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 そこは生ぬるい現実から切り離された世界と化していた。

 漂う血臭、折り重なる死体、赤く染まったコンクリート。

 常識的な感性の持ち主なら吐き気を及ぼす風景。

 それはさながら異界。

 本来こんな場所に存在するはずのないもの。

 深夜。高架下の駐車場。

 周囲に遮るモノがなく、いくら真夜中といっても周りを囲む道路とそれを挟んで建っている民家からいくらでも見る事の出来るはずの場所。

 だが、いつまで経ってもそこに人は来ない。

 今日に限って近くを通りすがる通行人がいないのか。

 今日に限って窓から外を確認しようと思った人間がいないのか。

 理由はともかくとして、今そこで生きているのは二人だけだった。

 一人は殺す側。

 もう一人は殺される側であったはずの存在。

 殺す側は二十歳半ばの青年。

 地面に倒れ伏している死体は彼の手にしているナイフが創り出したもの。喉を掻き切り、背中から心臓を貫き、眼孔に収まる球体とその向こう側を抉る。

 まるでそれらを単なる作業のように表情を変えず淡々と行った。

 殺される側にいるのはまだ幼い少女。

 恐らくは小学校低学年くらいだろうか?

 この地獄のごとき光景が見えていないかのように、食い入るがごとく青年の顔を見つめている。


「俺の…顔に何かついてる?」


 青年が聞いた。

 言外になぜお前は自分を恐れないのだという疑問を滲ませている。

 少女は微かに上気し潤んだ瞳を青年に向けながら呟いた。


「キレイ…」

「…は?」


 青年は間の抜けた声を漏らした。

 右を確認する。次に左を確認する。

 当然だが他に誰もいない。

 恐る々々といった感じで自分を指差して聞いた。


「…俺の事?」


 少女はコクンと頷いた。

 青年は言葉を失って、ただ頬を掻いた。


「んー、あー、そんな事言われた事ないよなぁ。というか男にキレイっていうのは誉め言葉なのかなぁ…」


 男はそんな事を複雑そうな表情でブツブツと呟く。


「凄く…キレイな、欠落」

「え?」

「なんであなたは…そんなにキレイに欠けているの? まるで刃物みたいに凄く鋭くて…」


 少女は自分から青年に一歩近づいた。濡れた音が響いたのはコンクリートの地面を濡らす血を踏んだから。

 青年は少女の言った事を吟味するように顔をやや上に上げて、微かに息をもらす。

 そして何やら納得したように頷いた。


「そっか、俺ってそんなにキレイに欠けているんだ?」

「うん」

「それって珍しいのかな?」

「たぶん。欠けている人っていままであまりいなかったし。いても、みんなギザギザしてる人ばかりだったから」

「…キミはどうやってそれが分かるの?」


 少女は黙って首を振った。

 もしかすると『どうやって』どころではなくそれが『なにか』すらも分かっていないのかもしれない。

 ただ、周囲の状況が目に入らずに熱い視線を送る少女もまた『欠けている』のではないか?

 ふと、青年は疑問に思って聞いた。


「ところで、この人達ってキミの知り合い?」

「…知らない人」

「なんで一緒にいたの?」

「面白い所に連れて行ってあげるって言ってたから」


 なるほど。青年は呆れた視線を死体に向けた。

 彼がここに来た時、ちょうど彼女はワゴン車に乗せられる所だった。

 どこか人のいない所まで移動するつもりだったのか、それともここで済ませるつもりだったのか。

 どっちにしてもロクでもない人種だったのだろう。


「学校で知らない人についていっちゃいけないって習わなかった?」

「この人達も欠けていたから」


 男は眉を潜めた。

 地面に転がる彼等と一緒にされたくないのだろう。


「こいつらも俺みたいにキレイだったのか?」

「ううん。でも、もしかしたら一緒にいればもっと欠けた人に会えるって思ったの」


そして、付け足すように。


「他はどうでも良かったから」


 どうやら男達がどういう目的だったかは理解していたらしい。

 ふいに轟音が耳を突いた。

 上を電車が通過したらしい。

 耳障りそうに眉を潜める。

 いや、それは無警戒にすぐ前まで近づいた少女に対してか?

