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「同じ?」


 深夜、河原で彼と対峙した彼女は呟いた。

 それは軽い驚きの響きを含みながらも、どこか納得した声だった。

 そう、今目の前にいるのは紛れもなく欠陥品。自分と同じモノだ。

 正常から外れ、異端にも届かない半端者。

 月の光の届かぬ鉄橋の下で彼の目と手にした刃だけが光を放つ。


「そう、同じ。キミもボクと同じくあの人に出会った。そしてあの人を目指した。違うかい?」

「…あの人?」

「おや? もしかしてそれにも説明が必要なのかい? 失望させて欲しくないなぁ」


 くるくると手に持ったナイフを弄ぶ。時折、赤い雫が飛び散る。

 ここで流れた血は大した量ではないはずなのに、まるで臓物の中に押し込められたかのように内臓の臭いがする気がしてならない。


「僕も最近知ったんだ。君もそうだって事を」

「…夏休みだった」

「らしいね。僕はその年の冬さ。ちょうどあの人がいなくなる一ヶ月前だったよ」


 目を合わせぬままで狭霧はぼそりと呟くように言った。


「〝焼けた殺人鬼〟」


 一瞬、爆ぜるように彼の目の輝きが強くなった。

 彼と彼女を繋ぐ線。

 あるはずのないそれが浮かび上がる。


「私は…聞いた事ないけどね」

「何がさ?」

「筒井。あんたもあの人に出会ったなんて」

「そりゃ、そうさ。誰にも言ってないもの。いや、言えるはずもない。あの時は子供だったけど少なくともあの人が世間のつまらない連中から悪人とされているぐらいは知っていたからね」

「されている、じゃないわ。間違いなく悪人よ」

「なぜ?」

「なぜもくそもないわ。あの人が”焼けた殺人鬼”だからよ」


 かつて2年以上にも渡って無差別に殺人を続け、にもかかわらず警察を始めとしたあらゆる機関がその存在を拘束出来なかった男がいた。

 年令、性別、容姿、生い立ちまで判明していたにも関わらず、だ。

 10年前、最後の犠牲者となった一家の死体と共に焼死した事から名前ではなく”焼けた殺人鬼”として今尚もって語り継がれている。

 彼が他の殺人狂と一線を画する点は極めて希なる強運にあった。

 彼は隠さない。

 死体の隠蔽行為を一切行わず、にもかかわらず発見された死体のうちで死亡直後のものは極めて少ない。恐らくはいまだ発見されていない死体もあるのではないか。

 彼は隠れない。

 例え真昼であっても、例え住宅地のど真ん中であっても、ビジネス街の通りであっても。

 いつであろうとも。

 どこであろうとも。

 彼は殺す。

 そして、ほとんどその目撃者はいない。

 彼が殺す時、必ずと言っていいほど加害者と被害者を除いた人間がいない空白の時間が出来るからだ。それはまったくの偶然、数多の人間が数多の理由でその場にいる事を避けるのだ。それを予測するなど誰にも出来るはずもない。

