表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

コメディー短編(異世界恋愛)

婚約破棄されたので、“スンナリいかない呪い”をかけてもらいましたわ

作者: 多田 笑
掲載日:2026/04/30

少しでも笑っていただけたら嬉しいです。

 ティアリーは、スンナーリ伯爵家の長女。

 社交界で「無難に優秀」と評されてきた令嬢である。そんな彼女が、本日、婚約破棄された。


「ティアリー、君との婚約を破棄する!」


 そう告げたのは、侯爵家嫡男ヴェルドー。外見も物腰も申し分ない、まさに理想的な貴公子。表面上は──だが。


 ティアリーは涙を堪えながら、静かに問い返した。


「理由を……理由をお聞きしても?」


「君は完璧すぎる。僕にはもっと、守りたくなる人がふさわしい」


 視線の先には、ふわりとした雰囲気の令嬢、タフィーがいた。キラキラした瞳で、ヴェルドーを見上げている。


 ティアリーはその様子を見て、すぐに理解する。


(そう……。彼女が守ってあげたくなる存在……)


「真実の愛、ですか……」


 動揺を感じさせない、穏やかな声。


「そうだ、ティアリー。僕は真実の愛に目覚めたのだ!」


 ヴェルドーは満足そうに告げる。


 ティアリーは微笑み、優雅に一礼した。


「かしこまりました……」


 その所作に乱れはなく、声も震えない。


 それがスンナーリ家の矜持であり──そして彼女自身の在り方でもあった。



「へえ……侯爵家嫡男が婚約破棄。大した野郎ね」


 紅茶をくるくるとかき混ぜながら、楽しげに笑うのはティアリーの友人、リゼット・カラミアである。


 呪いを研究している、非常に個性的な令嬢だ。


「面白がらないでくださいまし」


 ティアリーはわずかに眉をひそめ、たしなめるように言った。


「でも研究対象としては最高よ。そいつには、私が呪いをかけてあげるわ。ちょうど今、研究中の“スンナリいかない呪い”をね」


 リゼットは楽しそうに目を細める。


 ティアリーはその言葉を聞き、ほんの一瞬だけ沈黙した。


 地味だが、確実に不快そうな響き。


 あまり関わり合いになりたくない種類のものだと、本能的に理解する。


(……とてつもなく、嫌な予感がしますわ)



 翌日の朝。


 ヴェルドーが、来客に挨拶をしようと手を差し出した、そのとき──


「……?」


 指に何かが絡みついた。

 一本の長い髪の毛だ。


 払って取れた──そう思った瞬間、まだ指に絡みついている。


 握手しようとすれば、その瞬間に絡みつく。


 払う。絡む。払う。絡む。


(……なんだ、これは)


 表情は崩さない。崩してはならない。侯爵家嫡男として、些細な動揺など見せるわけにはいかない。


(……落ち着け)


 再び手を差し出す。


 絡む。払う。絡む。払う。


 ──終わらない。


(な……なぜだ)


 ただの握手。それだけのことが、なぜかスンナリいかない。


「……失礼」


 笑みを浮かべたまま手を引く。だが内心では、不快感が残り続ける。


(こんなことで、苛立つなど……)


 小さな違和感が、彼の心を蝕み始めた。



 昼。


 ヴェルドーはサロンで令嬢たちと会話をしていた。


「「それで、先日の──」」


 声が重なる。


「……どうぞ」


「いえ、どうぞ」


 お互いに譲り合う。


(……落ち着け。こんなもの、よくあることだ)


「「それでは──」」


 また声が重なる。室内の空気が、わずかに重くなる。


 周囲は微笑んでいる。だがその微笑みが、気まずさを隠しているように見えてしまう。


(偶然だ。偶然に決まっている)


 ヴェルドーは息を吸い、声を発する()()をする。


 少し間を空けて──


「「あの──」」


 三度、声が重なった。


(な……なぜだ。フェイントすら通じないだと……?)


 胸の奥に、じわりと焦りが生まれる。


(話すだけだ。私のタイミングが悪いのか? それとも……)


 彼は考えすぎて、余計に口を開くタイミングが分からなくなる。


 笑顔のまま、何も言えない。


 ──普通にできていたことができない。


 その事実が、静かに彼の精神を削っていく。



 午後。


 学院の廊下。


 人を避けようとすれば、なぜか同じ方向に動かれる。


 右へ動けば、相手も右に。

 左へ動けば、相手も左に。


 軽くぶつかる。


「……すみません」


 一度、深呼吸する。


(落ち着け。次は冷静に動けばいい)


 もう一度。


 右へ避けると、相手も右に。

 左へ避けると、相手も左に。


 また、ぶつかる。


(……は?)


