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遠吠え

 それは夏休みの終わりのこと。

 高校生になって初めての長期休暇。俺、朝風護はコンテストに応募する絵を描いたり、部活のメンバーで海に行ったりと、それなりに充実した日々を送った。

 夏休みの終わりといえば、溜め込んだ宿題をみんなで消化するという一大イベントが残っているはずだが、空気の読めない俺は夏休み初めの一週間ほどで終えていたので、凄まじく暇を持て余していた。

 やることないし、なにか描くかと画材を担いで出かけようとしたところ、同じく空気読めてなかった部活の先輩の足柄眞波から電話がかかってきた。

「そうだ、山に行こう」

 どこかで聞いたような脈絡のないセリフの後、半ば拉致される形でバスに放り込まれた。そもそも、俺が手空きであるということを先輩に話した記憶もないのに、どうして俺を誘うつもりになったのか。……まあ、俺を送り出す時、祖母がやたらいい笑顔をしていたので、誰が犯人であるかはだいたい想像がつくが。


 そんなわけでバスで二時間、そこから徒歩で一時間ほどかけて近所の山の登り、画材道具を広げて二人でお絵描きタイムと洒落込む。都会に住んでいても、ちょっと時間をかければそれなりに緑に包まれた場所に行くことができるものだ。

「マモル君、相変わらず器用に描くねえ」

「ふぁ?」

 障害者用の筆を口にくわえたまま、眞波先輩のほうに目を向ける。

 俺は八年前の交通事故の影響で両腕を切断したため、腕が使えない。そのため、筆記や描画はこんなふうに筆を口に咥えることで行なう。一応強化カーボン製の義手を取り付けてはいるが、これはドアを開けたりするために用いるもので、精密動作は口で行うほうがなにかとやりやすい。

 ちなみに、絵画は、両腕切断後のリハビリで身につけた趣味だ。自慢じゃないが、今ではたまにコンテストに入賞するレベルの絵が描けるようになった。両腕切断前の無趣味な時期と比べ、絵が格段に上手くなったのは何とも皮肉な話だ。


「絵。腕が使えないのに、口だけでそんな綺麗な絵が描けるなんてすごいなって」

「慣れだよ、マナミ先輩。世の中にはスプレー缶振り回すだけですごい絵を描ける人がいるんだから、口で絵を描くぐらい大したことじゃないと思いますけど?」

「それを大したことじゃないって言えることがすごいと思うんだけどな。む~、なんか悔しいなあ。この間出した私の絵、一次選考で落ちちゃったんだよね。もっともっと練習しなくちゃ、先輩としての威厳が――」


 後ろから肩越しに俺の絵を覗き込む眞波先輩の顔が近くて、思わずドキッと胸が高鳴ってしまう。

 美術部の足柄眞波と言えば、その整った容姿から男子に絶大な人気があり、彼女が目的で美術部に入る男子も少なくない。俺みたいに面倒事の多い体の持ち主に対しても気をかけていることからもわかるとおり、面倒見がよく社交的な性格でもあることも人気の一因となっている。

 大体において、そういった美人はすでに彼氏持ちであることが多いが、眞波先輩はいまだにフリーである上、男性経験がないということを本人がぽろっと漏らしてしまったことが広まってしまい、我が校の男連中の注目を集めてしまった。男というのはまったくもって単純な生き物である。

 これらの情報は、俺が美術部に入った後に知ったことであり、彼女目的で入部したわけではないのだが、今日みたいに二人きりになるとどうしても意識してしまう。

 内心の動揺を悟られないよう、なるべく平然とした態度で答える。


「……いやいや、俺の作品も三次選考落ちで入賞なしですから。それに、マナミ先輩は遅生まれで俺と二か月くらいしか違わないでしょうが」

「全然違うよ!二か月っていうのは、ハイハイする赤ちゃんと立っちで歩く赤ちゃんくらいの違いがあるんだよ!?大人の魅力に、両親も大歓喜だよ!?」

「それ、魅力に対して喜んでるわけじゃないから。あと、赤ん坊って二か月で歩けるようになるものなんですか?」

「ん~、うちの妹は一歳ちょっとで歩き始めたかな?結構突然歩き始めるから、ハイハイから歩き出すまでなんてあっという間だよ~」


 無警戒な微笑を浮かべて、ころころ笑う様子がとても綺麗だ。ぜひとも絵に残したいところだが、さすがに変態くさいので言わない。肉体面の異常性だけでも人を寄せ付けない要因になっているのに、この上精神面の異常性を露わにしてしまってはさすがの先輩も引くだろう。

