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再会

【再会】


 1


「フクヤマ・タクヤです」

 間違いなかった。

 私の弟。私の家族。

 俯きかげんで恥ずかしそうにしているこのヒトこそ、私にとってのかけがえのない存在だった。もう会うことはないと思っていた。諦めていた。

 あの、手を牽かれ家を出た日。あれからいろんなことがあった私の人生。看護学校に入学し、夢を膨らませていた日々。何も考えずにヒトを助けたい、ヒトを幸せにしたいと。それができる自分になりたいと願い頑張ってきた日々。

 ひとつのミスで指をさされ、二つ目のミスで軽蔑され、三つ目では仕事を外された。才能が無いことを実感し、努力する心さえも折れてしまい、毎日毎日挫けるようになってしまった。心を許せるのは同期のミカしかいなかった。落ち込む私の背中に手を添えてくれて、時にはさすり、時には肩を抱き、懸命に私を慰めてくれた。

「苦しい時は一緒だから、がんばろうよ」

 手を差し伸べてくれた。

(ショウコ・・・)

 あの頃と同じことを繰り返していることに気が付いた。

(このままだと、また・・・)

 そう、このままだと、このままミカに甘えてばかりいると、また失ってしまう。私の大切なヒトを。だから断ることなくついていった合コン。ミカに対しての気持ちだった。何もしてやれない私が、今ミカにできることといえば、ミカに添い遂げること。ミカは私に対して下心はないけれど、ミカが困った時や苦しい時にいつでも私が傍にいること。

 もう失いたくないから。甘えてばかりいられないから。


 自己紹介は私の番を迎えた。高鳴る鼓動。緊張していた。それが何に対してなのか、誰に対してなのか、自覚することをまずは控えた。

「キムラ・コズエです。○○総合病院の外科病棟で・・・」

 たっくんが顔を上げた。驚いた表情で私を見ている。

(気付いたの?)

「い、今、なんて?」

 私も全開で動揺していた。隠すことはできそうになかった。

「えっ、今ですか、げ、外科病棟で・・・」

 逸らそうとしていた。無意識に。

「い、いや、その前」

 過去を手繰り寄せられてるようだった。

「え、そ、その前。え~と、○○総合病院ですけど」

 もう手詰まりだった。

「そうじゃなくて」

 たっくんは気付いているのだ、私のことを。

(覚えていてくれたんだ)

 運命の再会。運命の絆。血が、二人の中に流れる血が、私たち姉妹を引き合せたのだ。たっくんは立ちあがったまま私を睨みつけるように見ている。場の空気は滞っていた。そんな時だった。

「な~に、たくちゃん・・・」とオクダ君がその滞った空気をかき分けた。あのチャラさが救ってくれた。一瞬だけ胸を撫で下ろした。オクダ君に感謝していた。あのままだったら何をいいだしていたかわからなかったから。

「コズエさんていうんですか」

 たっくんも迷っているのだ。記憶の狭間で。たっくんも会うはずがないと思っていたのだろう。そう思って当然だ。コズエという珍しい名前に驚きはしたが、私があの時のこずえだとはまだ確信していない様子だ。私も依然として動揺は隠せないでいた。私だって、昨日オクダ君にいわれるまで会うことはないと思っていたのだから。動揺したまま返事を繰り返していた私。

 ひと言もしゃべらないたっくん。ゲームをしていても、私に目を合わせようともしない。

(私を・・・拒んでいるの?たっくん)

 話しかけようと思っても、何から話していいのかわからない。何もかもにわだかまりを感じていた。9年という長い年月、深い溝。記憶から消し去っていてもおかしくはない悲劇的な別れ方。思い出してはいけないとわかっていても、向かいにはたっくんがいる。それは揺るがない現実。幼い頃の記憶が私の頭を支配していた。

「あ、あの、お酒強いんですね」

 よそよそしく 、あくまでもよそよそしく。私が出した結論だった。

 他人。

 私は、こずえ、ではない。そう装うことに決めたのだ。けがされた部分。私のけがされた、こずえ、という人格は、当に捨てたのだから。そう思うと意外と楽になった気がした。

「タクヤさんも行きます?2次会」

 どさくさにまぎれて触れたたっくんの右腕。筋肉質で逞しく、男らしくなっていた。目が潤んできたのを、グッと堪えた。(あの・・・たっくんが)

 たっくんと思うのもやめることにした。このヒトは別人だと。今日初めて会った別のヒトだと。そうとでも思わなければ、身がもたないと思ったから。自分の感情をコントロールできる自信がなかったから。

 2次会の席。私は自らタクヤ君の隣りを選んだ。彼のことが気になって仕方がない私が、選択したのだ。

 今、何をどうして暮らしているのか。

 何故、あのコンビニでバイトをしているのか。

 彼女はいるのか。

 友達はいるのか。

 あれから家族とは会ったか。

 あの傷は・・・癒えたのか。

 私のことを覚えているのか。

 けど、訊けない。訊いてはいけない、そう思った。

「何飲むの?またビール?・・・」

 彼の一挙手一投足が気になった。だから、何気に見ていた1次会。恥ずかしいから耳元でそっと囁いた。彼は顔を紅くして、手をあげ、ビールを注文していた。

 ざわつく店内で、私たちだけが取り残されたように孤立していた。お互いが気になり、お互いを意識しているので、合コンには参加していないような二人だけの空間ができていた。