 三度、四度、五度。

 避けようとしても、ぶつかる。


(おかしい……)


 周囲の人間は普通に歩いている。

 しかし、彼だけが引っかかる。


(なぜだ……なぜ私だけ……)


 体が無意識に“ぶつかる未来”を恐れ、動きがぎこちなくなる。


 歩くことすら、思い通りにいかない。


 またぶつかる。


「チッ……」


 相手から、舌打ちが漏れた。


(な、なんなんだ、一体……!)


 ヴェルドーには、自分が自分でなくなっていくような感覚がしていた。



 そして夜。


 舞踏会。


「……大丈夫だ。今度は何もない」


 自分に言い聞かせる。


 だが、会場へ入った瞬間──鼻の奥がムズッとした。


「は……っ」


(やめろ……)


 嫌な予感がする。


 くしゃみが出そうになる。だが、出ない。


「は……っ、は……っ」


 大きく息を吸うも、くしゃみが止まる。


(で……出ろ……頼む)


 もう一度、息を吸う。しかし、くしゃみは止まる。


(頼むから、出ろ!!)


 焦りが膨らむ。


 たかが、くしゃみ。

 それが、終わらない。


 握手も、会話も、歩くことも──

 すべて、スンナリいかなかった。


(またか……ふざけるな!!)


「ヴェルドー様?」


「は……っ、ああ……っ」


 返事すらまともにできない。

 彼には周囲の視線が冷たく感じる。


(やめろ……見ないでくれ……)


「は……っ、は……っ……なぜだ……!」


 声が震える。呼吸が浅くなる。


 鼻の奥のむず痒さが、頭の内側まで広がっていくような錯覚。


(出れば終わる……出れば……!)


 彼はその場で足を踏み鳴らした。  

 

 トン、トン、と最初は小さく。  


 それが次第に強くなる。  


 ドンッ、ドンッ!  


 床を打つ音が、静まり返った会場に響く。


「は……っ、く……っ!」


 苛立ちを振り払うように、近くの壁へと拳を叩きつけた。  


 ゴンッ。  


 鈍い音がし、拳に痛みが走る。  


「は……っ!!」  


 もう一度、殴る。  


 ゴンッ!


(痛みで……痛みで誤魔化せ……! 気を逸らせば……!)


 しかし、むずむずは消えない。  

 むしろ、意識すればするほど強くなる。  


 くしゃみが出ない。終わらない。


(いやだ……もう、いやだ……!)


 肩が震える。呼吸が乱れる。  


 視界の端で、周囲の人間が一歩引くのが見えた。


(違う……私は……こんな……!)


「は……っ、は……っ……く、そ……っ……!」


 そして、限界が訪れた。


「はぁぁぁぁぁあああああああああああッッッ!!! 出ろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 くしゃみが出ないことへの怒り──それが叫びとなった。


 静まり返る会場。


 彼は肩で息をしながら、鼻を押さえる。


 くしゃみは最後まで出なかった。


「は……っ、は……っ」



 その後。


 ヴェルドーは「落ち着きがなく、急に奇声を上げる変な人物」と評され、タフィーに見捨てられる。


 そして、社交界での評判も落ち、新たな縁談が持ち上がることもなかった。



「どう? スンナリいかなかったでしょ?」


 リゼットは楽しそうに笑う。


「見事ですわ」


 ティアリーはそう答え、紅茶を一口含んだ。


「この呪いはね、普通にできるはずのものが、上手くいかないから不快なのよ」


 ティアリーは小さく息をつく。


(くしゃみが出そうで出ない、あの感覚ほど不快なものはありませんわね)


 そのとき、ほんのわずかに鼻の奥がむずむずした。


 ティアリーはゆっくりと顔を上げ、リゼットを見る。


「リゼット」


「なあに?」


「わたくしには、使っておりませんわよね?」


「うふふ……さあ、どうかしらね?」


「やめてくださいまし!」


 こうして──


 ティアリーの婚約破棄は、地味に嫌な復讐を経て、笑い話へと昇華されていくことになった。

2026年5月2日の昼夜、5月4日朝の更新で、日間コメディー1位を獲得しました。

お読みいただいた皆さまのおかげです。本当にありがとうございます!


最後までお読みいただきありがとうございます。

誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
こんにちは。 どれも「あるある」で楽しかったです。 くしゃみは、嫌ですね。 その状況を説明する事すら出来ませんからね。
『日常のちょっとしたイラつき』が続く地味に嫌な呪いで笑いました くしゃみは共感します 花粉の季節はほんと出たり出なかったり連発したり スンナリいかないと困る代表格のトイレ関係の話題が出てこないのは…
出会い頭の鏡のような動き、よくやります⋯⋯。 くしゃみが出ないのすごく嫌ですよね(´д`) 二角は最近、広告に邪魔されて最後までスンナリとスクロールできない呪いにかかっています。 それから頻繁に広告の…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