だから、脇役ばかりだった。加えて、男装。
今回も言葉を発しない。一時間半。芝居の間中ずっと。主役だから当然出る時間は多いにも拘らず。
初主役。でも、もう一人の主役が緊張を和らげる効果をもたらしてくれるだろう。だから、始まりさえすればきっと大丈夫なのだけれど。
美影の緊張が毎回移る僕は台本の内容を語りだした。
芝居の流れの再確認と、ほんの少しでも緊張を解く為に。
美影演じる言葉を発しない雷斗ともう一人の主役が演じるお調子者の楽都、腕の立つ岡っ引きである男二人が盗まれた金塊を捜していくコメディタッチな物語。見せ場は二人の息ぴったりの掛け合いで、その最たるが殺陣である。
言葉を発しなくても存在感を発揮している美影と、言葉を発せなければ存在感を発揮しないどころか舞台の風景に同化してしまう森太郎。
立っているだけでも絵になるほどの魅力と言葉を届ける力と。それぞれが補っても今はまだ二人合わせて漸く一人前になったかどうか。
支えて、支えられて。
(気持ちがいいのよねー)
みなぎる活力をもたらす春一番。心を浮き立たせる青の息吹。温かくても暑くても涼しくても寒くてもそれは失わせない。
湿り気が皆無なのはこれからの人生経験値及び稽古でどうにかなる、はず。
「美影。太郎。お疲れ様」
幕を閉じて、控室へと戻って来た二人を労う。
畳の上に寝転びたいのを堪えているのは明白な二人に、楽な格好をしてもいいと言っても素直には聴き入れない。
正座をして感想を待つ彼らの要望通り、表情も動きも言葉も全部が硬かったとばっさり笑顔で酷評する。息はぴったりだったけどとほんのちょっと褒めもする。
舞台上では言葉を発しない限り存在感が限りなく希薄な太郎も、こうして地上に降り立てば普通に認識できる一人の男性。日本人特有の塩顔で長髪、ちょっとが前につく綺麗系のイケメン。年は二十歳。背も、大学に行かずにアルバイトと舞台俳優の二足草鞋を履いているのも美影と同じ。
とりあえず今回は一日お試しの舞台だった。
まだまだ主役に抜擢するのは早かったのだが、お客様の要望を受け入れた結果だ。
(まあ。多分。絶対。要望書は届くでしょうけど)
今度は一日と言わず通常よりも短い期間でやってみよう。
けれどもその為にも、
「二人とも体力と精神力をもっと鍛えないとねー」
傍目には平気そうに見えても、この二人は緊張症。とは言っても、舞台上で必ず成功させなければと言う重圧に限るけれど。当たり前な事。でも異常にそれが強い。
精神の負担は肉体へも伝わる。だからこそ、今のこの疲労困憊の状態。顔色も悪い。
重圧だけを感じて欲しくない。もっと楽しんでくれればいいのに。お客様と一緒に。
初舞台を終えたばかり。今はまだ言う気はない。
「はい。私からは以上。お客様の見送りに行ってらっしゃい」
手を叩いて、出ていく二人の後を追う。
「おねえちゃん。もー、完璧」
若い女性が目立つも、老若男女のお客様が訪れてくれた。
市民会館の百人座れる小ホール。お試しなので、規模はかなり小さくしたけれど、立ち見の人もいたし、今回の反応を鑑みて、舞台規模も大きくしても構わないのかもしれない。
次回に向けて色々思考を巡らせながら、美影と太郎、他の舞台俳優たちを囲む人から離れて見ていれば、興奮冷めやらぬ様子で、姪の奈古が突進してきた。
「もー、なになになに!あの初々しさ!たどたどしさ!可愛い!かっこいい!」
「はいはい。落ち着きなさい」
舞台俳優としては頭を抱えてしまう感想にも、美影ファンとしては同意見。
一期一会。次にはもう見られない。目がどれだけ充血しようが構わないと、瞬きを極力控えた。
本当なら姪とキャーキャー騒ぎ立てたいが、今はまだ早い。帰ったら思う存分語り明かそう。姉に白い目で見られようが関係なし。
「美影って叫びたくて、叫べなくて。殺陣の時なんて意識は引き込まれるし、身体はうずうずするし、瞬きしたくないし。なんなん!あの日常的なやり取り!『醤油使うか』『こくん』って。『こくん』って。なにあのあどけない仕草!もー、しんどい素敵!」
