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「あれ?あそこ、誰か倒れてる?」

 山道を半ばほど下ったところで、眞波先輩が声を上げた。少し前まで聞こえていた奇妙な音はなくなり、今は虫や鳥や葉音といった自然の音だけだ。足元に向けていた注意を、眞波先輩が指し示す方に向ける。

 ……ふむ。この場所からだと足しか見えないが、確かに誰か倒れているようだ。そして、ぴくりとも動く気配がない。足を滑らせて転落し、気絶でもしてしまったのだろうか?それとも――

(……正直、関わり合いたくないなあ)

 気づいてしまった以上仕方ないが、麓についてから匿名で110番して警察に丸投げしたい気持ちに駆られる。

 しかし、今の俺にその選択することは絶対不可能だ。なぜならば――

「ちょっと山道から外れるね。マモルくんは待ってて」

「……こうなるよなー」

 ザ・お人好し:足柄眞波が見て見ぬふりをするわけがない。荷物をそのあたりに放り出して、服が汚れるのも構わず斜面を下りていく。

 こうなっては男のプライドとして、傍観しているわけにもいかない。先輩に倣って荷物を放り出し、体勢が崩れないように注意しながら斜面を降りる。

 俺がついてくることを気配で察した先輩が振り向いた。

「無理して一緒に来なくてもいいよ?マモルくんが足を滑らしたら大変でしょ?」

「そう思うなら、体を支えてもらえると嬉しいんですけど?あと、あの人の様子は俺が見るんで、マナミ先輩は少し後ろで待っていてください」

 眞波先輩は少し迷ったあと、しょうがないなーと言いながら、困ったような顔で俺の体を支える。その際、胸が俺の腕に当たり……俺は自分の腕が義手であることを激しく呪った。

「……ああ、ここまででいいです。マナミ先輩はここで待っていてください」

「え?でも――」

「こういうことには俺の方が慣れてますから。俺がいいというまでここから動かないでください」

 倒れている人間の姿がはっきりと見えない位置で先輩を待機させ、俺は一人で近づく。おそらく、眞波先輩はあの人が怪我で動けなくなっていると思っているのかもしれないが、俺はそう思っていない。

 たぶん、死んでる。転落したと仮定するなら、頭の打ちどころが悪かったのか、首の骨を折ったのかはわからないが、死んでいるのは間違いないと思う。

 どうしてそう思うのかと聞かれればはっきり答えられるような根拠はないが、俺の中でほぼ確信に近い事項だった。

 ならば、眞波先輩に見せるわけにはいかない。俺は八年前の脱線事故で大量の死体を見たことがあるが、はっきり言ってトラウマものだ。本物の死体っていうのは映画に出てくる死体みたいに綺麗なものじゃない。見ないで済むならそれに越したことはない。


「……なんだよ、これ」

 結果として、俺の予想は半分当たりで半分ハズレだった。

「マモルくん、どうしたのー?」

「来ないでください。彼はもう死んでます」

 俺の言葉に眞波先輩は息を呑むが、俺にはそんなことを気にしている余裕はなかった。

 その死体――自衛隊の服を着た男の死に様があまりに異様だったからだ。頭を打っただとか首の骨が折れただとかそんな生易しいものじゃない。

 体中にあるいくつもの深い切り傷、四肢は左腕を除いて折られており、顔面は何度も殴られたように腫れ上がっている。そして、それら以上に尋常でなかったのが、ぽっかり空いた胸の傷だ。腕一本通るほどの穴が胸部に空いており、向こう側が見えてしまっている。おそらく、この胸部の傷が死因だろうが、どうやってこんな穴を空けたのか見当もつかない。そして、これらのことから最悪の予想をすることができてしまう。

(これ、明らかに遊ばれてやがる)

 胸部以外の傷は、ひどいものの死にはしないていどのものだ。専門家ではないので推測になるが、拷問まがいの手法で痛めつけられたあと、胸部を貫かれて殺されて死んだとみるのが正解だろう。

(胸部の傷からして、なにかの動物?……いや、人間だな)