 少女の手が青年のナイフを持つ手に触れた。

 血に汚れるのもかまわずに。

 顔を近づけ、そして…。


「お、おいっ」


 狼狽する青年にかまわず、舌を這わす。

 ぴちゃぴちゃと濡れた音が闇に響いた。

 少女の表情は溶けたように緩んでいて、それは女としての特徴をまだほとんど得ていない年齢であっても蠱惑的であった。


「あは、いいなぁ。わたしもこんなふうになりたい…」


 まるで腕に囁きかけるように少女は呟く。吐息が腕に当たり青年は微かに震える。


「お前なぁ、…いや、なんでもない」


 顔を上げた少女に対して言おうとした言葉を引っ込める。

 殺されるとは思わないのか?

 そんな事は恐らくは愚問だろう。

 彼女に言わせれば『他はどうでも良いから』なのだ。


「なぁ、お前はいつからそうなんだ」

「…分からない。そう言うあなたはいつから欠けているの?」

「さぁな。たぶん生まれつきじゃないか? ずっと『違う』のは感じてたからな。それをお前が欠落と言うのなら、もう埋まる事はないだろうな」

「なぜ?」

「なんとなく、だ」


 少女から自分の腕を取り上げる。

 不満そうに彼女は青年を見上げたが、かまわず彼は駐車場脇に置いてあったボストンバッグに手をかけた。その後ろを小走りに少女がついていく。

 彼はバッグの中からTシャツとタオルを取り出した。

 バッグの空いた口からは他にもズボンや靴下など衣類が見える。

 少女は不思議そうに首を傾げる。


「このまま出歩くのはさすがにまずいだろ?」


 血に濡れた自分の服をつまんで青年が苦笑する。

 しかし、まだ納得していないかのように少女が首を傾げる。

 青年も不思議に思って少女を見つめた。


「今着替えたら…また汚れるよ」

「なぜ?」

「まだ残ってるでしょ?」


 どうやら、自分を殺せば血が付くと言いたいらしい。

『だったら、言う前に逃げろよ』と思ったがいまさらなのでやめた。

 血まみれのナイフをボロ布で拭いてホルダーに納めて固定する。

 そしてTシャツを勢い良く脱いだ。小さく息を飲む気配。

 怪訝に思ってみると、少女が下を向いている。

 暗いので確認し辛いがどうやら恥ずかしがっているらしい。

 死体には眉一つ動かさないのに、こういった所は年相応…むしろ早熟らしい。

 アンバランスな感性に苦笑する。

 着替え終わって汚れた服を雑にたたみ黒いビニール袋に詰めてバッグに押し込む。

 ファスナーを閉めて肩紐を肩にかけ、青年は少女に背を向けた。


「殺さないの?」


 心底不思議そうな声が背中に届く。

 本当にその言葉の意味を理解しているのか。

 その事を疑いたくなるような質問だった。

 歩くスピードは落ちたものの足を止めずに青年は離れていく。


「わたしを…殺さないの?」

「ああ」

「どうして?」

「………」


 青年は立ち止まった。そして振り返りもせずに言った。


「近いからさ」

「ちかい?」

「俺とキミ」


 少女の息を飲む気配が伝わってくる。


「だったら、なれる? あなたのように。あなたみたいにキレイに欠ける事が」

「さぁ、な。でも、ま、出来ない事はないんじゃないか? …俺的にはあまりお勧めしないけどな」


 じゃぁな、と手を上げて青年の姿が消えた。

 遠くからサイレンの音が近づいて来る。

 恐らくはようやく誰かが警察に通報したのだろう。それはまるで青年が消えるのを見計らったように。

 じきに大変な騒ぎになるだろう。

 だが、少女はそんな事は気にも止めずに青年の消えた方を見つめていた。

 ふと、先程青年の腕を掴んでいた指に血が付着しているのに気付く。

 口元に指を持っていって舌を這わす。

 うっとりと目を細めて呟いた。


「あの人と同じように…」




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