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別人

【別人】


 1


 部屋にいた。自分の部屋。結局俺はここしかなかった。

 梢の生死は確認していない。というより、できなかった。逃げるように出てきたから、梢の部屋を。多分死んではいないと、何となくだがそう思っていた。

「帰って謝ろう」

 何もなかった顔で帰ろう。梢はいつものように迎えてくれるはず。それほどの他愛のない出来事だと、問題視するほどのことではないと気持ちを整理した。

 一晩が過ぎた。その考えに変わりはない。罪を犯した意識もない。あれは俺の表現の仕方なのだから、誰にも咎められることはないのだ。

 窓から見える空は雲で覆われていた。もやもやしている俺の胸中に似ている思った。そんな日の昼過ぎ、俺の部屋のドアが激しく叩かれた。

「梢・・・」

 片付けがされていなく、足の踏み場もない狭い部屋の中を俺は駆けた。スキップのように跳ねた。心の中で詫びながら。

「ごめんね」

 詫びながら鍵を開けた。

「痛かったでしょ、梢」

 男が二人、入口を塞ぐように立っていた。俺はその真ん中をかき分けるようにして、梢を探した。右・左・右と首を大きく振った。二人の後ろにはいなかったので、裸足で廊下に飛び出した。

「フクヤマ・タクヤだな」

 背の低い方の男が振り向きながらいった。

「梢、どこだ。どこにいるんだ」

「おい、聞いているのかっ」

 背の高い方に胸ぐらを掴まれた。

「大人しく聞けっ」

 怖い顔をした男が二人。かわいい顔の梢とはほど遠い。

「殺人未遂及び殺人容疑で逮捕する」

「梢?」

 背の高い方がひとつ息を吐いてから俺の襟元を掴み、引っ張るように歩き出した。

「こ、梢は?」

 訊きたかった。

「こ、梢は?」

 生きている、という言葉を期待した。この耳で。

「殺してはいない。死んではいない・・・はず」

 アパートの前には複数の赤灯と溢れんばかりの人だかり。

「殺すわけがないよ・・・」

 ヒトだかりの目が、蔑むような視線が、俺に集まっていた。

「殺すわけがないよ俺が梢を。だって愛し合っているんだから、俺たちは」

 背の低い方の警官が、パトカーのドアを開けて待っている。

「梢のお腹には・・・僕の赤ちゃんがいるんだよ」

 唱えるようにいった。俺の想いを。それしかなかった信じていれること、俺にとってのかけがえのないこと。

 投げ込まれた。転がるように。硬いシートに額をつけたまま叫んだ。叩いた。

「こ、梢っ」

 けたたましいサイレンがそれを打ち消した。耳をつんざくような音。俺自身の存在が消されていくような気がした。

「ごめんね」

 車はゆっくりと動きだした。俺をどうするつもりなのか。

「ごめんね、梢」

 行き先はどうでもよかった。今は過去だけを知りたかった。

「ごめん・・・ごめんね」

 何度謝っても、何度叫んでも届くことはないこの想い。後悔だけが置き去りにされた。俺の心の真ん中に。


 以前もきた殺風景な部屋。

「梢は?」

 わからなかった。訊きたかった。確かめたかった。すぐに戻ればよかった。この目で確かめればよかった。何故部屋に籠ってしまったのだろう。何故梢に会いにいかなかったのだろう。後悔の念しかたたなかった。

「フクヤマ自供するんだ」

 疑いの眼差しが赤く充血していた。

「証拠があるんだ」

「証拠?」

 また状況証拠か、と思った。目の前に置かれたものものしいモニター。旧式だな、と思った。背の低い方の警官がそれに電源を入れた。

「観ろ」

 俺は目玉だけを動かして、それを観た。

「こ、梢。なんで?」

 瞳孔が開きかかった目は無意識に視線を逸らしていた。梢の首を俺が両手で絞めている映像だったように見えた。

「な、何故これが」

「この映っている男性はお前だよな、フクヤマ」

 俺だった。相手は梢。間違いない。先日の映像だと直感した。

「心配するな、この女性は生きている」

「よ、よかった・・・梢」

 ホッとした。全身から力が抜けていったと同時に、目元が熱くなってきた。

「この女性はお前がいう、梢、という女性ではない」

 はっ?と鼻で笑った。この警官は何をいっているのか理解できなかった。馬鹿じゃないかと思った。梢を梢じゃないなんて、馬鹿じゃないかと心の中で罵った。

「殺人未遂及び殺人容疑とあるが、まずはこの女性に対しての殺人未遂から訊いていくからな」

 何をいっているのか、まだ理解できていなかった。

 確かに首は絞めた。傍から見れば未遂に見えるかもしれない。殺そうという意思があればそうかもしれない。それは一歩譲って理解した。でも違うのだ。俺たちは愛し合っていただけだから。殺意なんてものは当然ないのだから。未遂になんてなるはずがない。あれは俺たちの愛が形になったものだから。

