初めてのアルバイト
だから肝試しなんて嫌だったんだ。
周りの阿鼻叫喚を見て、私はため息を吐く。
そんなに大きくない大学の、二十人程度の同じコースを取る同期たちに誘われた肝試し。全く乗り気ではなかったのだけど、別段アルバイトもサークルもしていなかったので口実が無く、上手く断れなくて今に至る。地元では皆うちがどういう家が知っていて、まかり間違ってもこんな遊びに誘われたことがなかったから、どう断れば良いかも分からなかったのよね。
そんなこんなで幽霊が出ると噂のトンネルにやって来て皆で通り抜けたところ、雰囲気はあったけれども別段何も起こらずに、気が大きくなった男子が数人、よせば良いのに幽霊を罵倒した。
結果として、俗にラップ音というのだろうか、明らかに怒りを感じさせる音に囲まれ、学友たちは戦々恐々としている。
一刻も早く山から下りたいのだが、下山する為の道も乗って来た車も激しいラップ音の響くトンネルの向こうだ。
帰ることも出来ない状況に、男女の別なく学友たちはパニックに陥っている。
トンネルの中からは、人の姿を保ったままのモノ、保てなくなったモノ、元からヒトでなかったモノが数多、同じように怒りにギラついた目を向けている。トンネルの中だけではない、トンネルの上や周りの森にも怒りに染まった目を向けてくるモノたちがいる。
(そりゃあんなことされて、怒らないわけないよね)
呆れの感情がこみ上げてくる。
とは言え、状況はいつまでも悠長にしていられるものではない。
今はまだ憎々しげにこちらを見つめながら、威嚇のように音を出しているだけだが、肉体という枷の無い彼らが、いつ感情のままこちらに襲いかかって来るか分からないのだ。
(参ったなぁ。私は弟たちと違って、大して何も出来ないんだよねぇ)
けれども、現状この場を何とか出来るのは、辛いけれど私ぐらいのものだろう。
(いざとなったらとりあえず九字、かな)
もうまともに真言なんか覚えてないから、出来そうなのはそれくらいだ。頭の中で九字の印をおさらいする、『臨』が組めれば何とかなりそうだ。
腹を決めたからには遅れは取るまいと
彼らに意識を向けると、怒りの籠ったザワザワとかパンパンッといった音とは違う音が、ふと聞こえた。
何だろうと、耳に意識を向ける。
その音は、呻き声と何かが破裂するような音が賑やかなトンネルの中から聞こえて来た。よく聞けば、それがジャリジャリという足音であることが分かった。
こんな状況だ、トンネルの中だって音とか異様な雰囲気だとかあるだろうに、その足音は奇妙な程に乱れがない。平素のような足運びは、この阿鼻叫喚の中では、いっそ異常だった。
「なんだか騒がしいと思ったら、肝試しですか?」
まるで近所で顔馴染みに偶然会った時のように、全く取り乱したところの見られない調子で声をかけて来たのは、トンネルの闇と同化しそうな暗い色の着物と袴の男。二十歳は超えているのだろうけど、年齢の判断がつかい。けれど酷く人当たりは良さそうな男性である。
人当たりは良さそうだけど、恐慌状態になっている学友たちにとって突然現れた着物の男性なんて、恐怖を助長するだけだった。そんな様子を見回して、男性は苦笑すると、「まずこの状態をどうにかしますか」と呟き、こちらを睨むモノをすり抜けてトンネルから出ると、私たちに背を向けてトンネルを見据える。
徐に手を胸の前辺りまで上げると、パチンッと大きく両手を打ち合わせた。なんだかくぐもった不快感の有る音だったが、空気が変わり始めたのを感じる。
合わせた手を広げ、もう一度手を打ち合わせた。
パーンッ。
今度は乾いた音が響き渡る。
「これで一旦は大丈夫です。今のうちに山を降りましょうか」
たったこれだけでと思わないでもなかったけれど、事実としてあれだけ集まっていた良くないモノたちが、二度目の柏手に吹き飛ばされるように消えて行ったわけだから、実際応急処置だろうが何だろうが、何とかなったのだろう。見えていない学友たちも、音が止み雰囲気が変わったことは分かったのか、戸惑いながらも着物の男性に促されて、恐々とトンネルを戻っていく。
トンネルの入口に戻ると、やはり男性に言われるまま車に乗り込む。
大型のワゴン車と普通車の二台で分乗した結果、何故か自然と着物の男性も車に乗って来た。最後尾を歩いていた私の隣にスッと座った時には、さすがに私の目は点になった。男性も何故かキョトンとしたので、私は目を点にしたまま首を傾げると、キョトン顔を嘘のように消してにっこり笑う。
えぇ…、何さっきの表情?
