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 玄関に控えめな電話の呼び出し音が鳴った。

 狭霧は眉をひそめた。靴を履いて今まさに出かけようとしていた所だったのに。

 誰だろう?

 自宅の電話番号を知る人間は極めて少ない。

 学校か?

 いや、こんな夜中にかかってくるか?

 両親か?

 …いまは直接話すのも怖いらしく、用事がある時は狭霧のいない時間を狙って留守電に入れていく。

 では誰だ?

 靴を脱いで受話器を上げてから嫌な予感がした。

 そう、後一人いた。


「こらぁ、とるの遅いぃ」

「…真理亜」


 がくっ、と脱力して両手を床につきそうになった。

 そうだった。学校で会えるので滅多にかけてこないが彼女は電話番号を知っている。

 そもそも電話機に彼女の電話番号を登録している為に、ちゃんと液晶ディスプレイに『マリア』と表示されているではないか。


「良い子は寝る時間だよぉ」

「…そうね。で、何の用?」

「妨害工作ぅ」

「………」


 壁にゴンッと頭を打ちつけた。


「どーせ、今からまた辻斬りさんを探しにいくつもりでしょー」

「べつに」


 ズキズキと痛むおでこを無視しながら、周囲をぐるりと見渡す。

 よし、監視カメラはなし。

 …いや、そんなものはあるはずないのだが。


「うーそー。じゃぁ、なんで着替えてるのぉ」

「あんた、いったいどこに潜んでるの」


 思わず、電話に向かって言った。


「えー、自宅だよ? ちょっとカマかけただけだよぉ。やっぱり、出るつもりだったんだね」


 電話の向こうで話す真理亜の背中にどす黒い翼が見えた気がした。

 こういう時の彼女は本気でタチが悪い。

 これではどっちが羊でどっちが狼かわかったものではない。


「とにかくー。いい加減に言う事を聞いておとなしく寝るように。もし辻斬りさんに襲われて怪我でもしたら嫌だからね」


 このまま受話器を置いちゃおうかな、という誘惑にかられたが


「あ、もしも切ったら本気で怒るからね」


 すかさず釘をさされた。

 思わず電話機を裏返す。


「あんた、本当に隠しカメラとか仕込んでないでしょうね?」

「えー? だって、狭霧って分りやすいんだもの」


 ケタケタと奇怪な笑い声が耳を打つ。

 どうもからかわれているらしい。

 はうっ、と諦めのため息をついて廊下に腰を下ろした。

 どうやら、今夜は諦めるしかないらしい。



---------------------------------------------------------



 自分が平凡な人間だと自覚したのはいつだっただろう。

 他の同年代の人よりは間違いなく早かっただろうと思っている。

 誇る訳ではなかったが子供の頃から理解力に優れていた。

 あえて、前に出ようとはしなかったがその気になればエリートと呼ばれる人種になる事も難しくなかったろう。

 だから、自分の限界を早くに知ってしまった時は悲しくて苦しくて途方にくれてしまった。


 自分は特別には決してなれない。


 早く走る事は出来ても、誰よりも早く走る事は出来ない。

 期末テストで学年トップをとろうと、全国では上はいくらでもいる。

 きれいだのかわいいと噂されても、所詮井の中の蛙だろう。


 自分は特別には決してなれない。


 悟ってしまうと、現実はとても希薄でつまらないものになっていた。

 どうやっても、特別にはなれない。他と一線を画した唯一にはなれない。

 他の普通の人達と大差のない人生ならば、自分が存在する意味があるのだろうか?


 自分は特別には決してなれない。


 だけど


 もし、目の前に特別があったら?


 一目見て分かった。彼女が特別であろう事は。

 自分にはない何かが彼女にはある事を。

 噂は聞いている。

 ”焼けた殺人鬼”に見逃してもらった少女。

 だが、そんな事は些細な事だ。

 重要なのはただ一つ。

 彼女が特別なのだという事だけだ。

 だから、ある日の夜。

 偶然見かけた彼女の後をつけた。

 後ろめたさは微塵もなかった。

 そんな事は本当にとても些細な事だ。

 特別には決してなれないのなら、替わりに特別な人間を手に入れればいい。

 その為には少女の何が特別なのか知らねばならない。


 そして、目にしたのは獣の血を浴びて真っ青な顔でこちらを見て笑う彼女の姿。


「嶺本さん。…なんで笑ってるのかなぁ、なんて」


 語りかけながら思うこと。

 ああ、やっぱり彼女は特別だったのだ、と。



---------------------------------------------------------



「…で、その特別さんは何をやっているのかなぁ、って」


 誰にともなしに真理亜は呟いた。

 休み時間の教室は喧噪に包まれて、彼女の独り言を聞く者は誰もいない。

 見つめる先には誰もいない席。狭霧の席だ。

 今日は朝から顔を見てない。


「昨日の電話では元気だったよねぇ。不機嫌だったかも知れないけども」


 その不機嫌の原因こそ自分であったのだが、彼女は気にしない。

 最初で最後。

 それが狭霧と交わした約束。

 それが破られる事などあってはならない。

 特別を手に入れる事。

 特別な人間の特別な存在になる為には相手の感情などにかまってはいられない。

 狭霧自身が約束を破るつもりがあるとは思っていない。

 だから、今まで干渉しないできた。

 本当ならたかが夜歩き程度で不安になる必要などないのだから。


「辻斬りさん…かぁ」


 辻斬り。その存在が噂され始めてからおかしくなった。

 狭霧自身は気付いているだろうか。

 その噂が広がりだした頃から彼女はとても不安定になっていく。

 どれだけ普通を装っても、元から特別であるが故に不自然さが浮き上がる。

 今の狭霧は、まるで真理亜と出会う前の彼女のようだ。

 何かきっかけがあれば、狭霧自身の意思を無視して暴発しかねない危うさが感じられる。

 冗談ではない。

 自分は何年も待ったのだ。いまさら横入りなどさせない。

 そう考えて、真理亜は額を押さえてため息をついた。


「あー、でもそれって信じてないのと同じだよねぇ」


 辻斬りに襲われる事を心配しているのも事実だが、それ以上に約束の事を気にかけている事を自覚しているだけに気分が沈む。

 空席の狭霧の席から視線を少しずらす。

 その先も空席だった。

 その席の主も朝からみない。


「ユキちゃんも休んでいるのかぁ…」


 中学時代から病弱ではあったのだが。

 狭霧と一緒にいるせいで離れていってしまったが、真理亜自身にはユキに対するマイナス感情はない。

 かといって好意と呼ぶレベルのものも持っていない。

 中学時代は確かに彼女のグループと一緒にいる事が多かったが、それは単に来る者拒まずなスタンスでいただけだ。

 取り立てて彼女達に特別な感情はもっていない。

 正直な所、どうでもいい存在なのだ。

 ただ、昨日の狭霧につっかかった件もあって多少は気にかかっている。


「昨日の事を気に病んで…はないか」


 学校に出てきたらまた狭霧と別れろとか言われるんだろうな、と真理亜は心の中で苦笑した。




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