「タクヤ君、何歳?」

 少し酔いを感じてきたので、その勢いに乗ってみた。

「21」

(知ってるよ、姉弟だもん)

 優越感に浸った。

「へえ、同い年だね・・・」(双子だよ、私たち。似てないけどね)

 呂律が回りづらくなってきた自分とあまりの懐かしさで、何だか私の心は弾んでいた。こんなお酒は初めてだった。

「ねえ、どこかで会ったことある、キミ~」

 いってほしい気持ち半分と、いわないでほしい気持ち半分が、同居している複雑な心境を自分なりに必死に表現していた。照れを隠しながら。

 彼の目を見た。何も変わっていなかった。澄んだ瞳。奥行きのある純粋な瞳。心を奪われていた。ぎゅっと握られたような、鷲掴みにされたような恋に似た感情が私を襲った。顔が急に熱くなってきた。恥ずかしくて堪らなくなっていた。

「こたえなさ~い」

 完全に自分を見失っていた。

(彼を感じたい)

 とめどなく溢れる感情。

(彼は・・・他人)

 たっくんではない、と決めた。

(彼をもっと知りたい)

 押えきれない想い。私は彼の腕を掴んで離さなかった。手が震えていた。指先の感覚がない。必死で掴んだ。彼を感じたい一心で。


 2


 彼の過去は、私の過去なのか。

 彼を知ることで彼を感じることで、肯定していった私の過去。捨てようと、生まれ変わろうと決めたあの日から、こずえであることを否定し続け、コズエという別人で生きていこうと模索していた自分。

 高校を卒業し、看護学校に入学した頃、彼氏ができた。背が高く優しくて腕が太くて、すべてを預けられる存在感だった。

 生まれ変わったばかりの私は、彼を愛することにした。愛してみることに。愛という言葉に特別な思いはなかったが、使ってみたい言葉でもあった。

「好きだよ、コズエ」

 一直線に私を求めてくる彼。私も真っ直ぐに受け止めたその想い。若い二人は求め合うことに没頭していった。来る日も来る日も肌を合わせた。

 彼は私に何を求めていたのか、なるべくそんなことは考えないようにした。結論づけると終わってしまいそうで。私も子供ではない。私の体が目的でも、今彼の腕の中にいるのは私自身だから。それは間違いのない事実なのだから。

 その彼は最後まで、愛、という言葉を使うことはなかった。

 愛とは何か。つまらない疑問だった。結果、あの男と一緒だった。都合が悪くなれば相手を責め、自分を匿っていた。

 愛とは何か。それらが愛ではなかったことだけは理解した。

 SEXをするだけの関係には愛はないのか。それじゃSEXをしない関係には愛はあるのか。それは違うと思った、漠然とだが。SEXという行為自体には、そんな深い意味はないと思っていた。

 思いやり。

 これだと思った。相手を思いやる気持ち。それが愛だと。

 悟った私は看護学校の勉強に励んだ。親もいない、お金もない私はバイトをしながら勉強した。必死でした。

(ヒトを助けたい)

 ヒトとの関係に恵まれていない私が出した答えだった。

(ヒトを幸せにしたい)

 それができる仕事。それが許される職業。それが看護師だった。そして、そんな私をいつも救ってくれたのが、ミカだった。ミカは私に愛をくれた。いつも私を思いやってくれた。まさしく愛だった。

 ヒトとしての幸せ。ヒトとしての生活。ヒトとしての感情。それが今見つかった。たっくん、いやタクヤ君と出逢ってしまったから。運命の悪戯。運命は最後まで私を追い詰めるのか。

 償え、と。

 双子の弟に惹かれてゆく私。運命は双子の弟を愛せといっているように聞こえた。残酷だと思った。非常だとも。だってこの愛は、決して報われることはないとわかっていたから。

 それでもよかった。それでもいいと決断した。血の繋がりという事実があったとしても、こずえは棄てたから。こずえは死んだのだから。もう姉弟ではないのだ。

 二人を引き合わせた赤い絆。太くて長い絆だった。私はそれを信じることにした。

 抱き合うたびに甦ろうとする思い出。このヒトの温もり。封じ込めるように身を任せた。コズエを感じてほしかったから。

 今の私。コズエを。

 彼の愛で溺れてゆく。いつのまにか身動きができないほどに、自分ではどうすることもできないほどになっていた。

(永遠)

 最近ふと考えることがある。理由はなんとなくわかっていた。なんとなくなので、そのままにしていた。触れないように。

 怖かった。怖くなってきていた、また大切なヒトを失うことが。彼を感じるたびに、その想いが大きく、重く私にのしかかる。先のことは考えないようにした。不安になるから。今を生きようと、今しかないんだと、彼しかいないと。

 やっぱりまた繰り返すのか。目を逸らし現実に溺れる。未来を放棄したのと同じことだった。未来の幸せを。

(いっそ、このまま)永遠に。

 魂の融合。肉体の崩壊。いてもたってもいられない衝動。

(今のまま・・・)死んでしまえば。彼を愛している今のまま死んでしまえば。魂は、私の魂は永遠に生き続けるのではないか。彼を愛したまま。

 究極。

 私はそれを望んでいるというのか。

「ありがとね」

 彼は、ん?と訊き返した。

「出逢ってくれて」

 彼は嬉しそうに頷いた。

「お願いがあるの」

 彼の腕の中で私は告げた。たっくん、への私の最後の願いだった。

「このまま・・して」と。


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