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「さーぎり。さーぎりぃ! ほら、早く起きないと明日の朝になっちゃうよ?」

「…ん、…真理亜?」


 ゆさゆさと体を揺すぶられ、彼女は気だるそうに顔を上げた。

 そして、自分のいる教室が窓から差す夕陽で真っ赤に染まっているのに気付いた。


「いま…何時?」


 聞かれた方は眉間を押さえながら、ちょいちょいと黒板の上にある掛け時計を指差す。放課後とかそういう生易しい時間ではなかった。


「あれ? 授業は? 終わったの?」


 まだ寝ぼけているのか、当然の事を聞く狭霧。


「先生、困ってたよ。といっても、いつもの如くあたしに起こすように言われちゃったから、実際に困ったのはあたしなんだけど。狭霧、何しても起きないし」

「サボらなかったから大目に見てよ」

「あたしに言われても。それに出席とったら即寝なんて、出席してもそこにいないのと同じじゃないかなぁ」

「…起きててもどうせ聞いてないし」

「うわっ、凄い開き直り」

「…で、授業が終わったのは分ったけど、なんでこんな時間なの?」

「狭霧が寝てたから」


 斜め上な即答をされ、言い方がまずかったのかと思って言い直す。


「起こそうと思わなかったの? 誰もいないじゃない」

「こんな時間だからねぇ」

「こんな時間になる前になんとかしようと思わなかったの」

「んー、気持ちよさそうに寝てて起こすの可哀相だったし」

「子供じゃないんだから…」

「置いて帰ったら拗ねそうだし」

「真理亜、あんた私をいったい何だと…」

「孤独な少女A’(ダッシュ)」

「…ちなみにその’(ダッシュ)の意味は?」

「かろうじて少女Aでないって意味ぃ」

「あ、そう」


 力尽きたようにパタッと机に伏せた。

 真理亜はよしよしと子供をあやすように頭を撫でる。

 狭霧は不満そうに眉を潜めるが、しばらくすると開いた目が細くなって…


「あー、狭霧。寝ちゃだめだってっ」

「ねむい…」

「ほらっ、起きて起きて。職員室に鍵返さないといけないんだし」


 どんどん冬眠状態に移行しつつある狭霧に対して、真理亜は諦めたように両手を腰にあててため息をつく。


「…はぁ。いい加減にしないと先生に怒られるし。最後の手段で」


 彼女はゆっくりと脇から狭霧の懐に手を伸ばす。

 服の上から固い感触にたどり着いた。位置を確認して服の裏側へと手を潜り込ませる。

 瞬間、世界が切り替わった。

 夕陽の赤が深紅に。


「きゃっ」


 突き飛ばされて、真理亜は悲鳴を上げて尻餅をついた。


「あいたたた、痛いなぁ、もう」


 恨めしげに狭霧を見る。

 イスを蹴り倒し、荒い息をつき、肩を震わせて。

 傍目には何かに興奮しているように見えるが、その目を見れば奇異に思うだろう。

 硬質なガラスのような瞳。

 いや、ガラスではなくそれは氷だ。限りなく冷たい光を放っている。

 いつの間に手にしたのだろう。

 彼女の手には一振りのナイフが握られている。

 上着の内側に隠し持っている凶器。

 彼女の瞳が、銀色の刃が、世界を紅く凍らせていく。

 見るモノの身も心も凍らせる空気の正体は殺意。

 その場にいるモノは背を向けて逃げるか身を守る為に殺し合うかの2択を迫られる。

 だが、真理亜はどちらも選ばなかった。


「起きたのなら、帰ろ? 職員室に鍵を返しにいかなきゃならないし」

「…真理亜」

「ん?」

「これに迂闊にさわらないでって言ったよね?」

「うん。でも、狭霧が起きないんだもん。仕方ないよね?」

「仕方ないって…。もしも、私が…自分を押さえられなければどうするの?」

「どうする?」


 いまだナイフをその手にしたままの彼女を不思議そうに見つめて真理亜は首を傾げる。