 唯一無事である四肢――左腕にはナイフが握られている。力尽きるその瞬間まで必死に抵抗したのだろう。死してなお、しっかりと握りこまれていた。……そして、これはおそらくわざとだ。あえて抵抗できる余地を残しておいて、その無力さを嘲笑うために左腕だけ折らなかったのだ。

 獣が獲物で遊ぶことはありうるが、こんなことはしない。これをするのは知能と残虐性を合わせ持つ人間だけだ。

 野生動物も怖いが、人間は別の意味で怖い。冷や汗をかきつつ周囲を見回す。幸いにも、自分と眞波先輩以外の姿は見えない。しかし、一刻も早くこの場を離れなくてはならない。

「行きましょう、マナミ先輩。早く麓に降りて警察を呼ばないと」

「え?あ、うん。じゃあ、荷物を取りに――」

「荷物は携帯だけあればいいです。一刻も早く山を降りる必要があります。ついてきてください」

 目を白黒させる先輩に、ついてくるように顎で示す。こんなとき、無理やり引っ張っていくことができないことが非常にもどかしい。内心の動揺を隠し、眞波先輩に移動を促す。

 だが、表面上は冷静を装いつつも、実際には全然冷静なんかじゃなかった。ただでさえ両腕がなくてバランスが悪いのに、別のことに気を回しながら山道で早く動けるわけがない。あっ、と思ったときには、バランスを崩して地面に倒れてしまった。

「マモルくん!?大丈夫!?」

「……大丈夫、です」

 全然大丈夫じゃない。うまく受身が取れないから、めちゃくちゃ痛い。あと、眞波先輩に恥ずかしいところを見られて、精神的にも痛い。

 慌てた眞波先輩が近寄る前に、義手で地面を掻いて自力で身を起こす。そのとき、地面についた義手がガツンと金属音を立てた。

「ん?」

 手元を見てみると、地面から金属製のなにかが覗いていた。地面に埋められていたものに偶然手をついてしまったようだ。

「なんだろ、これ?」

 同じくそれの存在に気づいた眞波先輩が、土を払い除けて埋まっていたものを確認する。それほど深くには埋まっていなかったので、簡単に取り出すことができた。

 それは金属製のアタッシュケースのようだった。鍵がかかっている上、非常に頑丈そうで開けられそうにない。そんなに古いものには見えないし、なんでこんなところに埋まっていたのか疑問ではあるが、今はそんなことを気にしている状況ではない。

「マナミ先輩、そんなの放っておいて、早く――」


「なぁんだ、そんなところにあったのか」


 ざっ、と土を踏みしめる音ともに、聞き知れぬ男の声が鼓膜を打つ。

 反射的に振り返ると、そこにはホスト風の容姿をした軽薄そうな男が立っていた。男の背後では、コンビニ前にたむろしてそうなチンピラたちがにやにやといやらしい顔でこちらを――正確には眞波先輩を舐めまわすように見ている。

「なっ――」

 こいつら、いつからそこにいた?ついさっきまで、近くに誰もいなかったはずなのに。

「やっぱ近くにあったじゃねえか。ったく、無駄な時間とらせやがって」

 ホスト風の男が、自衛隊員の死体を蹴り飛ばす。遺体は軽く三メートルは宙を舞い、俺たちの眼前に転がされた。その無残な死体を見た眞波先輩が、ひっ、と悲鳴を上げた。

「さんざんだんまり決め込んどいて、結局見つけられてんだから、こいつ、本当に馬鹿だよなー。無駄に痛めつけられただけで、ほんと、馬鹿だよ、馬鹿」

「実はドMだったんじゃないすか?」

「男に痛めつけられて喜ぶなんて、とんでもない変態野郎だな。掘られなくてよかったぜ」

 男たちは、ゲラゲラと下品な笑いをあげる。こんな場所でなくても会いたくないよう連中だ。眞波先輩も顔から血の気が引いて青い顔になっている。

 こいつらの言葉からして、あの自衛隊員を殺したのはこいつらか?彼が本物の自衛隊員だとしたら、正気とは思えない。かなりイカレた連中だ。しかし、その精神性も気になるが、先刻のホスト風の男の身体能力も気になる。普通、人を蹴り飛ばして、あれだけの距離を吹き飛ばすことができるものか?