 心身ともに変態な、まさに完全変態!……うん、口にしなくてよかった。危うく黒歴史を生産するところだった。

 と、そろそろいい時間になったので、片づけに入る。


「……あれ?マモルくん、もう止めるの?」

「移動だけで三時間近くかかりましたからね。そろそろ帰らないと暗くなりますよ」

 俺はともかく、眞波先輩は女性だ。門限に厳しい家だという話は聞いたことはないが、夜遅くまで男と二人きりでいていい顔をする親はいないだろう。

そんなふうに気を使ったつもりだったが、なぜか眞波先輩は戸惑うように目を泳がせていた。

「で、でも、まだ途中だよね?ちょっとぐらい遅くなっても、私は大丈夫だよ?」

「いえ、下地は描けましたから、あとは家でも描けますよ。マナミ先輩のほうはどうなんですか?」

「私は、まだ、かな?……もうちょっといちゃだめ?」

「だめですよ。俺も一応男ですからね。女性であるマナミ先輩を送り届ける義務があります」

 それは嬉しいんだけど、ともじもじする眞波先輩。

 その所作をかわいいなと思いつつ、疑問に思う。言いたいことがあるのにはっきり口にしないのは、先輩らしくない。そんなに絵が描きたいのだろうか?それなら俺と話さずに絵を描くのに集中していればよかったのに。

「続きは明日にしましょうよ。今日は一度帰って、明日の朝に合流してまた来ましょう」

「……え?明日も来てくれるの?でも、マモルくん、さっき、絵はもう描けたって――」

「どうせ暇ですし、付き合いますよ。ここまで一緒にやって来たんですから、自分の用事だけ済ませてほったらかしにするような薄情なまねはしませんよ」

「う、うん。じゃあ、明日また一緒に来よう!約束だからね!?」

 一転、うきうきした様子で帰り支度をし始める先輩。

 ……なんだ?一緒に来てくれる人がほしかったのか?もう来る必要はないと言ってしまったから、再度誘うのは気が引けたのかもしれない。

「あっ、じゃあ、明日はお弁当作ってくるね。その、付き合ってくれるお礼に、マモル君の分も作ってくるから」

「ああ、今日は急に予定を決めたから、コンビニ弁当で済ませましたからね。わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」

 表向きは平静を装いつつ、心の中でガッツポーズをとる。美人の手料理が食えると聞いて、喜ばないような奴は男ではない。そんな奴は玉をもいでしまえ。

 今日のように二人きりでの遊びに誘われることはときどきあるのだが、まさかこんな役得に恵まれるとは思わなかった。

 先輩の名誉のために言っておくが、眞波先輩はどんな男とでも二人きりで出かけるような女性ではない。先輩の私生活をすべて知っているわけではないので確実とは言えないが、そういったことをするのは俺くらいだ。俺は身体構造的に女性に力づくで迫るということができないので、もしかすると男として認識されていないのかもしれない。ちょっと悲しい気もするが、だからこそおいしいポジションにいるのだとポジティブに考える。


「それじゃ、行こっか」

 帰り支度を眞波先輩に手伝ってもらい(腕の関係で、どうしても時間がかかるのだ)、準備を終えた俺たちは山を下り始める。

 普通、山道は登りより下りのほうが早く進めるのだが、俺の場合はゆっくり進まなくてはならない。両腕のない俺は、人よりもバランスを崩しやすく、転びやすい下りは特に気を付ける必要があるのだ。

 そうやってゆっくりと進んでいたせいか、森が静かであったせいか、普段なら聞き逃していたような音を耳が捉えた。

「ん?」

「マモル君、どうかした?」

「いや、なんか変な音がしたような気が――」

 聞き間違いかと思ったが、耳を澄ましてみると明らかに自然のものではない音が聞こえる。タタタッという連続音とそれより大きな爆発音だ。

 眞波先輩に目を向けてみると、彼女にも聞こえたようで訝しげに首を傾げている。

「なんだろ?なにかの工事かな?」

「確かに道路のほうから聞こえてきますね。でも、来た時、道路工事やってるようなところってありましたっけ?」

「私たちが通った道以外でやってるのかもね」

 興味を失ったのか、眞波先輩は早く進むように促す。俺のほうが明らかに足が遅いので、こういう時は俺に歩調を合わせるために、先輩は俺の少し後ろを歩くようにしている。面倒見のいい先輩らしい行動だ。