「刑事さん。梢じゃないってどういう意味」

 率直な疑問から訊いてみた。目を充血させている警官が、重たく唇を動かした。

「偽名だ」

「ぎめい?」

「お前が梢と思っていた女性は、この世に存在しない。彼女には本来の名前が存在する」

「存在しないって、それならあの二人で過ごした日々は何だったというんだ。それに何故あんたがそれを知っている」

 何かを思い出したような気がした。節々で沸き上がるように甦る記憶。梢の言葉。梢の仕草。そして、オレからの助言。今になって覚える違和感の数々。モニターには二人の姿が切なく映ったままだった。

「ま、まさか」

 出口が見えたような気がした。小さな小さな光が。

「嘘だろ」

 多分その光は、光明ではないと思った。

「偽名って?」

 警官を睨んだ。警官は動じていない。

「嵌めたのか」

 警官は立ち上がり、窓の方に向かった。

「俗にいう潜入捜査だ」

 窓の外を眺めながら答えた。腑に落ちた。すう~と全身に染み渡る心地よい感じがした。

「騙されたんだな」

 机の下で拳を握った。

「騙したわけじゃない、潜入捜査だ」

 体を張った。いや、心を張った、だと思った。

「お前はKOZUEという名の女性に特別な感情があるようだ」

「それがどうした」

「幼いころに引き離された双子の姉」

 こずえちゃんのことだ。

「成人してからつき合った女性」

 それはコズエ。

「いずれもKOZUEという名だ。お前はいつしかKOZUEという名に特別な感情を抱くようになっていた」

「何故・・・知っている。アンタが」

「親の都合で引き離された姉。事故だと思い現実逃避をしていたよな。まあ、お前自身も父親からの虐待で相当酷いめにあっていたのは確かだが」

「あんたら・・・何者だ」

「愛に飢えた環境で育ったお前は、いつからか実の姉に恋心を抱くようになった。自分に都合の悪い記憶を、部分的に消去してしまってな」

「こずえちゃん・・・」

「仲良かったんだってな、お前たち姉弟は。いつも一緒にいた。学校でイジメにあっていたお前は、いつも姉ちゃんに救われていた」

「イジメ・・・」

「そんな姉とは、親の離婚で離ればなれになってしまう。父親に背中を斬りつけられ、入院していた最中に姉は施設に送られた。だからお前たち二人の間に別れの言葉は交わされていない」

「虐待と・・・イジメ」

「けど、そんなお前もよく立ち直ったよな。中学の時は学業も優秀で、部活もいい成績を残した。第一志望の高校にも一発で合格したし」

 同情しているかのように、警官は目尻を拭っていた。


 2


「フクヤマ、お前気付いているんだろ」

 返事はしなかった。

「コズエって女性のことだよ」

 初めて、愛せた、といえる女性だ。

「気付いていないのか?」

「・・・何を」

「お前たちが姉弟だってことだよ」

「そ、それはこずえちゃんでしょ。何いってんの」

「やはりな、それも目を逸らしていたのか」

「・・・?」

「知っていたはずだ。だから余計に彼女にのめり込んでいったんだ」

「だからそれはこずえちゃんのことでしょ」

「お前は見たはずだよ」

「俺がこずえに何を見たっていうの」

「彼女たちに共通するもの。お前を愛した女性にしかないもの」

「・・・」

「言葉にだしてみろよ」

「あ、紅い・・・月?」

 遠まわりしていたようなうしろめたさを感じた。知っていたのに、わかっていたはずなのに、向き合わないようにしていた。同一人物の二人をあえて分離して理解しようとしていた俺なりの理由。こずえちゃんをコズエだと認めなかった理由。こずえちゃんが死んだと思っていたからか、いや、そんな単純なものではないと思った。