 ……いや、今そんなことを考えても無駄だ。それより、逃げる方法を考えないと。俺が逃げ切るのは無謀でも、眞波先輩だけなら――

「おいおい、おまえら、ほどほどにしてやれよ。びびっちまってるじゃねえか。いやあ、驚かせちゃってごめんね。俺、関口勇夫って言うんだ。君の名前は?」

 関口と名乗ったホスト風の男は、見た目通りの軽い口調で眞波先輩に近寄ってくる。俺はびくりと怯える眞波先輩の前に立ち、彼女の盾になる。


「あ?」

 次の瞬間、俺の体は宙を舞っていた。蹴られたのだと理解したのは、関口が足を振り切った姿勢でいることを空中で見たからであり、蹴りの瞬間を目で捉えることはできなかった。

 受身なんて取れるわけがない。背中を思い切り強打し、顔が地面に叩きつけられた。

「がっ、はっ!」

「マモルくん!!」

 呼吸がまともにできず、胃の中のものが逆流した。脇腹がえぐられたかのように痛む。そこに蹴りを叩き込まれたらしい。

 駆け寄ろうとした眞波先輩を、関口が腕を掴んで引き止めた。

「俺が話してんのはこっちの子だってーの。そんくらいわかるだろうが。ったく、空気読めよ、マヌケが」

「離して!」

 眞波先輩が男の手から逃れようともがくが、関口はびくともしない。俺はすぐにでも駆け寄りたかったが、痛む身体がそれを許してくれなかった。

 関口は先輩の手からアタッシュケースをひったくると、チンピラの一人に投げ渡した。

「しっかし、殺すつもりで蹴ったんだけどな。人間の体って意外と頑丈なのな。それとも、そろそろ薬が切れたか?……おい、中身はどうだ?」

 施錠されたアタッシュケースを、チンピラが力を込めてこじ開けようとする。道具も使わずに開けられるわけがないと思ったが、バギンという音と共に、アタッシュケースはあっさりと開かれた。

(なっ!?どう、なって、るんだ?)

 痛みに身悶えしながら見たその光景に、驚愕する。あのアタッシュケースは、道具もなしに開けられるほどヤワな構造になっているようには思えなかった。

「ビンゴ!こんだけありゃあ、しばらくは大丈夫だな」

 関口がケースから取り出したのは、青い液体で満たされたペン型の注射器だった。ケースの中には、同様の注射器が二十本ほどとなにかの薬品が入った薬瓶がいくつか入っていた。薬瓶の中身は青色をしていたので、おそらく注射器の中身と同じものだろう。

「さ~て、帰るぞ、おまえら~。帰るまでが遠足だからな~。さっさと撤収、撤収」

「え?もう帰るんすか?その女は?」

 チンピラの一人が、不満そうな顔で眞波先輩を見る。先輩の肢体を舐めまわすように眺める視線に、頭がかっとなった。

「おまえらは発情期の猿ですか。女なんかそのへん歩いてる奴、適当に拉致ればいいだろうが。俺は、夏に山を走り回って汗かいたから、さっさと帰って風呂入りたいんだよ」

「いやあ、ほら、彼氏が見てる前でやるのがいいんじゃないですか。そのほうが興奮するって言うか」

「はあ、どうしようもない変態だね、おまえら。……さっさと済ませろよ?自衛隊の応援相手すんの面倒だし、姐さんに秘密で来てんだから、あんまり遅くなってバレたら大目玉だぞ」

