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 狭霧は堤防を下りると鉄橋の下に視線を向けた。

 居る。

 数日前がそうだったように。

 夜の闇に遮られ視界には姿を捕らえられないが確かにそこに居る事だけは感じられた。


「出てきたら?」


 暗闇に向かって声をかける。

 ゆっくりと夜の闇を割るように、彼は姿を現した。


「…筒井…よね?」


 それは間違いなく筒井幸太だった。学校で毎日顔を会わせている筒井であり、数日前にここで今この時のように対峙した筒井だった。

 にもかかわらず、何かが違っていた。


『ひびが…』


 ひびの入った何かが形を失いつつある。

 これは欠けて…いるのか?

 焼けた殺人鬼のそれとは似ても似つかぬそれは、しかし同じくらいに狭霧の心を惹きつける。


「やぁ」


 表情だけの笑顔。やはり、筒井だ。

 間違いは…ない。


「何の用? わざわざ呼び出したりして」

「ははっ。ちょっと聞きたい事があってね」

「学校で聞けばいいじゃない」

「帰っちゃったのは嶺本さんじゃないか」

「ああ、そうだったわね」


 爛々と輝く彼の瞳が月の光を引き込む。

 背筋に快感とも吐き気ともつかない何かがまっすぐに走って股間へと真っ直ぐ突き抜けていく。

 たった数日間。

 何が彼に変化をもたらした?

 いや、変化というならそれは狭霧にも言えた。

 始まりは辻斬り。

 いや、この場所。

 ここで二人が出会った時から。

 あるいは始めから決まっていたのかも。

 偶然が必然となる世界。

 それが二人が共有する狂気なのだから。


「これで最後だ」

「最後? なにが?」

「僕が手を差し伸べる。これが最後のチャンスだ」

「なにを言っているの?」


 彼は笑った。

 それはただ表情だけのそれではなく、明るく朗らかに。

 彼の本性を知らない人が見るならば、それは誰であれ惹きつけられるであろう。


「もうじきだ。たどり着く。僕には分かる。もう手が届くんだ」


 嘘はない。

 狭霧にも分かる。

 彼に見える欠落が変化を示しているから。


「そう、それはそれは。おめでとうと言って欲しいの?」


 吐き捨てるように言った。

 彼はきっと壁を克服するだろう。

 そして自分は遠くへ行く彼の背中を羨ましげに見ているのか?

 みしりと奥歯が音を立てた。


「何が嶺本さんをそこに縛り付けているの?」

「………」

「僕達は何のために出会った? 偶然? あの人に出会った二人が何も知らずに、同じ学校で、同じクラスで。そして、本当の自分が偽りの世界に埋もれてしまいそうになっていた時にお互いの事を知ったんだ。僕達は、ね。手を取り合う為に出会ったんだ。それが僕達の必然なんだよ」


 ここはどこだ?

 川の音、風の味、月光の触感。

 全てがずれていく。

 目に映る景色は変わらないのに、鼓動と共にあるはずのない匂いが漂ってくる。

 それはまるで屠殺場のような内臓と体液の臭気。

 赤茶けた世界。

 吐きそうでいてどこまでも堕ちていける甘美な世界。

 知っている。

 10年前。

 ”焼けた殺人鬼”が創り出した世界。

 今、目の前にいる彼がそこへ誘ってくれるのか。


「おいでよ。つまらない意地なんて必要ないんだ。僕達はそんな下らないものに縛られるはずもない。ただ、先へ進めばいいのさ」


 頭の奥が痺れるようだ。

 何度も拒絶した事も頭の隅へと追いやられていく。

 そして、それに押し出されるように封をされていた感情が目を覚ます。

 コロセ

 コロセコロセ

 コロセコロセコロセコロセコロコロコロセココココロロロセセセセ


「あは………あははは…ははははは」


 笑いが洩れた。

 なぜ? 理解出来ない。

 頬に濡れた感触。

 涙が伝っている。

 どうして?

 何を泣くの?


「うふふっ、あはははははは」

「はははははははははは」


 狭霧が笑う。彼も笑う。

 あの人は見ているだろうか?

 この滑稽な光景を。

 あの人の背を追って、あの人の欠落を求めて。

 無様に足掻く虫のような様を。

 自分だけでは人ひとり殺せないようなみっともない様を。

 でも、それでももし今、彼の手をとれば。

 先を行かれる事も、これ以上苦しみを抱える事もないのだ。

 届いてしまえば、今抱えている想いもなあんだと思ってしまえるんだろう。


「さて、どうやら心が決まったらしいね」


 筒井は視線を狭霧から外して堤防の階段へと目を向けた。


「生け贄が向こうから来てくれたようだ」


 感情が高ぶって、狭霧は気付いていなかった。

 10人を越える人数が階段を下りて来ているのを。

 格好はバラバラだったが、年齢は狭霧達と同じか少し上くらいがほとんどだった。

 皆、手に金属バットや木刀、バタフライナイフを手で弄ぶ者、中には革グローブだけで何も持っていない者もいたが、かすかにそのグローブは脹らんでいて中に何か仕込んでいるのは容易に想像出来た。

 狭霧はその中の数人を視界に捕らえて目を細めた。

 見覚えがあった。

 体のあちこちに目立つ包帯を巻いているのは、あの時の怪我のせいだろう。

 筒井が降りてきた少年達の方へと向き直った。


「ああ、君達。昨日僕を襲った人達のオトモダチだよね。僕は君達に恨まれる覚えがないんだけど、いったい何の用かな?」

「…本気で言っているの?」


 涙を乱暴に拭いつつ、疑わしそうに狭霧は尋ねた。

 筒井はきょとんと顔だけを狭霧の方へと向けた。

 その表情からはとてもとぼけているようには見えない。


「嶺本さんの知り合い?」

「以前、ここで私と会った時、あんたが斬りつけた連中がいたでしょ?」

「えーと、ああ。確かにいたな。それがどうしたの…って、あれ?」


 慌てて、もう一度少年達の方へと向き直る。


「あー、あの時の人達か」

「本気で分からなかったの?」

「酷いな。覚えてる訳ないじゃないか。あの時、嶺本さんと会って話した事に比べればなんの価値も見出せない連中の事なんて」


 空気が軋むようだった。

 少年達の、特に包帯を巻いている何人かは視線だけで殺せそうな殺気を孕んでいる。


「どうせ、俺達には殺せないだろうとタカをくくって余裕ぶってるつもりかよ」


 怒りのあまり、微かに声を震わせリーダー格の少年が言った。


「だったら、『いっそ殺して下さい』ってお前等の方からお願いするまで痛めつけてやるよ。女の方は使い物にならなくなる位、犯してやる。期待してまってろや」


 少年達の陣形が広がっていく。狭霧達を囲むように。


「出来れば、最初のはもっと吟味したかったんだけど…仕方ないか」


 二人にしか理解できない筒井の呟きが合図となった。


「やっちまえぇぇぇっ!!」


 少年達は野獣と化して、二人に襲い掛かった。


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