それから男性の指示に従ってあれよあれよと山を降りて、街のファミレスまでやって来た。
「このまま直接帰ると憑いて来てしまう可能性が高くなるので、何でも良いのでここで飲食されてから解散した方が良いですよ」
男性はそう言うと、「何かあったら連絡してください、次からは有料になりますが」と言って、何人かに名刺を渡していく。渡す面子も、トンネルで罵倒していた奴らや引き寄せ易いんだろうなぁという子たちで、分かっていて渡しているのが察せられる。
「はい、貴女にも」
やりとりを見ながらぼんやりしていると、突然私の目の前にも名刺が差し出された。
「え?」
思わず戸惑った声が漏れる。
先程まで的確に必要そうな人に渡していたのに、私にも差し出す意味が分からない。何故なら、私に取り憑くような肝の太い霊など、そうそういないからだ。
そんな事情は分からないにしても、私に必要ないことはこの人なら分かっているはずなのに、どうして?
私は分からないという感情をしっかり顔に出しているはずなのに、彼はそんな表情には気付いていないとでも言うように、私の手を取って名刺を握らせた。突然触られたのに、全く厭らしさも不快感も無かったことに、思わず舌を巻いてしまう。
ここまで皆を誘導した時からそうだったけど、この人のコミュニケーション能力はすごい、というより異常だ。思わず気を許してしまいそうな何かを、ずっと感じている。
今だってそうだ。私が名刺を握ったのを確認すると、ニコッと笑うだけで未練や執着など何も見せずにそのまま颯爽と去って行くものだから、何となく名残惜しさを感じてしまい、思わず視線を受け取ったばかりの名刺に向けた。
あれから一週間が経った。
あの時名刺をもらった人のうちのいくらかは少し体調を崩したりもしたようだけど、大事には至っていない。漏れ聞こえる話では、あの男性に頼った人もいるらしい。
「桔梗はどうだったの?」
学内で最も仲の良い古賀ちゃんと学食でいつも通り昼食を食べていたら、その古賀ちゃんが訊いて来た。
「何が?」
「肝試しの後、桔梗も名刺もらったんでしょ?」
全員がもらったわけではないのに体調不良などがあった人は漏れなくもらっていたことから、あの名刺をさながら呪いのアイテム扱いしている人がいるという話は私も耳にしたことがあるけど、私にしてみれば私以外は必要そうな人にだけ配っていたんだから、名刺をもらった人だけに何かあるのは当たり前の話だ。
まぁ、だからこそ私にも渡した意味が分からないんだけど。
「別に、もらったからって必ず何かあるわけじゃないよ」
私が苦笑しながらそう言うと、古賀ちゃんは何でも無い風を装いながら、それでも私の様子を気にしつつ言う。
「でも桔梗、見える人でしょ?」
古賀ちゃんは気さくな性格の一方、きちんとパーソナルスペースを弁えている。相手に無暗に踏み込ませないし、自身も無遠慮に踏み込んでは行かない。今も軽い風を装いながらも、私に不快の片鱗が無いか確認しながら訊いている。
私的にはこれくらいは全然構わないので、あえて軽く返す。
「どうしてそう思うの?」
これは純粋に疑問。別に隠していることではないけど、大々的に言いふらすことでもないから、今までそういう話はしたことがない。
私の口調から触れても構わないという意図が通じたようで、古賀ちゃんは幾分方の力を抜いて重ねる。
「私、昔からの知り合いに本物の見える人がいるんだけど、桔梗はその人と心霊への向き合い方がなんだか似てるのよね。別に好きも嫌いも無い感じで、でもそういうのが”いる”ことを前提としているというか……」