 そう言って眞波先輩をチンピラたちに引き渡すと、関口はタバコを取り出して火をつけた。口では面倒そうに言いながらも、顔には嗜虐的な笑みを浮かべている。

「いや!離して!」

 先輩も抵抗するが、大勢の男に囲まれた状態で逃げられるはずがない。男たちはその抵抗すら楽しむように下卑た笑い声をあげる。


「やめ、ろ」

 こんな時にいつまでも寝ていられるか。

 正直、呼吸もまともにできていない状態だったが、気合でなんとか立ち上がる。口内を切ってしまったのか、血の味が口の中に広がった。

「あの蹴りくらって立ち上がるなんて、やるじゃん、彼氏。かっこいー。まさに、愛の力だ、ね!!」

「がっ!?」

 最後の掛け声とともに、チンピラの足の爪先が俺の鳩尾に食い込む。

 喉奥から胃液がせり上がり、吐き出す。内臓を傷つけてしまったのか、掃き出した胃液は赤く染まっていた。

「いや!マモルくん!」

「面倒だから、両手両足折っとけ。殺すなよ?楽しい場面を一部始終見ててもらうんだからよ」

 チンピラの一人が倒れている俺の右腕に足を置く。

 そこから体重をかけてへし折るつもりだったのだろうが、足から伝わる違和感に気づき、怪訝な顔で俺の両腕を見る。

「あれ、こいつ、腕偽物じゃん。義手ってやつだ」

「なに、腕ないのこいつ?うわ、気持ち悪っ!」

 嫌悪の言葉とともに、チンピラの一人が、ゴキブリを踏みつけでもするかのように俺の腹を蹴り上げる。俺は激痛で反論も抵抗もできず、ただ痛む部分を庇うことしかできない。くそがっ、こいつら考えなしにやりすぎだろ。

「腕ないくせにナイト気取りかよ。おまえ、ナイトっていうか、むしろ妖怪だろ」

「じゃあ、俺たちが王子様だな。化け物倒したあとは、お姫様としっぽりするのが王子様の仕事だよな~。なあ、お姫様?」

 べらべらと不快な言葉を並べ立てるけだものども。憤死しそうなほどの怒りを覚えるが、身体が思うように動いてくれない。

 俺はどうなってもいい。せめて先輩だけでも逃がさなければ――

 顔を上げると、先輩と目が合った。

 先輩を押さえつけているチンピラは一人だけだ。なんとかして、あいつに掴み掛って、眞波先輩にはその隙に逃げてもらうしかない。

 決意を視線に込めて眞波先輩に送る。言葉にしてはいないが、思いは通じたのだろう。怯えた表情であった先輩の顔に決意の色が浮かぶ。

 俺は言うことを聞かない身体を気力で起こし、先輩を抑えているチンピラに体当たりするべく足に力を籠め――


「私を、好きにしてください」


 ようとしたとき、眞波先輩の声で止める。

 一瞬、先輩が何を言ったのか理解できなかった。チンピラたちもぽかんとした顔になり、全員の視線が眞波先輩に集まる。

「その代わり、マモルくんには手を出さないで」

「だめ、だ。せ、んぱい」

 俺の静止の声は、もはや誰の耳にも届いていなかった。……いや、眞波先輩にだけは届いただろうが、努めてこちらに目を向けないようにしていた。

 そして、チンピラたちは言わずもがな。眞波先輩の言葉に、嬉々とした表情になり、俺に注意を払う者はいなかった。

「へへ、いいぜ。じゃあ、自分で服を脱ぎな」

 チンピラの一人の言葉を受けて、眞波先輩はブラウスを脱ぎ始める。せめてもの抵抗のつもりか、服を脱ぐ動作は緩慢だ。しかし、今は夏であり、その身を守る衣の枚数は多くない。それほど時間がかかることなく、下着姿になる。

 その顔は、羞恥で赤らんでいる。だが、裸を見られることなど何でもないと装うためか、表情は無表情で貫いていた。その行動が、俺を安心させるためのものだと理解できてしまったことが、かえって俺の心をえぐった。