「・・・お前が殺したんだよ」

「お、俺が・・・」

 俯いた俺の喉元に突き付けられた短刀。不可解な空白の時を感じた。

「俺たちは一度、お前をここへ連れてきた。その時は証拠不十分で釈放になってしまった。でも俺たちはそれからずっとお前を張っていたんだ。ずっと、ずっと見ていたよ」

「こ、梢は?」

 急に過ぎった不安。

「だからそれは偽者だ」

 いい切った警官。語尾は強かった。

「俺の・・・子は」

「彼女は妊娠していない」

 頭の先から、一気に血の気がひいていった。

「いつかぼろを出すんじゃないかと、ずっと張っていたんだ」

「ぼろって」

「そろそろ観念しろ、フクヤマ」

 そういったって、俺には記憶がないのだ。今回もまたでっち上げに決まっている。そう思ったら腹がたってきた。愛に飢えた俺を出汁にして、コズエを殺した犯人に仕立て上げる魂胆だと思った。いつまでたっても犯人をあげられない警察組織の陰謀だと。だって俺は梢の首を絞めながらSEXをしただけなのだから。

「俺じゃ・・・ないよ」

「お前なんだよ」

「俺じゃないんだって」

「もう観念しろよ。今回は証拠が出てるんだ」

 警官は唾を飛ばしながら、モニターを俺に近付けた。

「愛し合っただけなのに」

 網膜に焼きつくほど見せられたモニターの映像。俺たちが愛し合った結末だった。愛し合った結末が、愛し合った証が犯行の証拠になるなんて。こんな皮肉なことがあるのかと嘆いていた。

(だから、いったろ)

「ああ」

(掘り起こすべきではなかったんだ)

「ああ、ホントだな」

(もう過ぎてしまったことだけどな)

「俺は誰も愛せないのか」

(そうなんだ)

「結果はどうであれ、俺は愛していたよな。愛せていたよな」

 唇の震えが止まらない。

(双子の姉と婦警のことかい)

「残酷すぎるよ。惨めすぎる。こんなのってあるのか」

(やはり、形、の問題だよ)

「愛の・・・形」

(近親相姦と潜入捜査)

「それは・・・もういいよ」

(事実だよ、それが。最初から報われることはなかったんだ。最初からその愛は)

 紅い月をコズエの瞳にみつけた時、うすうすだが感付いていたのかもしれない。でも止めることはできなかった想い。だって大好きだったこずえちゃんに会えたんだから、止める理由などない。

「コズエっていう被害者は、仰向けで、仰け反りながら首を絞められたと考えられる」

 昇る夕日を見た格好だった。

「彼女の部屋で性行為をしている最中に、しかも彼女が絶頂を迎え全身を仰け反らせた瞬間に、お前は首を絞めて殺害した」

 あの日のことを回想していた。想いの重さとダブらせながら。

「お前も我を忘れてしまった。我を忘れたというか、別のお前が現れたといった方が適当なのかもしれないな」

 だから、現実との区別がつかなくなっていたのだ。夢と現実を行ったり来たりしながら、忌わしい過去を都合よく操作していた。俺とオレが入れ替わりながら。

「殺害した彼女をお前は、おんぶしてあの河原まで連れていった。しかも、殺害した時と同じ体制にして、仰向けにして遺棄したんだ」

 夕日。二人で夕日を見た格好だった。

「殺害して自分だけのモノにしようとした。だから彼女の上から押さえ付けるように首を絞め、あたかも独占しているかのような気分に浸った」

 あの時感じた感覚。俺の首を触った温もりが甦ってくるようだった。

「こずえという子と、コズエという女を重ね合わせ、一緒に封じ込めてしまった。誰のモノにもならないように。でもそれが二人を同一人物だと認めている証なんだよ」

 愛している証。生きている証。

「そして、自分だけのモノにしてしまったお前は、固い殻に閉じ籠ってしまった」

 誰にも邪魔されたくなかった想い。

「しかし、そこへ同じ名前の女性が現れた。お前の心は当然動き、そして惹かれていった」

「梢だ」

「コズエの肉体を滅ぼしてしまったお前は、無性にそれを欲した」

 コズエの温もり。コズエの優しさ。

「嵌らないわけがないよな、そんな状況じゃ」

「ヒトでなしが」

「・・・お前もな」と警官は薄く笑った。

 唇を噛んでいた。

「梢にコズエを無理矢理重ねあわせたお前の心には、やはり無理が生じたんだ。どんどんと梢に対しての想いが屈折していってしまった。いや、それがお前の本心、正体ともいえるものなのだろう」

