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「なぜ、あのコを?」


 前置きもなしにそう尋ねた。

 彼に対してはそれで十分通じると思ったからだ。


「理由が必要かい?」


 案の定、彼には誰の事を言ったのか理解出来ていた。


「いままで同じ学校の人間は狙わなかったじゃない」

「たまたまさ。偶然、夜に会う事がなかっただけさ」

「偶然…ね」


 面白くもなさそうに言葉を口の中で転がす。

 それは彼女達にとって必然とイコールの言葉。


「いくらなんでも、足がつくとは思わなかったの?」

「さてね。ついたらついたでいいさ。その時はつまらない学生なんて立場から解き放たれるだけだしね」

「顔も身元もバレた状態で逃げ切れるとでも?」

「あの人はそうだったさ」

「………」

「何が気にいらないのかな?」

「…なにが?」

「僕が彼女を殺そうとしたのが気にいらないって顔をしてる」

「馬鹿ね。そんなわけないじゃない」

「そうだね。キミと僕は同じなんだ。だとしたら…」


 ニタリと筒井は神経を逆なでするような嫌らしい笑みを浮かべた。


「嫉妬かい?」

「殺せなかったくせにっ!!」


 カッとなって言い返す。

 そしてハッと我に返って口元を押さえる。

 筒井は勝ち誇るようにフッと息を吐いた。


「僕は殺す事が恐かった。傷つける事は平気だったのにね。だから、殺そうとなんて思えていなかった。殺そうとしていると勘違いしていただけだったんだ。傷つけるつもりで傷つけてばかりで。そんな事で誰かを殺すなんて出来るはずもなかったんだ。だけどね、今度は違う。僕は彼女を殺そうとした、殺すつもりだった、殺したはずだった」


 狭霧は自分の手が微かに震えている事に気付いた。

 それが怒りか、あるいは彼の言うような嫉妬から来るものなのか、それ以外の理由なのか分らない。


「彼女が今も生きているのは僕の努力がまだ足りなかったんだろう。今までは殺せなかったんじゃない、殺さなかったんだ。でも、これからは違う。僕は殺す。そして…」


 まるで射るかのようにまっすぐ狭霧を指差した。


「キミより先にあの人へとたどり着く」


 腕を下ろした筒井が近づいてくる。

 狭霧は動かない。動けない。

 石と化した狭霧の横を用は済んだとばかりにただ彼は通りすぎていく。一つの言葉を残して。


「キミはずっとそこにいればいい。そして、後悔するんだ。あの時、僕の手をとればよかった、ってね」


 足音が背中から離れていく。

 呪いの言葉はその意味をじわじわと体の隅々まで浸透させていく。

 胸元を押さえると固い感触。

 真理亜と出会ってからは命を奪う機会を与えられなくなった刃がそこにある。

 あの時からずっと同じ場所に立ち止まったまま。

 進む事もなく、戻る事もなくただそこに居続ける。

 彼の言う通り、ただずっと居続けるのだろうか?

 脳裏に浮かぶのは記憶に焼き付いた去り行く”焼けた殺人鬼”の後ろ姿。

 あの人に自分以外の誰かの手が届く?

 爪が皮膚を破り、握り締めた拳から赤い雫が滑り落ちる。

 痛みに顔をしかめ、足音が消えているのに気付く。

 去ったのか?