 周囲のチンピラたちは、口笛を吹きながら頭の悪い言葉ではやし立てる。我慢のきかなくなったチンピラの一人が、下着姿の先輩へと手を伸ばし――


「気に入らねえな」

 その時、それまで黙って傍観していた関口が、不機嫌そうな声を出す。

 ゴロツキであってもそれなりに統制が取れているのか、下っ端たちの動きが止まる。チンピラたちの行動を咎めたとでも思ったのかもしれない。しかし、関口の感情の矛先はチンピラたちではなく、眞波先輩へと向けられたものだった。

 関口は咥えていた煙草を放り捨てると、眞波先輩へと顔を寄せる。キスでもしそうなほど近づいてきた顔に対して、眞波先輩は力強い瞳で睨み返す。

 だが、それにより、関口はさらに気分を害したようだ。眞波先輩を見下す顔を歪ませる。

「おまえさ、なに『あなたたちなんて怖くありません』って顔してんだよ。その顔ぐちゃぐちゃにして、男が誰も寄ってこないような顔にしてやろうか?」

「……それでマモルくんには手を出さないって約束してくれるなら――」

 どぐっ、と嫌な音が鳴った。

「先、輩!」

 眞波先輩が身体をくの字に曲げて崩れ落ちた。関口が先輩の腹を殴ったのだ。眞波先輩は腹部を抑えてえづく。

「痛いだろ?もっと痛めつけてやる。痛めつけながらこの場にいる全員で犯して、それを撮影してやる。撮影した映像はおまえの携帯を使って、知り合い全員に送ってやる。顔を殴りまくって、誰も見向きもしないような顔にしてやる。あそこにナイフを突っ込んで、子供を産めない身体にしてやる。ついでに手足を潰して達磨にしてやる」

 関口は倒れている眞波先輩の髪を掴むと、無理やり引き起こして視線を合わせた。懐から取り出したナイフを先輩の頬に当てる。

 努めて気丈に振舞おうとしていた先輩だったが、関口の言葉とナイフに恐怖を覚え、怯えた表情になる。

「嫌か?じゃあ、代わりに今言ったことをおまえのマモルくんにやってやる。その場合はおまえには手を出さない。どっちでも好きなほうを選ばせてやる」

「えっ!?関口の兄貴、そんな――」

「てめえらは黙ってろ!!」

 女に手出し禁止と言われて、下っ端たちが不満を言おうとしたが、関口はそれを一喝して黙らせる。関口とその他の力関係は絶対のようだ。

 関口の提案に、眞波先輩は初めて迷いを見せた。なにが関口の逆鱗に触れたのかわからないが、この男はやると言ったら本当にやるだろう。そんなことになれば、眞波先輩は女として――いや、人として終わる。

 そんなことになるくらいなら、俺が身代わりになったほうがいい。元々俺の体は人として不完全なものだ。この上でさらに失うことは、抵抗はあっても乗り越えられないものじゃない。

 こちらに目を向けた眞波先輩に対して、俺は頷きで返す。

 先輩はもう十分に耐えた。義理という意味では、十分すぎるほどだ。ただの後輩に対して、これ以上体を張る必要はない。

「……ごめんね、マモルくん」

 謝罪の言葉とともに、眞波先輩は顔を伏せる。

 それでいい。見えていないと分かっていても、俺は眞波先輩に対して微笑を浮かべる。これから我が身に起こるであろうことに対する恐怖はあるが、それ以上に俺のせいで眞波先輩が傷つけられることのほうが恐ろしい。

 眞波先輩の態度に少し溜飲を下げたのか、関口の顔に微笑が浮かぶ。眞波先輩はそんな関口に対して、怯えを含んだ声で――


「私にやって。マモルくんには手を出さないで」


 ――と言い放った。

「……なに?俺の聞き違いか?さっき、おまえ、こいつに対して謝ったじゃねえか」

「なにを勘違いしているの?私が謝ったのは、マモルくんに身代わりになってもらうからじゃない。すぐに答えを出せず、迷ってしまったことに対してよ」

「なっ――」

「なに言ってるんだ、マナミ先輩!俺が――」

 驚愕から覚醒した俺の叫びを、関口の怒号が掻き消した。

「ふざけんな!」

「あぐっ!?」

 突然激昂した関口が、眞波先輩を殴り飛ばす。先刻の手加減された打撃ではない。悲鳴を上げる先輩を何度も殴り、蹴った。その度に、眞波先輩の体が鞠のように跳ねる。

「なに、かっこつけてんだ、おまえはよ!てめえは、子羊なんだよ!ぬるま湯に浸かるような生活を送ってきた苦労知らずだ!ぶるぶる怖がって、互いに仲間を売りあってればいいんだよ!」