「俺の正体?」

「殻を破ったお前の正体だ」

「正体ってなんだよ」怪物じゃあるまいし。「・・・俺は俺だよ」

「お前の知らないお前がいる」

「ヒトを二重人格みたいにいうな」

 目を逸らした。逸らすしかなかった。すべてを見透かされていそうで怖かった警官の眼差し。熱く滾るような眼差しだった。

「それがお前自身なんだ。人は誰でも人格をふたつ以上は持っているという。でもお前の悪いところは、そのもう一人の自分に変わった時に、今のお前が、無、になってしまうことだった。逃げだすというか、追い出されるというか」

 警官は、俺の中のオレの方が、本物の俺だといっている。ということは、今の俺は、本物じゃないということになる。度々出てきては、こ煩いことをいってきた奴。そのことは自分でも気づいてはいたが、それが何なのかは考えなかった。夢の中で起こっていることだと思っていたから。

「それと・・・」警官は人差し指をたてた。「お前がもう一人の自分と切り替わるキーワードが存在した」

「キーワード?」

「それを耳にしなければ、殺害行為を繰り返したもう一人のお前は出てこないんだ」

 この部屋に入り、俺は何度耳を疑っただろうか。自分のことなのだが、自分の知らないことばかりを告げられていた。でも今の警官が発した言葉だけは、まったく意味がわからない。

「そんなものあるはずないだろ」

 警官は前のめりになり「それが、あるんだよ」と満足げにいった。

「知らないよ、そんなもの」

「そうだろうな。今のお前は聞いたことがないからな」

「今の俺?」

「いわなかったか梢は。聞かなかったかKOZUEたちから」

 思い出せない。まったく身に覚えがない。

「その言葉とは・・・」

「ちょ、ちょっと待って」

 俺は焦るように警官に手のひらを向け、そして固唾を飲んだ。急に耳を塞ぎたくなった。聞いてはいけないと本能が教えているようだ。かぶりを振った。何度もなんども振った。しかし警官は、それに構うことなく言葉を続けた。

「・・・ありがとう、だ」

「あ、ありがとう?」

 こめかみの辺りが締め付けれるような痛み。同時に頭の中から何かが飛びだしてくるような圧迫感、いや恐怖感が俺を襲った。

「コズ・・・エ」

「耳にしたはずだ、この言葉を」

 手紙に書き残されたありがとうの文字。仕事に行くと書いてあったはずの手紙。書いてあると思いこんでいた俺は、結局それを確認していない。いや確認したのに覚えていない。ということはやはり自分で消し去ったということになる。

「ありがとね」

 こんな俺にいった言葉。

「・・・出逢ってくれて」といいながら笑みを浮かべたコズエ。小さな小さな記憶の欠片たちが、今ここで嵌りつつあった。頭を抱えた。割れるような痛み。精神はやはりそれを拒んでいるのだ。

「梢っ」

 涙を流しながらいった言葉。梢は二度、ありがとう、といった。

「思い出したか」

 低い声。震えていた。

 確かに、間違いなく俺の中にあった言葉。それが引き金だったなんて。肩を落とした。両肩に重くのしかかる十字架を、ずっしりと感じていた。


 3


「それと・・・」

 警官は唇を舐めながら、別のファイルを取り出した。

「もう一人・・・お前の母親の件だ」

「母親。実の・・・母親?」

「覚えているか」

 俺は首をわずかに振った。

「い、今どこに」

 開いた口は、警官の次の言葉を待っていた。

「母親も・・・お前が」

 警官が見せたがっくりとした表情に、俺は愕然とした。

「何を、何をいおうとしているんだ」

 警官を睨んだ。

「君の親父さんは先日釈放されたよ。無罪放免ということだ」

「親父が・・・釈放」

「違う見解がでたからだ」

「親父じゃなかったのか」

「実家に帰ったよな。少し前に一度だけ」

 それは鮮明に覚えている。あの夜の出来事は、忘れたくても忘れられない一種のトラウマになっていた。

「あの日、何を見たんだ」

 DV。あえていわなかった目撃証言。

「殴られるお袋さんを見たんだろ」

 お袋ではない。将来の母親だ。まだ俺の本当の母親にはなっていなかった。

「昔から彼女は、ああやって殴られ続けてきたんだよ。お前を庇うために」

「昔から・・・俺を庇って」

 食い違う記憶と甦る記憶。どちらが本物なのかはまだわからない。

「庇う、俺を。母さんが・・・俺を庇う」

 ぐるぐると巡った記憶が今、ピタリと止まった。

「お袋さんは必死でお前のことを守っていた。旦那、つまりのお前の親父からの暴力をな。けれどそれにも限界がやってきた。堪えきれなくなったお袋さんは旦那との離別を決意し、別居の道を選んだ。お前の親父さんは娘にだけは手をあげなかった。だから親父さんが姉を引きとり、お袋さんがお前を引きとる形になった。そこであの惨劇がおきた。背中を刃物で斬りつけられるという惨劇がな。それさえなければ、お前の人生も悲劇へとは転じなかったかもしれない」