 ある新聞が彼の事をこう書いた。

 まるで神が殺戮の場を与えたようだ、と。『さぁ、殺せ』といわんばかりに。

 ある雑誌はこう書いた。

 警察が無能なのではない。彼がただ許された存在なだけだ、と。


「いまだに誰かの死体が発見される度にTVや新聞は引き合いにだすわ。あの人が甦ったのかって。あの人は人間の罪の象徴。そして、そう扱われるだけの事をしてきた」

「分らないな。罪ってなんなのかな?」

「…本気で言ってるの?」


 一呼吸分だけ間をおいて彼の意志を確かめる。

 しかし、彼に動きはない。

 呆れも怒りもなく、ただ淡々と彼女は告げる。


「殺人よ」

「たかがその程度の事。それが罪なのかい?」


 平然と彼は言ってのけた。

 しかし、彼女の表情に驚きはない。

 ただ、瞳が微かに揺れた。


「それが罪でなくて、なんだと言うの?」


 瞬間、彼が吹き出した。

 まるでたき火に甘栗を放りこんだかのような弾けようだ。


「なに?」

「いや、ごめん、ごめん。そうだようねぇ、罪だよね。くだらない普通の人達にとっては。でもさぁ、それはそういった人たちの話だよね?」

「………」

「もしかして、君や僕。もちろんあの人も含めてだけど。そういった人間をああいった連中と一緒にしてはいないよね?」


 彼は変わらない。初めから。

 その笑顔も。その狂気も。

 ただ、それが底に沈んでいたか、浮かび上がったか、その程度の違いでしかない。


「あの連中が悪だと断じたところで関係ないよ。あの人が生きるという事は殺すという事に他ならない。生きる為に必要な事は正しい事じゃないのかい?」


 破綻した理屈。

 にも関わらず、その論理を彼女は拒絶出来ない。

 それが自分達のみに通ずる真実だと理解してしまっていたから。


「あんたは…」

「ん?」

「筒井。あんたはあの人と何を話したの?」

「何も」

「会ったんでしょ?」

「…うーん、会ったというのは語弊があったね」


 眉をひそめる彼女に苦笑する彼。

 その時を思い出すように一度まぶたを閉じる。


「正確には見ていただけだよ」

「どういう事?」

「だから、見ていただけ。漫画とかだと切ってしばらくして血を吹き出して倒れるってのが当たり前で現実もそうなのかなぁとか思っていたけど、その時に初めてあれは架空の世界なんだって分かったよ」


 彼は何かを表現するかのように両手を広げた。

 憑かれたかのような陶酔した目、上気した頬。だらしなく開けっ放しの口。


「あの人の動きは優雅でも綺麗でもなかったよ」

「知ってるわ」


 彼女も見ている。

 あの殺人鬼は決して人を殺す為の技術を学んだ訳ではない。

 刃を振るう姿は彼女の目から見ても素人にしか見えなかった。

 にもかかわらず、


「まるで吸い込まれるようだった」

「それも知ってる」


 刃を振るうたびに犠牲者は吸い込まれていく。

 それはまるで刃が切るのではなく、犠牲者が刃に切られにいっているように。


「僕が見た時には二人だった。あっという間さ。僕は見とれていたよ、我を忘れて」

「よく見つからなかったわね」

「隠れていたからね。でも、そんな事に意味なんてないって後から気付いたのさ」


 カッと目を見開いて彼は言った。

 もはや瞳の焦点があっていない。

 いま目の前にいるはずの彼女すら見えているのかどうか。


「あの人が獲物に気付かないなんてあるはずもない。僕は隠れていたから助かったんじゃない。単に見逃してもらっただけなんだってね」


 なんの根拠もない理屈に、彼女はあっさりと頷いた。

 そう、隠れている程度で逃れられるはずもない。

 なぜならそれこそが”焼けた殺人鬼”の力。

 彼女の時もそうだった。

 殺された人間は誰一人逃げ出せなかった。

 誰でも出入りできるただの駐車場だったにもかかわらずだ。

 逃げだそうとした奴も確かにいた。

 ただ、出入り口に向かった男は何もないところで自らの足に引っかけて転び、フェンスをよじ登って逃げようとした男は錆び切れた網目の端に服を引っ掛け登り切れなかった。

 殺すという行為において偶然は”焼けた殺人鬼”に味方する。


「そして、気付いたのさ。なぜ見逃してもらえたのかをね」

「…それが最近の辻斬り騒動?」


 彼女の言葉に彼は表情を変えなかった。

 否定する必要がなかったからだろうと、彼女はそう判断した。


「そう、僕はあの人と同じ存在になる。そうなる事をあの人は知っていたのさ。だからこそ、見逃したのさ。…嶺本さん、あなたと同じようにね」


 彼女は唇を噛んだ。

 違う、そうではない。あの人が自分を見逃したのは…。

 だが、否定の言葉が浮かばない。

 では自分はなんなのだ?

 あの殺人鬼を目指していたのではないのか?

 あの人は言ったではないか。


『近いからさ』


 口の中に鉄の味が広がる。

 強く噛み過ぎて血が滲んでしまったようだ。


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