切断
小説現代の「ショートショート・コンテスト」に先月応募した作品です。
木枯らしが吹く快晴の朝。兵庫県明石市の山陽電鉄人丸前駅で、修太はいつも通り通勤電車を待っていた。駅のホームには東経135度子午線と記された白タイルでのラインがある。修太はラインのすぐ東側にいた。この位置だと降りる駅での改札口に近いからだ。
(お前とは距離を置きたい……)
昨晩の自分の発言が頭から離れず、修太は再びため息をついた。恋人の玲菜との喧嘩で思わず言ってしまったのだ。どう謝ろうかとメールの文句を考えながら、ポケットからスマホを取り出そうとした。
その時、一瞬だけ西側が真っ暗になった。えっと顔を上げると鬱蒼としたジャングルに代わっている。真夏の日ざしで、風が熱い。動物の甲高い奇声がうるさいほど聞こえ、派手な色の鳥が飛び交っている。
修太は声も出なかった。何が起こったのか分からず、立ち尽くしたままだった。揺れはなかった。音もなかった。なのにまるで地面を入れ替えたかのように風景が一変したのだ。
女性の悲鳴で修太は我に返った。子午線ラインを境に地面が入れ替わっている。つまり東経135度の西側がジャングルになったのだ。北側で広がる丘陵地帯の、東側の地形はそのままだが、ジャングルとの境目部分がざっくりと切断されていた。南側では明石海峡がジャングルで閉ざされ、淡路島の山も無残に切り取られている。
「あ、会社」
ざわめきの中で修太は声を上げた。勤務先はジャングルになった場所にある。電話をするがつながらない。スマホから目を離そうとした時、恋人の顔が浮かんで血の気が引いた。
「玲菜!」
彼女の家も勤務先も西側だ。震える指で画面をタッチしたがやはり通じず、頭を抱えてしゃがんだ。消えた西側はどこかで存在しているのだろうか。二度と会えないのだろうか。色々な考えが頭を巡るが、あまりにも非現実的な事態に思考が働かなかった。修太の家は子午線の東側である。部屋のテレビで事態を見守ろうとコートを脱ぎ、駆け足で改札へ向かった。
「今、入ってきたニュースです……」
修太は飛び起きた。いつの間にか眠っていたのだ。時計を見ると夜中の三時過ぎ。異変から15時間経っている。
「嘘だろ」
画面を見て叫びそうになった。衛星写真が異様な地形を示していたからだ。東経135度の東側が南へ約五千キロも移動している。南米大陸の大部分が北大西洋に面していた。オーストラリア大陸は二分され、西半分の東側には小笠原諸島があり、東半分は南極と接していた。日本も二分されている。西日本の東側は北極海となり、修太がいる東日本は赤道付近に移動していた。
衛星電話で西日本の無事が確認されたとのニュースはすでに知っていたが、玲菜の安否が心配でならなかった。インフラが寸断されたり、建物が崩壊したりと、切断地帯での被害がこちら側でも多数報告されているからだ。
(お前とは距離を置きたいと言った。だからこんな事態に……)
一日中そんなことを考えていると、急に日ざしが弱まったのに気づいた。窓から西側を望んで驚愕した。ジャングルではなく荒涼とした大平原になっていたからだ。ニュースがシベリアだと報じた。そして次は、秋田の男鹿半島から岩手県北部にかけての旧北緯40度以北が、ロッキー山脈と隣接したという。
繰り返しの切断で世界は混乱し続けた。各地で暴動や発狂者が続出した。ただ、最初の切断から48時間経つと地形は元に戻り初め、三日目には完全に復旧した。
事態が収まったとのニュースを聞くやいなや、修太は玲菜の家へ猛然と自転車をこいだ。電話は使えないので安否は分からない。途中、自転車でこちらに向かってくる彼女の姿があった。修太は名前を叫びながら蹴るように自転車を降り、泣いている彼女に駆け寄った。
「距離を置きたいなんて、もう二度と言わないから!」
彼女を思いっきり抱きしめながら修太は何度も叫んだ。
「ほら、どうだ」
「パパ凄い! 僕は全然できなかったのに」
「久しぶりだから、ちょっと手こずったな。でも、もうこれで遊んじゃいけないよ。悪いやつが作った危ないオモチャだからね」
「どう危ないの?」
「この球体ルービック・キューブを動かすとね……」
書斎の鍵のかけ忘れに気をつけねばと、息子に説明しながら魔界の大王は深く反省した。