 組み立てられてゆく俺の過去。俺の記憶。俺の人生。こんな初めて会った見ず知らずの警官に。信じたくない自分ともっと知りたい自分が肩を並べている。そして、頑ななもうひとりの自分がそれらを見ているのだった。客観的に。

 掘り起こしてはいけなかったはずだ。

「もういいんだぞ、強がらなくて」

 それを聞いて血走っていた目玉からも、力が抜けていってしまった。失うヒトなんて俺にはいないから、もういいのだ。

 将来の母親だと思っていたヒトが、実の母親だった。

「そういえば、あの時の・・・」

 親父のことを訊いた時の目。今思えば、悲しみを隠しきれていなかった眼差し。あの眼差しは俺に向けられていたのか。俺を哀れんでいたのか。

「思い出してきたようだな」

 俺が持っていないパズルのピースを、この警官は持っている。次々と埋められてゆく隙間、まるで答え合わせでもしているように晒されていく俺の人生。

「お袋さんも絞殺だった。台所で発見された。身に覚えがあるだろう」

 俺は返事することを忘れ、実家でのことを振り返っていた。

 朝、起きた。起きたというよりも目を開けたといった方がいいか。前の晩の出来事で一睡もできていなかったから。赤く腫れあがった頬の母親が、俺に愛想笑いをしていた。朝食を一緒に食べた。悲しげな瞳をしていた。その時俺は、あの背中を恨んでいた。歪んだ愛の形でしか想いを伝えられなかった親父の背中を。

「・・・?」

 何かが俺の脳裏をかすめていった。ほんの一瞬、ある言葉が思い浮かんだ。

「あ、ありがとう・・・だ」

「思い出したようだな」

 哀れみの瞳で俺を見てきたお袋。親父のことを頼んだ俺。その後に発せられた言葉。目に大粒の涙を浮かべながら俺にいった言葉。

「心配してくれて、ありがとね。本当に優しいんだね、たっくんは」

 気付かぬうちに俺は本能で悟っていたのかもしれない。大切なヒト。大切な家族。将来の母親ではなく、実の母親を忌わしい過去から解き放ってやろうと、楽にしてやろうとしたんだ。親父から激しいDVを受けていた母親を、今度は俺が庇ってあげようと。

「あの惨劇の後、お前を斬りつけた親父さんは刑務所に入った。刑期は10年。ちょうど実家に帰る前に出所したんだ。そんな親父さんをお袋さんはずっとあの実家で待っていた。やはり忘れることができなかったんだな。あんなことがあっても愛していたんだよ。それから一緒に暮らすことになったのだが、もともと暴力癖のある親父さんは、また繰り返すことになる。しかし、彼女はそれを償うように堪えた。お前を連れて出ていったことを思い、親父さんを独りぼっちにしたことを悔いながら」

 あの悲しげな表情の裏側に、そんなことがあったなんて。

「お袋さんはお前が成人し家を出ると同時に、親父さん不在の実家に戻った。お前はもう一人でも大丈夫だと思ったんだろう」

 俺が理由だった。開いてはいけない扉。知ってはいけない真実。それは違うと思うようになっていた。俺の人生なのだから訊かなくてはいけないし、知らなくてはいけない。

 今になって知らされる真実。それはタイミングを計っていたようだった。俺が精神的に大人になるまで、残酷な出来事に堪えられるようになるまで。今が多分そのタイミングなのだろう。

「結局すべては・・・俺、なんですね」

 警官は無言で頷いた。溢れる涙を拭こうともせずに、真っ直ぐ俺を見つめている。

「俺の人生って・・・なんなんだ」

 そういった俺の肩に警官の手がそっと添えられた。

「もういいだろう。もう休もう」

 鉄格子のある小さな窓。そこから漏れる月明かり。二つの影は淋しげに部屋から出ていった。

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