「やめろーー!!」

 もう身体の痛みなど知ったことなど知ったことではない。関口の足にしがみつき、服の上から噛み付き、歯を立てる。

 それが俺にできる最大限の抵抗だったが、関口はあっさり振りほどき、俺の顔面に蹴りを入れる。首が折れなかったのが不思議なくらい、身体が大きく跳ねた。

 頭を大きく揺さぶられたことで、数瞬意識が飛んだが、気合で持ちこたえてすぐに立ち上がろうともがく。しかし、脳を揺さぶられたことと身体的欠陥もあって、うまく体が動いていてくれない。

 俺が必死になってあがく間も、関口は俺を無視して眞波先輩を何度も蹴り飛ばしていた。

「おい、なんとか言え!さっさと命乞いしろ!こいつを差し出すから、もう殴らないでくださいってよお!!」

「……あ~、兄貴?たぶん、そいつもう死んでます」

 立つことが無理なら、這っていこうともがいていたところを、チンピラの一人の言葉が俺の耳を打った。

 ――コイツハ、イマナントイッタ?

「勝手に死んでんじゃねえよ、くそアマ!」

 関口が最後に蹴りを入れたソレ(・・)は、一度大きく跳ねて俺の目の前に転がった。

 ――ナンダ、コレハ。ナンダ、コノオレタリハレアガッタリシテイルニクノカタマリハ。マナミセンパイハドコニイッタ?マナミセンパイ?

「くそっ、加減を間違えちまった。薬は最高にいい気分になれるんだが、つい力を入れ過ぎちまうのが欠点だな。……ああ、もうそれ好きにしていいぞ、おまえら」

「いや、いらねえっすよ。死体犯す趣味なんてないし、そんな趣味があっても、こんなめちゃくちゃになってちゃ――」

「あーあー、美人だったのにもったいねえなあ」

 ――ああ、わかってる。わかってるんだ。これが誰かなんて、わかってる。眞波先輩がどこにいるかなんてわかってる。

 それでも、認めたくないから。信じたくないから。考えたくないから。

 だから、体が動いてくれない。頭が機能してくれない。感情が現れてくれない。

 ただ、無意識に、かつて人間だったものの手を取った。その手は指折れ曲がり、骨が飛び出ているようなひどいものだったけど、とても綺麗に思えた。

「あーくそ、無駄な時間過ごした。ほら、もう用はないだろ。さっさと帰るぞ、おまえら。ああ、あと、――」

 ひどく苛立った様子の関口が、部下たちを急かして歩き出す。その場から立ち去る寸前、ふと思い出したかのように懐に手を入れて振り返ると――

「おまえ、死んどけ」

 パン、と乾いた音ともに、俺の胸に赤い花が咲いた。



◆◆◆◆◆



 胸から流れる血を、人ごとのように眺める。

 いや、正確には眺めてすらいない。俺の視線は、眞波先輩だったものから外せずにいた。胸の傷など、背景程度にしか感じない。

 痛みは感じない。脳が働くことを拒否している。眞波先輩の死を受け入れることを拒否している。自分自身の死に抵抗することを拒否している。

 ――失ってばかりの人生だった。

 両腕を失い、家族を失い、ようやく立ち直り、新しい人生を歩み始めたところで、また大切なものを失った。

 もはや、生きることになんの魅力がある?死よりも生を選ぶことになんの意味がある?今の俺になにが残っている?……もういい。このまま眠ってしまいたい。眞波先輩と同じ場所に行きたい。


 ――お願い、生きて(トクン)


 不意に、かつて誰かが言った言葉が思い出される。

 あのとき、『彼女』は死の魅力に引き込まれそうになった俺を、無理やり生者の世界へと引きずり出した。

 俺は、死を望んでいたというのに。


 ――戦え!(トクン)


 ……本当にそうか?今もあのときも本当にしを望んでいたのか?