「どうして押さえる必要があるの? 元々そういう約束だったじゃない」


 躊躇いもなく、真理亜の白い手が夕陽に染まった刃へと伸びる。

 が、まるで手品のように一瞬でその手から刃が消えた。

 微かに乱れた上着の前を手で整える狭霧から、さっきの異質な雰囲気は消えていた。

 ただ、軽く浅い呼吸を繰り返しているのが名残となっている。

 始めから終わりまで動じた様子のない真理亜に、狭霧は怠そうな笑みを浮かべて言った。


「…帰ろうか」

「うん」


 教室の戸の横に掛けてあった鍵をもって二人は廊下に出た。

 しかし、まっすぐ昇降口へ向かおうとする狭霧を真理亜は慌てて引き止める。


「ちょっとちょっと、狭霧」

「なに? 帰るんでしょ?」

「だーかーらー。職員室に鍵返さないと」


 言いつつ真理亜は教室の戸を閉めていく。


「ああ、そうだっけ。忘れてた」

「もうっ、あんまり脳みそ使わないと、溶けてどろどろのバターになっちゃうんだからね」

「…真理亜。それちょっと酷い」

「酷くない。ぜんっぜん、酷くない」


 指で木札に繋いだ鍵を回しながらツンと澄まして真理亜が先を行く。

 どうやら多少は怒っているようだ。

 まぁ、これだけの時間を何もない教室で待たしたのだから、むしろ当然の反応とも言えるが。

 職員室の前まで来ると、


「じゃぁ、返して来るからちょっと待ってて」


 真理亜は一人で職員室へと入っていった。

 狭霧が入ると、職員室が墓場のように静まりかえるからだ。

 狭霧は特に気にしていないのだが、関わらないのがお互いの為だ。

 その点は真理亜も心得ている…はずなのだが。

 どちらにしろ、鍵を返すといっても戸口付近になる留め金に引っかけてくるだけだ。

 すぐに済む。

 案の定、真理亜はすぐに出てきた。

 だが、その後ろから出てきた人物は予想外だった。


「狭霧、かえろー」

「真理亜。…後ろは?」

「ほえ? 筒井君以外の誰に見えるの?」

「ただの通りすがりの生徒」

「ひどいなぁ」


 わざとらしく傷ついた表情で胸を押さえる。


「ごめんねぇ、狭霧、体調悪いから」

「なるほど、それで今日の5限目をサボっていたのか」

「…そこ。勝手に納得するな」


 言われて真理亜は首を傾げる。


「違うの?」

「違う」

「へぇ。じゃ、なぜなんだい?」

「筒井、あんたには関係ない。そもそもなんでまだ学校に残ってるのよ」

「なんでって、化学の先生に拉致られて倉庫の片づけを手伝わされていただけだよ。別に好きで残っていた訳じゃないよ」

「倉庫って。…なぜ化学?」

「なんか実験器材の新しいのが届いたけど置く場所ないからって事みたいだね」

「それはお疲れさま。じゃぁとっとと帰れば?」

「狭霧、何か筒井君に冷たいね…」


 真理亜の呟きに当の本人はうんうんと首を縦に振る。

 狭霧は興味なさげに筒井から目を離し、真理亜の手を引いた。


「ほら、帰るんでしょ」

「て、てってってぇぇっ! 痛いって狭霧。引っ張ったら痛いって」

「じゃ、また明日」

「うん、バイバイ、筒井君。って、狭霧っ、いい加減にしないと転ぶってぇぇぇっ」


 真理亜と、彼女を引きずるようにゆく狭霧に手を振って見送りつつ、思い出したように彼は言葉を投げかけた。


「あ、辻斬りに気をつけなよ。本当に」


 一瞬だけ狭霧の足が止まる。もしも振り返れば変わらぬ笑顔がそこにあるだろう。


「夜出歩くと危ないから」

「興味ないから」


 真理亜が顔をしかめた。狭霧が掴む手に力を込めたからだ。

 もうそれ以上聞くつもりがないというように二度と足を止めなかった。




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