 しかし、気配がまだ残っている。


「?」


 振り返って目を見開いた。

 体育館と体育倉庫の隙間を出たところで筒井と真理亜が向かい合っていた。

 彼等はお互いを見ていない。

 真理亜は彼の向こう側にいる狭霧を、筒井は彼女の向こう側にある校舎を。

 まるでお互いそこにいないかのように。

 だが、お互いを意識しているのは間違いない。

 まるでいまから殺し合いでも始まるかのように濃縮された空間、からみつくような粘着質な空気がそこにあった。

 筒井が何か呟いたように見えた。

 少なくとも狭霧の目にはそう映った。

 真理亜の口も微かに動いたように見える。

 ふいに、まるで一時停止の映像が解除されたかのように二人は同時に動き出す。

 真理亜は狭霧の方へ。

 筒井は校舎の方へと。

 筒井が体育館の影へと消えたのに合わせて狭霧は視線を落とす。


「授業、始まってるよ?」

「知ってる。だから、迎えに来たんだよ」


 そう、とだけ呟いたまま狭霧は動こうとしない。

 真理亜も無理に授業に引っ張っていこうとしない。

 ただ、二人はそのままそこに居続けた。


「ねぇ」

「なに?」

「筒井君と何を話していたの?」

「…たいした事じゃないわよ」

「もしかして辻斬りさんの事とか?」

「何か知っているの?」


 筒井の裏の顔を知っている。

 そんな気がして聞いてみた。


「ん? 何? もしかして筒井君が狼さんだって事?」


 あっさりと彼女は答えた。


「真理亜、あんたね」

「え? なーに?」


 首を傾げる真理亜に狭霧はがっくりと肩を落とした。


「知ってて三角関係だのなんだの言ってたの?」

「えー、あれは冗談だけどぉ」

「それは分かってるけど…」

「でも、気は合うんじゃない? それともやっぱり狼同士だとなわばり争いとかあるわけ?」

「いや、本当に動物じゃないんだし、なわばり争いって…。でも、なんで分かったの?」

「んー? 何がぁ?」

「だから。筒井の事。本当の」

「んーと」


 唇に人差し指をあてて上を見る。

 何かを思い出すようにしていたが一言。


「なんとなく」

「あ・の・ねぇ」

「えー、嘘じゃないよぉ? なんとなく狭霧と同じ感じがしてたし。でも、本当にそうだって自信が持てたのは最近かなぁ。急に怖い部分が強くなってたし。なんでみんな気付かないのかなぁ」

「………」


 もしかして、と狭霧は思う。

 真理亜にもまた自分と同じように人の中の何かを見抜く事が出来るのではないだろうか。

 もしもそうなら…。


「同じ…か」


 何故かは分からないがショックを受けている自分に気付く。

 真理亜が筒井の異常性に気付いたからなのか、それとも筒井と同じと言われたからなのか。

 …恐らくは後者ね、と狭霧は結論付けた。

 自分は真理亜の特別でありたかったのだろう。

 もしかしたら、自分が真理亜の特別だという位置を辻斬りに横取りされるかも知れないという恐れが、筒井に対する反発心を生んでいるのではないかとすら思ってしまう。

 もしも、真理亜と出会ったあの時、自分ではなく筒井であったなら。

 …真理亜の特別は筒井であったのだろうか?


「真理亜」

「ん、なーにぃ?」

「先に戻ってて」

「えー、せっかく迎えに来たのにぃ。っていうかぁ。進級危ないんだって」

「気にしなくていいよ、そんな事」

「すこしはー、気にしてよぉ」


 いくら言っても梃子でもそこを動こうとしない狭霧に真理亜は溜息をついて壁に背を預けた。


「ねぇ、真理亜」

「先に帰れっていうのは聞かないよ。一緒に戻るから」

「そうじゃなくて」

「?」

「筒井と…私は同じなの?」


 真理亜は小鳥のような仕草で首を傾げると少し間をあける。


「そうだねぇ。同じ…じゃないかなぁ。良く分からないけど。けど、やっぱり違う…かなぁ」


 どこか自信なさげな言葉。

 それを聞いて狭霧はどこかホッとしている自分に気付く。


「どう違う?」

「だからぁ、良く分からないって」

「そう…」

「でも、例えるなら…そうだねぇ」


 間をおいて何か口の中で言葉を転がす真理亜。


「お腹を空かせているか…そうでないか、かな?」

「え?」


 真理亜は微笑んで目を閉じた。何かを思い出すかの様に。


「飽食な狼なんかいらないから…あたしが食べて欲しいのはお腹を空かせている狼さんだよ。…でも、でもね」


 微笑みを残したまま刃の反射光のような視線が狭霧の体に突き刺さっていく。


「もしも、空腹に耐えかねて他の人を食べるような狼さんには…食べて欲しくないの」


 狭霧はゴクリと唾を飲み込んだ。

 真理亜と出会って初めての拒絶の言葉。

 それが条件付きであったとしても。


「約束したよね。私が最初だって」

「ええ」

「約束覚えてるよね?」

「ええ」

「約束守ってくれるよね」

「ええ」

「約束…果たしてくれるよね」

「…ええ」


 一瞬。ほんの一瞬だけ空いた間をどうとったのだろう?

 真理亜は微笑んだまま、背を預けていた壁から離した。


「戻ろうよ? 教室に」


 だが、あいかわらず狭霧に動く気配はない。

 しょうがないなぁ、という風に溜息をついて真理亜は背を向けた。


「先に戻ってるよ」

「ん…」


 ぴょこぴょこと手を振って体育館の陰へと真理亜は消えた。


「あっ!?」


 かくんと視界が沈んだ。

 一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。

 呆然と尻餅をついてから、膝の力が抜けたのだと理解した。


「だって、…だって殺せないんだもの」


 表情のない表情のままにぽつりと呟く。そして、頬に一筋の雫が伝う。

 真理亜は赦してくれる。

 全てを赦してくれる。

 そのはずだったのに。

 そして、彼女にあんな事を言わせたのは自分なのだと分かっている。

 分かっているが…。


「それでも殺せない……殺せないよ」


 殺せば届くだろう。あの人に。

 あの人の欠落に。

 殺せば手に入るだろう。至福が。

 至福の時間が。

 …だけど。


「でも、殺せない。でも、殺さなきゃあいつが…。筒井が…」


 嫉妬でも、逆恨みでも、言葉なんてどうでもいい。

 耐えられない。

 ”焼けた殺人鬼”に辿り着くのは自分だ。

 いっそ知らなければ良かった。辻斬りの存在など。

 知らなければ、こんな身を刻むような焦燥に苦しめられる事などなかったのに。



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