「……そうですね」

 工事で爆発音がすることに関して疑問が浮かんで少し気になったが、だからといってなにか納得のいく答えが導き出せたわけではない。

 どのみち、進行方向から聞こえてきたのだ。運が良ければ音の正体がわかるだろう。そんなふうに考えて、音から意識を逸らして足元だけに注意して歩を進めた。



◆◆◆◆◆



 日が傾きかけ、薄暗くなりつつある森の中を一人の男が走る。

 その肩口には『日本国陸上自衛隊』のマーク。フル装備で、片方の手には陸上自衛隊正式採用自動小銃89式5.56ミリ小銃、通称【ハチキュウ】が握られている。また、もう片方の手には黒色のアタッシュケースが握られていた。

 男は怪我でもしているのか、アタッシュケースを握った手を腹部に当てて抑えている。脂汗の浮いた顔を時折後方に向けつつ、森をかけわけ、山の中へと入っていく。

 まるで、なにかに追われているかのように。

 しかし、そんなことが本当に起こりうるのか。この法治国家である日本において、フル装備の自衛隊員が、まるでライオンに襲われた子兎のように逃げ惑う事態が。


『誰か聞こえますか?応答お願いします。どうぞ(オーバー)

 無線機から突如聞こえてきた女性の声に、男は驚いたようにびくりと身を震わせる。しかし、すぐに気を取り直すと、周囲に気を配りながら無線機を口元へと近づけた。

「こちら第78輸送小隊二等陸曹の榊だ」

 榊と名乗った自衛官は、そこで一度言葉を切る。つい口からこぼれそうになる泣き言を喉の奥にしまいこみ、自分を奮い立てる意味も兼ねてあえてふざけた口調で言葉を並べる。

 そうでもしなければ、心が折れてしまうと本能が告げていたから。

「俺好みのかわいい声だ。お嬢ちゃんのおうち(所属)はどこだい?ついでに電話番号とメルアドも教えてくれよ。どうぞ(オーバー)?」

『防衛庁宇宙開発資料室所属【クラボッコ】です。携帯電話の所持は認められていません。そちらの状況を教えてください。どうぞ(オーバー)

 律儀に返答する声は真剣で、ふざけた様子がない。通信機越しであっても、相手の真面目な性格が浮いて見えるようだった。しかし、だからこそ、ふざけているとしか思えない応答内容が際立って感じられる。

 ――宇宙開発資料室?クラボッコ?

【資料室】というのは、自衛隊や警察における特殊部隊の隠語だ。名前を聞いただけではなにをやっているのかわからないようにすることで、任務の内容を察することができないようになっている。【宇宙開発】というのも適当な言葉で、本当はまったく別名を帯びた特殊部隊なのだと推察できる。

 とすると、【クラボッコ】というのはコードネームか何かだろうか。それにしても、座敷童子(くらぼっこ)とは、またふざけた名前だ。

 ふざけるな!おまえみたいなわけのわからない奴じゃなく、正規自衛隊員を出せ!と怒鳴りそうになって、ふと思いつく。

 ――そういや、あったな。こういう悪夢みたいな状況に対応するのにぴったりな部隊が。

 その部隊の存在を知ったのは本当にただの偶然。与太話か都市伝説くらいにしか扱われなそうな彼女たち(・・・・)が、実在することを榊は知っていた。

 冷静さを取り戻した榊は、周囲を見回してアタッシュケースを隠せそうな場所を探す。木と地面の間にちょうどいいスペースを見つけると、そこに手に持っていたアタッシュケースを押し込みながら通信を続ける。

「OK、座敷童子ちゃん。いい報せと悪い報せがある。こういうのはいい報せから伝えるのが定番だが、俺の主義で悪いほうから教えてやる。部隊は俺以外全滅だ。隊長の真田一等陸曹は俺を逃がすためにその場に残ったが、それ以外は全員死ぬ瞬間をこの目で見た」

 自動小銃の予備マガジンを取り出し、すぐに手にとれるように傍に並べる。使う機会があるかどうかわからないが、拳銃と手榴弾も一緒に並べておいた。懐から取り出すより、こうしておくほうがすばやく使用できるからだ。