思ってもみなかった返答に、思わずパチパチと瞬きする。
「違うもの?」
「違うよ! 反応がクールなんだよね、かといって冷めてないというか、信じてないからどうでも良いって感じじゃないし、『そりゃいるでしょ』って感じ」
そんなものだろうかと考えるけど、自覚が無いのだから、いまいち分からない。
「それで、大丈夫なの? 見える人って引き寄せ易かったりするんでしょ?」
こちらを見る目には、ハッキリ心配が浮かんでいた。それを嬉しく感じながら、安心させるためにも笑って答える。
「大丈夫、大丈夫。引き寄せやすいかどうかは見える人でもそれぞれだし、私に取り憑くような根性ある幽霊なんて、そうそういないよ」
私の言葉で古賀ちゃんの表情から幾分心配は減ったけど、消えてはいない。古賀ちゃん本人が見える訳ではなさそうなので、仕方ないかな。
「そういうもんなの?」
「そういうもん、そういうもん」
「それなら良いんだけど……」
あくまで何でもないという態度を通せば、古賀ちゃんの肩から力が抜ける。どうやら結構心配をかけていたようだ、嬉しい反面申し訳なくもある。
ホッとした拍子に疑問が浮かんだらしく、古賀ちゃんが呟く。
「じゃあ何で桔梗にも名刺渡したんだろう?」
そこ疑問よね!
多分古賀ちゃんも、おそらく必要そうな人にだけ渡したであろう名刺を、見えるんだろうなぁと思っていた私がもらったと聞いたからこそ、心配したんだろうし。
私もずっと考えてるけど、全然分からない。
「ねえ、もらった名刺って今持ってないの? ちょっと見てみたい!」
心配事が解消された影響か、いつもより少しだけはしゃいだ様子で古賀ちゃんが言う。
え~と、確か手帳に挟んでいた気がする。鞄を漁って手帳を出すと、挟んでいた名刺を取り出して古賀ちゃんに見せる。随分とシンプルな名刺だ。真ん中に明朝体で「比良坂」と名字だけが書いてあり、それに寄りそうように左側、少し頭を下げて電話番号が書いてあった。
「名字と電話番号だけ?」
「ね、質素だよね」
私なんかは電話かけるのが苦手だったりするので、結構連絡するのハードル上がりそうなんて思ってしまうけど、この人に相談しようとなった時点で、もうそんなこと言ってられない状況なのかもしれない。
「あんまり見ない名字ね。……『ひらさか』かな?」
「多分」
そんな会話をしながら時計を確認すると、
そろそろ次の授業の教室に移動した方が良さそうな時間になっていた。
「そろそろ移動しようか」
「そうだね。今日は後一コマだ、頑張るぞ!」
今日の私と古賀ちゃんの授業スケジュールは一緒で、この後の午後一の授業を熟せば終わりだ。
「あれさえ無ければ午前で帰れるんだけどなぁ」
「授業内容は面白いんだけど、どうしても考えちゃうよねぇ」
自分が好きで取った授業ではあるけど、お昼で解放されるかされないかは、やっぱり気持ち的に違うのだ。午後一はどうにも眠くなるしね。
空気の滞った教室から外に出ると、心無しか空気が澄んで感じられて頭がスッキリするようだ。
「今日も一日頑張りました!」
「ほぼ半日だけどね~」
解放感から声を上げる古賀ちゃんに茶々を入れると、続けて訊く。
「今日も、この後はバイト?」
そうそう。やっぱり六コマ目まで授業がある日は中々辛いからね、その分こういう日は働かないと!」
その顔がなんとなく楽しそうに見えるのは、無いものねだりなんだろうか?
