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「寝てた…かな?」


 くしゅんっと可愛らしいクシャミが闇夜に響いた。

 風の強い堤防の上には彼女のほかに誰もいない。

 見下ろせば緩やかに流れる川、コンクリと砂利土の割合が半々の河原。過去何度か大雨で堤防を越えかける水位になった事があるそうだが、彼女の記憶に覚えはない。

 ふいに突風が吹いて思わず身を縮める。

 川には鉄橋がかけられており、その上を電車が通ったのだ。

 堤防を上がる階段は鉄橋のすぐ近くであり、電車が通るたびに吹き荒れる風に身を晒す事になる。


「この季節にこんなところで寝たら風邪引くよね。そしたらまた真理亜がうるさいし…どっちにしてもうるさいか」


 一人納得して眠たそうに目をこすった。


「本当に…寝不足かな。体もすっかり冷えて固くなってるし」


 節々が訴える痛みに顔をしかめながら、じっくりと慣らしていく。

 徐々に痛みは消え、代わりに滞っていた血の流れが動き出したかのように温もりが広がっていく。


「夢…か」


 頭がはっきりしていくと同時にその記憶は薄れていく。

 だが覚えている。

 あれは過去だ。

 あの日、あの時の。


「真理亜…」


 あの日まで、キレイな子とか、かわいいとか、人気があるとか。

 そういった噂と、学校で擦れ違う程度でしか会った事のない存在だった。


『約束だよ』


 真理亜が口にした根拠のない約束。

 それがあるから今の自分があるのだと、彼女は理解している。

 あれ以来、夜出歩く事もなくなった…はずだった。

 最近、一つの噂を耳にするまでは。


「辻斬り…ね」


 つまらなそうに呟く。

 だが、その目に宿る光は鋭い。

 本当にごく最近、唐突に広まった噂がある。

 高校生くらいの少年が真夜中に刃物で突然切りかかってくるらしい。

 老人から学生まで男女を選ばずに無差別であるところから辻斬りと呼ばれている。

 この犯人の不思議なところは被害者に顔や服装など、その姿をはっきりと見られているのにも関わらず、いまだに正体と目的が掴めずじまいだという事だ。

 噂を流す人間の中には2年前に野良犬、野良猫が多数虐殺されていた事件との関連を示唆する者もいる。

 確かにどちらも目的不明、正体不明では一括りにしたくもなるだろう。

 だが、そうではない事を彼女は知っている。

 2年前の犯人はたった一つの約束に封じられたのだ。

 ならば、今度の犯人は?

 なんの為にこんな事を繰り返す?

 何よりも姿すら見られているのにいまだに正体不明とはどういう事だ?

 警察だって馬鹿ではない。

 一高校生に過ぎない彼女の耳に入るような噂になっているのに、いまだ手を拱いているとは。

 それではまるで最後まで捕まる事のなかったあの男のようではないか。


「!?」


 ふいに鉄橋下の川岸から飛び出した人影を視界に捉え、思考を打ち切った。

 1人、2人、3、4、…数える気が失せる。

 皆、どこか体の一部を庇うように押さえている。

 まるで何かが追いかけて来ているかのように、何度も後ろを確認しながら堤防の階段を駆け上がってくる。

 先頭を走っていた彼等のリーダらしき少年が彼女の方を向く。

 階段を上りきって始めて彼女の存在に気付いたらしい。

 見た目は彼女より少し上程度か。

 警戒心をあらわにしながらもどこか他人を見下した目が、彼等がどういう類の人間かを悟らせる。

 恐らくは自分達以外の人間を暴力で屈服させ虐げるのを生きがいとする人種。

 もっとも、そういった人間はたいして珍しくもない。

 それもまた人としても性質の一つだろうから。

 ただ、彼等はそういった性質が強い、それだけだろう。

 だから、彼等は欠けていないのだ。

 地毛とは思えない彼の頭髪は金と赤。

 ただ、赤は自分で染めたのではないだろう。

 後ろに続いてきた彼の仲間も体の所々を真っ赤に染めている。

 彼等が体を押さえているのはそこに傷を負っているからだろう。

 何か気に障ったのか、彼等はじりじりと彼女との距離を詰めて行く。

 それをつまらなそうに見て、彼女は言った。


「いいの? 暢気な事してて。追ってくるわよ?」


 恫喝でもなく、強気を装うでもない言葉に、彼等は一斉に来た方向を振り返った。

 まるでそのタイミングを計ったように鉄橋下の暗闇に何かが光る。

 それは金属の反射光。


「て、てめぇっ。あいつの仲間かっ!!」


 少年達の一人が微かに震える声で叫ぶ。

 叫んでから傷に障ったのか低くうめいた。

 彼女は少年達を様子を計り見た。


『切り傷…か』


 少なくとも殴り合いだけの傷ではない。


「おいっ、答えやがれっ!! ぶっころされてぇのか」

「その前に殺されないようにね」

「なめてんのかっ、ああっ!?」

「辻斬りに…ね」


 最後の単語が効いたのか、いきり立っていた彼等の雰囲気が急に冷え込んだ。

 それを見届けて彼女は一歩脇へとどいた。まるで道を譲るように。

 彼等は一瞬躊躇するように顔を見合わせたが、最後尾にいた一人が追い抜くように彼女の脇を走り去ると、それが合図であったかのように全員が駆け抜けていった。

 リーダー格の少年が一瞬睨むような目つきで見たが、彼女の興味はすでに彼等にない。

 いや、興味の有無を言うなら始めからどうでも良かったのだ。

 今夜、興味があるのはたった一つ。


「見ている…」


 まるで光が切り取られたかのような闇。欠けた場所。

 鉄橋の影に遮られているはずのそこに彼女の心を刺激する視線を感じた。

 彼女は階段を下りながら、軽く左胸に手を押しあてた。

 微かな膨らみ、そして硬質な感触。

 その存在を確かめてから手を離す。

 一歩々々近づく度に喉が乾いていく。

 まるで真夏のアスファルトに撒かれた水のように。

 河原まで降りてそこを見つめると、今度は目視で確認出来た。

 月光を切り取った闇の中。

 さらにそこから何かを切り取ったような人影が。


「ひび割れてる…」


 彼女はそう表現した。

 欠けてはいるけども、何かが他の欠落した人間と違っている。

 だけども、それには興味はなかった。

 彼と初めて会った時には、すでに他人の欠落に興味を失っていたのだから。


「やぁ、嶺本さん。こんばんわ」


 まるでたまたま散歩で会ったかのように気軽に声をかけてくる。

 彼女は目を細めて彼の右手を見る。

 赤く染まった刃。


「筒井…幸太」


 狭霧はクラスメイトであるその少年の名を呼んだ。



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