 否。あのとき、俺の心臓を動かしたのは、『彼女』の言葉でも、『彼女』に与えられたもののおかげでもない。

 生きる意志。それこそが俺の心臓を動かしたものの正体。俺の肉体は、あくまでもそれに従い、応えたにすぎない。 


 ――戦え!(トクン)


 体中の細胞が、俺を生かすためにフル稼働する。

 八年前、『彼女』が俺を救うために与えたものが体の中で暴れ回る。宿主の思いに応えるために、八年の眠りから目を覚ます。

 その思いの名は『悔しさ』。

 復讐をしなければ死んでも死にきれぬという、人間のみが持ちうる激情。

 宿主の無念を晴らすため、体内を駆け巡る細胞が肉体を無理やり作り変えていく。八年前に失った牙を補うため、新たなる牙を捩じ込む。


 ――生きろ!(ドクン)


 ――死んでたまるか。



◆◆◆◆◆



「おい、なにやってんだよ。早く行くぞ」

「まあ、待てよ。死人に金はいらないだろう」

 下っ端のうち、茶髪にサングラスをつけた男は、朝風護のポケットを漁って財布を探していた。

 朝風護は膝をついた状態で胸から血を流し、そこから微動だにしていない。生きていたら大騒ぎしているような大怪我だ。脈を図るような手間をかけず、彼は護がすでに死んでいるものと見切りをつけていた。

 仮に生きていたとしても、何を恐れる必要があるというのか。

 自分たちには、自衛隊を圧倒出来るだけの力があり、相手は動かない義手を貼り付けただけの『腕なし』だ。怖がる要素など何もない。

 だからこそ、彼は特に警戒するようすもなく、朝風護の『死体漁り』をしていた。武装した自衛隊を打ち倒すだけの力を持っていても、金は持っていて損はないという、いかにも小物らしい考えから来た行動だ。

「おっ、あったあった。さ~て、いくら入ってるかなっと」

 ズボンのポケットから財布を取り出した男は、その場で中身の見分を始める。そんな男を静止するように、手首を握り込む者がいた。

「なんだよ。これは俺が見つけたんだから――」

 獲物を横取りされると思って怒鳴ろうとしたところで、男は自分の手首を握り込む手に違和感を覚える。

 その腕は、人間のものとは思えないほど白かった。関節部は球体状の形をしており、まるで人形の腕のような印象。直近の記憶で例えるならば、まさに朝風護が腕に取り付けている義手とそっくりの――

「へ?」

 顔を上げた男と朝風護の目が合う。死者の澱んだ瞳ではない。怒りや憎しみ、その他の様々な感情を抱いた人間の生の瞳が、男を睨みつけている。

「え?銃で撃たれたのに、なんでおまえ生きてんの?いや、それより、なんで義手なのに人間の腕みたいに動いてんの?」

 返答は拳で答えられた。

 およそ人間のものとは思えない速度で放たれた強化カーボン製の腕弾は、戦車砲でもぶっぱなしたかのような轟音を轟かせて男を吹き飛ばす。

 帰路につこうとしていた集団は足を止め、驚愕の表情で音源となった男を振り返る。

 蹴られた腹部に溜まった内蔵のダメージは消えていない。関口に殴られた顔の腫れは引いていない。胸部からは変わらず血が流れている。

 まさに死に体。しかし、集団は、手負いの野犬でも前にしたかのように、無意識に半歩後ずさり、唾を飲み込む。

「てめえら全員――」

 死の淵から蘇った男は、久しぶりの腕の感覚を確かめるように握り込み、集団に――その中でも特に関口を睨みつけながら言い放つ。

「ぶち殺す」

とにかく腹の立つ敵役を考えてたら、こんなのになってしまった。

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