「私も何かバイトしようかなぁ」
「え~。必要ないならしなくていいよ、仕送りで事足りるんでしょ?」
そうは言っても、社会勉強にもなるしなぁと考えていると、
「あれ、林田くんだ」
林田くんと言えば、さっきまで同じ授業を受けていた同期の一人だ。そこにいることに何ら不思議なことは無いのだが、では何故古賀ちゃんがそんな声を上げたかというと、校門を出てすぐの所で誰かと話しているという、あまり見ない状況だったからだ。構内であったり、歩きながらであればそう珍しいことでもないのだが、校門出てすぐのところで立ち止まって見知らぬ人と話しているとなれば思わず目も止まる。そして、相手を見て私の口から「あ」と漏れる。
「知ってる人?」
その声に反応して古賀ちゃんが訊いて来る。
「あの人だよ、あの名刺の比良坂さん」
「へぇ~、あの人が」
古賀ちゃんも観察するような視線を向ける。
比良坂さんはあの日と違って洋服を着ていたけど、ダークグレイのシャツに黒のスラックスと、黒っぽいのは変わらなかった。
そういえば、林田くんも名刺をもらっていたし、数日授業で見かけなかった気がする、ならそういうことなのだろう。
比良坂さんとの距離も近付き、古賀ちゃんも視線を外してそのまま通り過ぎようとしたが、
「ああ、こんにちは」
こちらに話しかけて来た。無視するのもなんなので軽く会釈すると、林田くんに軽く何かを言ってからこちらに近付いて来た。予想外の展開に、思わず古賀ちゃんと顔を見合わせる。
「こんにちは、あれからいかがですか?」
「……特に問題ありませんよ。というか、それは貴方も分かってますよね?」
思わず返した言葉に、比良坂さんは何故か嬉しそうになる。
「良ければ少しだけお時間頂けませんか?」
急な申し出に首を捻る。とはいえ、何で私に名刺を渡したのか、そして何故こういうふうに私を気にするのか訊きたい気持ちはあるし、そう思えば丁度良いのかもしれない。
「桔梗、私も一緒に行こうか?」
古賀ちゃんはそう言ってくれるけど、バイトを休ませるのも忍びないし、気持ちだけもらっておく。
「良いですよ、近くの喫茶店でも入りますか?」
それを聞いて深くなった笑みの中に、とりあえず邪なものは見当たらなかった。
大学近くの小さな喫茶店。店内はカウンターにいる店主から完全に死角になる場所は無く、しかし他にお客さんのいない現状において端の方の席に座れば、大声でもない限り会話が筒抜けになることもない。
お互い無難にケーキセットを頼み、ケーキと飲み物が来て店主がカウンター内に戻ると、コーヒーに角砂糖を入れながら徐に比良坂さんが口を開く。
「改めまして、拝み屋を営んでおります比良坂と申します」
人好きのする笑顔でにこやかにそう名乗ってくれるけど、途中から私の視線はコーヒーに吸われていく。え、この人今砂糖いくつ入れた? 正直四つを超えたところで私の頭は麻痺して正確な数は分からない。
そんな私の視線に気付いて少し照れると、
「お恥ずかしながら甘党でして」
ケーキも一緒にあるんだけど、甘党とかいうレベル?
