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 臭い。

 素直にそう思った。

 生き物の内臓はとても臭かった。

 鳴き声をあげられると面倒だったので真っ先に喉を裂いて殺した。

 当たり前だがすぐに動かなくなった。

 腹を裂いて内臓を抜き出して…ふと思った。

 何をしているのだろう?

 改めて見渡せば辺りに散らばった臓物とその入れ物の残骸。

 野良猫、野良犬を片っ端から捕らえて殺した結果だ。

 金属音が高く深夜の街に響く。

 手から離れたナイフがアスファルトを叩いた音だ。

 どうしてこうなったのだろう?

 …どうして?

 くくくっ、と彼女は低く笑った。

 お笑いだ。

 やりたいからやっただけだ。どうしても何もない。

 だが…、ならばなぜやりたかったのだろう?

 こんな事になんの意味がある?

 こんな所を他人に見られたら異常者として隔離されるのは目に見えている。

 いや、それも時間の問題かも知れない。

 すでに何度も繰り返したこの行為は街で噂になり、その犯人が中学生くらいの少女だと言う目撃情報は警察にも近隣の学校にも知れ渡っているらしい。


「それは…それでいいかな」


 乾いた笑み。乾燥しきった言葉。

 彼女は自分自身の胸を見つめる。

 血に汚れた服しか見えない。

 もしも、他人に見えるそれが自分にも見えるのなら少しはマシになるのだろうか、この焦燥感は。

 脳裏に焼き付いた殺人鬼の姿。

 それが彼女を夜の街にと駆り立てる。

 足りない。

 あの綺麗な欠落にはこんなものでは足りない。


「つらい…つらいよぉ」


 誰も聞く者がいないこの場で彼女は涙なき嗚咽を漏らした。

 見えないのが辛い。

 どうすれば届くのか、どれくらいで届くのか。

 確かめる事すら出来ないのが辛く苦しい。

 引き絞られ張り詰めた心は解き放たれるタイミングを今か今かと待ち受けているのに。


『簡単な事なのに』


 心の奥底でもう一人の自分がそう言った。

 分っている。本当は分っている。

 分っているからこそ、目を背けた。

 ただ、命を奪うという行為を繰り返すだけでは駄目なのだ。

 なぜなら、彼女の欲している欠落の持ち主は殺人鬼なのだから。

 答えは簡単なのだ。

 殺せばいいのだ。…人を。


「なぜ…」


 震える手で落としたナイフを拾い上げる。

 付着したままの血を指で軽く拭った。

 パタタッっと雫がアスファルトを打つ。


「なぜなの? 簡単な事なのに…」


 今までも何度も自問した。

 何度も越えようとした。

 すぐ目の前にある一線を。


「なぜ、殺せないの?」


 人を殺す事がどうしても出来ない。

 意識して傷付ける事すらも。

 殺人鬼の作り出したあの惨劇の中で欠落に魅せられながらも、自身ではその惨劇を作り出す事が出来ない。

 理由は一つ。

 彼女は殺したくないのだ。

 彼女は傷つけたくないのだ。

 人を。

 結局、彼女とあの殺人鬼とではそれの方向性が違ったのだろう。

 殺人を犯す事、それを禁忌とする理性を彼女は持ってしまっていた。

 人以外の命を奪う事も、自分以外の人間が誰かを殺す事も。それらは彼女にとってはなんでもない事であるというのに。

 彼女にはそれは間違いなく不幸なことだった。


「でも、殺さなきゃ…あの人へは届かない」


 闇色に染まった一途な欲望は炎となって、彼女の心をじりじりと焦がしていく。

 そしてそれはもう焼き切れる寸前まで来ている。

 たった一人だ。たった一人殺せば後は済し崩しだろう。

 たった一人なのだ。たった一人さえ殺せれば。

 たった一人たった一人たった一人…。


 コロシタイ

 コロセナイ

 コロシタイ

 コロセナイ


 ループする。

 矛盾する感情が思考を奪っていく。

 早くこの場を去らねば、誰かに目撃されるやも知れぬのに彼女は凍り付いたかのように立ち尽くしたまま、己自身が生み出した感情の渦に身を任せている。

 だが、彼女の耳に届いた声が感情の渦を散らした。


「なに…これ」


 ぎこちなく声のする方へ彼女は顔を向ける。

 あまりの惨状に体が固まってしまったのか、動けずにいる同年代位の少女の顔に見覚えがあった。

 確か、同じ中学の同じ学年。

 そうだ、確か2つ隣のクラスだったはずだ。

 名前も知っている。

 何かと話題にのぼる事が多い名前なので覚えた。


「清里…真理亜?」

「嶺本さん?」


 向こうも彼女の事を知っているらしい。

 いや、当然か。

 彼女とは別の意味で有名な名前だからだ。


「これ、嶺本さんがやったの?」


 いまさらになって気付いた事。

 彼女をこのまま帰す訳にはいかない。

 何しろ決定的瞬間という奴だ。

 もはや言い分けはきかないだろう。

 ならば、どうする。

 口止めをするか?

 金などもっていないから、やるとしたら脅してになるだろう。

 果たして信用できるか?


「嶺本さん。…なんで笑ってるのかなぁ、なんて」


 ほとんど棒読みな感じで少女は言った。

 笑っている?

 そうかもしれない。

 あまりの自分自身の馬鹿さ加減に。

 それは単純な事だった。


 殺れ。


 心の内で誰かがそう囁いた瞬間、散らされた感情の渦が圧縮された。そして次の瞬間、爆発するように膨れ上がった。

 そうなのだ。そういう事なのだ。

 これはきっかけ。チャンス。千載一遇の好機。

 確実に口を封じる為には殺すしかない。

 殺せ殺せ殺せ。

 どうせ今殺さなくてもいつか殺す。

 現に今も理性の抑えが利かなくなっているではないか。

 殺してしまえ。

 そうして始めて手が届く。

 あの殺人鬼に。

 あの殺人鬼の欠落に。


「み…ねもと…さ…ん?」


 呼びかけに応える事もせずにじりじりと距離を詰めて行く。

 少女は彼女が手にしているナイフが見えているにもかかわらず逃げようともしない。

 ただ、目を見開いたまま、釘付けになったかのようにもはや少女しか見えていない彼女の瞳を見詰めている。

 後、三歩。

 二歩。

 一歩。

 彼女は少女を抱きしめた。

 そして、微かに震える手でナイフを振り上げた。




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