 腹部の怪我を治療しようかと思ったが、止めた。その代わり、医療キットから痛み止めを取り出し、ガリガリと噛み砕いて飲み込む。

「嬢ちゃんがあの化け物を相手するつもりなら気を付けろよ?あいつら、銃弾を避けやがるぞ(・・・・・・・・・)?」

『……いい報せは?』

 榊はちらりと地面を見る。アタッシュケースはうまく隠れ、金属探知機を使うか、運よく足を引っかけでもしない限り見つかることはないだろう。

「輸送品は無事だ。中身は知らされていないが、アタッシュケースに入っている。地面に埋めて隠したから、俺の死体の近くを漁ってみな」

『……了解しました。しかし、一つ情報漏れが』

「なに?」

『いい報せの中に、あなたが存命だという情報が抜けています。現場に急行していますので、生き残ることに専念してください。ケースの場所はあなた自身の口から聞かせていただきます』

 通信相手の言葉に、榊は状況も忘れてつい笑顔になってしまった。なんだ、この女、堅物かと思いきや、なかなか小粋な冗談を言えるじゃないか。

「なあ、座敷童子ちゃん。ちょっとおっさんの話に付き合ってくれないか?」

『……遺言を聞くつもりはありません。話をする暇があるなら、すぐにその場を離脱し、少しでも時間を稼ぐ努力をしてください』

「まあ、そう言わずに聞いてくれ。……これはもう十年以上前の話だ。俺は当時ピカピカの新兵で、真田一曹と一緒にある秘密任務をこなした」

『榊二曹、諦めずに――』


「任務の内容は、旧日本帝国研究施設の調査だ」


『…………』

 無線機の向こう側で、通信相手が息を飲む気配が伝わる。ああ、やはり【彼女たち】だと確信でき、榊は微笑を浮かべる。榊は日本人にありがちな無神論者だが、今だけは神様を信じてもいいと思った。なかなか面白い最期を演出してくれたものだ。

「そこには、旧日本帝国軍の実験部隊が百人以上保存されていた。残念ながら、大半は保存容器の不具合かなにかで死んでいたが、残りは年を取ることなく、当時の姿のままで生きていた。彼女たちがまだ生きているとしたら、やっぱり変わらない姿でいるんだろうな」

『…………』

「彼女たちを最初に発見したのは俺でな。特に一番目に見つけた娘が、俺の好みど真ん中だった。まあ、青臭い言い方をすれば、一目惚れってやつだ」

『…………』

 通信機の向こうから返ってくるのは無言。どう返せばいいのか困惑しているのか、死にゆく者の最期の言葉を一言一句聞き逃すまいとしているのか。

 しかし、榊にはどうでもよかった。元より返事を期待しているわけではない。

 遠くの草むらが揺れ、徐々にこちらに近づいてきている。榊は凪のように静かな心で銃を構え、十三年越しの【告白】をした。

「その時の衝撃があまりにきつかったもんで、三十過ぎても独身のままだ。まったく、一目惚れなんてするもんじゃねえぜ。……ああ、言っておくけど、俺は童貞じゃないからな?」

『……私、は』

 通信機越しでも空気の変化を読んだのだろうか、通信相手が何かを口にしようとしたが、榊はそれを遮った。

「わかってるさ。あんたが【彼女たち】の内の誰かだとは限らないし、例え【彼女たち】の一人だとしても、俺が一目惚れした相手があんただとは限らない。……でも、まあ、それでも言っておきたかったんだよ」

『……もし、私が、あなたが恋をした女性だとしたら――』

 返事を期待していたわけではない。それでも彼女は言葉を贈った。死にゆく者への哀れみからではなく、戦う者への敬意から。

『きっとタフな人を好きになりました。どんな状況でも生きることを諦めず、戦い続けることができるような人を』

 榊はその返答に再び笑う。こんな状況でも、なお諦めずに戦えという彼女の優しさと気高さが胸に沁みた。

 そして、こうも思う。榊の想像の中の女性も、きっと同じことを言っただろうと。

「そうか、じゃあかっこいいところ見せないとな。……通信終了(アウト)

 通信終了の合図とともに、榊は引き金を引いた。タタタッ、という自動小銃の銃声が、生き残るために戦いに挑む闘犬の吠え声となって森の中に響いた。

戦闘シーンはもうちょっと先です。

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