「美影。いるでしょう。その情熱ぶつけてくればいいじゃない」
「むりむりむり!今は直視できん」
「いつになったら挨拶できるのかしらね」
「あー、もう。したいのにできん」
顔を両手で覆って左右に振る奈古に苦笑しつつ、後ろへと視線を動かす。
そうすれば、ぽーっと魂を抜かれたように呆けるちんちくりんが視界に入る。
女だ男だ悩んで美影への想いをぐらつかせるような大莫迦者。
正直見ていたくないし、即刻ここから叩き出したい。
「美影。声を掛けなくて言いわけ?」
「あ、いえ。今は俺も無理です」
あ。だめだ。塩を叩きつけたい。頬を染めて身体をもじもじさせてんじゃねー俄か乙女かって放り投げたい。
「奈古。ちょっとごめんね」
意図して、二人一緒にいる美影と太郎を見れば、限界と察知。
奈古たちから離れて、ごめんなさいと、通してくれるようにお願いしながら彼らに近づいて捕まえてはその場から一緒に離れた。
「義信」
「ちょっとだけ話して帰ろうとしたんだけどここで待っていてくれって言われて」
控室に戻ってみれば、幼馴染の田中義信が待っていた。
姿勢正しく正座になっている彼は、小中高大と同じ学校を通った年季の入った幼馴染で、就職してからは連絡するだけになっていたけれど、今では時々こうしてまた顔を合わせるようになった。コンビニエンスストア「たけ」の店長をしている。
「店長」
「寝ていていいよ。太郎君も」
優し気な微笑は怖くもあり、不思議と素直に受け入れられる要素を持つみたい。
二人はお辞儀をして畳の上に寝転がり、数秒も経たずに寝入ってしまった。
「妬けちゃうわねー。美影も義信には素直なんだもの」
「一応義理の父親だしね」
「…なにその控えめ発言。もっと胸張りなさいよ。美影の父親ですって。どうせあの莫迦は……今言う事じゃないわね」
「いや。安心した。美影も菜乃がいてくれてすごく心強いと思っているよ」
当たり前、と胸を張って言葉を紡いだ。
「病院に連れて行ってくれない?多分、不安が原因であまり食べてないのよ」
「うん」
常と言うに近い時間を食事へと宛てる。
しかも温もりをできるだけ感じさせない無機質なものを食べる。
前者は先天的なもので、後者は後天的なもので。
この病気を治す事はできなくても、他にできる事がある医師がほんの少し羨ましく思う。私は総てを知っていて、それでも、力になれる事はほぼない。
「あーもー。食べちゃいたい」
鬱屈した気持ちを切り捨て美影に視線を固定する。可愛い寝顔に本音が零れ落ちた。
「……美影の事は諦めてください」
「かっちーん。そんな不安そうな声を出すなんて。なによ。私の何がいけないのよ」
「…相性?」
「真面目に答えるなっての」
漫才みたいなやり取りをしてから一時、美影と太郎が目を覚ますまでお互い自分たちの近況をじっくり語り合った。声を落として。常に一緒にいたあの頃のように。
誇らしい。
身内が称える際、使うに相応しいその言葉。
では他人はどの言葉を使えばいい。
それとも、他人でも使ってもいいのだろうか。
声に出せないのなら、せめてお金にして届けたい。
躊躇してしまう言葉を。
砂塵のような虚しさや寂しさには見て見ぬ振りをして。
「なぁなぁ。ファンクラブってどうすれば入れるんだ?」
「毎月十万円の会費が必要よ」
「っ十万……高額バイトを探せば、」
「おねえちゃん、嘘言ったらあかんやろ。渚君も。そないほいほい信じたらあかん」
美影は義信と、太郎は一人で帰って行くのを見届けてから、市民会館の出入り口近くの待合室に向かえば待っていたのは奈古だけじゃなくちんちくりんもで。
三人そろって駅へ向かう途中のこの問い掛けに嘘をつけば、奈古に諫められるけど、反省の色なしと舌を出す。もー大人げない、との咎めの一言にもそっぽを向く。
(…案外期待値ゼロの人間がやっちゃったりするのよねー)
奈古のファンクラブの説明を熱心に聴き入れるちんちくりんを横目に、首を大きく振った。
(2017.5.30)