「失礼ですが、お名前を伺っても?」
そう言われて我に返ると、反射的に答える。
「あ、鬼頭桔梗です」
「桔梗さんですね」
下の名前を取ってくれたことに、なんとなくホッとする。
砂糖に思考回路を持っていかれて、フルネームは名乗らないようにしようと思っていたことがすっかり飛んで行ってしまっていた。
別にフルネーム知られてまずいことはないんだけど、相手も名字しか名乗ってないし。それで、隠すなら名字かなって思ってただけなんだけど。
心の中で言い訳がましく考える。
「あの」
これ以上ペースを握られるのは嫌だから、私から口火を切る。
「何で私に名刺を渡したり、気にかけるんですか? 私には不要だってこと、貴方なら分かりますよね?」
何しろこの人は本物だ。
比良坂さんは砂糖が解け切っているかも怪しいコーヒーを一口飲むと、にこやかに答える。
「ええ、貴女にわたしの助けは不要でしょう。
名刺をお渡ししたのは、貴女がわたしに助けを乞えるようにではありません、わたしが貴女に助けて欲しくてお渡ししたのです」
予想外の言葉に、目が点になる。
比良坂さんはカップを置くと、改まった様子で言った。
「桔梗さん、わたしの助手になって頂けませんか?」
「……は?」
え~と、何だって?
「桔梗さんに、わたしの助手になって頂きたいんです」
その二度目の言葉は残念ながら、私の脳みそまで届いてしまった。
「ん~。私は幽霊とかを見ることは出来ますけど、何か出来るわけでもないので、荷が重いと思うんですけど……」
少し遠回りに断りを入れる。
「ああ、大丈夫ですよ。究極、貴女は傍にいてくれるだけで良いんです」
絶対断り文句だと気付いたはずなのに、すっとぼけた様に言う。さらにはその返答が気になる。
「いるだけで良いって、それ何の為の助手ですか?」
少なくとも、私の認識している助手とは違う。思わず返してしまったその言葉を聞いて、比良坂さんが「よくぞ訊いてくれた」とばかりに嬉しそうになったので、「しまった」という思いがこみ上げる。
「実はですね」
止める暇もなく、比良坂さんが嬉しそうに話し始めてしまった。
「わたしは陰気と言いますか、悪霊などと接すると接するだけ能力が高まるという体質でして、お会いしたトンネルのような所謂心霊スポットと呼ばれるような場所に定期的に行っているんですよ。場所柄、この間のように肝試しに来て霊を怒らせる方々とかち合って営業をかけられる場合もありますし、一石二鳥なんです」
「はあ……」
あの時、あんな場所にいた理由は分かったけど、話は見えない。
「それでですね、何故かはわたしにも分かりませんが、貴女が近くにいてくれるとそういう所にいる時のように、能力の高まりを感じたのです。
だから本当に、貴女はいてくれるだけで良いんです」
あっと思った。なるほど心当たりがある。
うちは少し特殊な家系だ。所謂旧家というのだろうか、歴史ある家系なのだけど、その一番初めは鬼だったのだそうだ。
千年以上の間に鬼の血は薄れて行って、私なんかは「霊感のある人」とそう変わりがない。
とはいえ、いくら薄くなってもこの身に鬼の血が流れているのは間違いない。おそらくそれが関係しているのだろう。
途端に、胸の中に拒否感が生まれる。
私は長子だけど、稼業を継ぐ才能が無かった。記憶もないくらい小さい頃に弟が生まれたこともあって、私が跡継ぎでないことに対してのコンプレックスなんて全く無いのだけど、むしろ私はそういうモノと関わらない平凡な人生を歩むのだろうと考えていた。そのぼんやりとした展望と比良坂さんの頼みとの間の大きなズレが、ギチリと不快な音を立てて拒否感を生む。
「ごめんなさい、無理です」
頭を通さず返した答えは、自分でも驚く程に感情が籠ってなかった。
「桔梗、最近元気ないね」
ぼおっとしてたら心配そうな古賀ちゃんに声をかけられ、ハッと我に返る。
「そ、そうかな?」
「そうだよ、この頃ずっと何か上の空じゃん」
とぼけはしたけど自覚はあるし、多分古賀ちゃんは原因くらいハッキリしたものではないにしろ、切っ掛けくらいはアタリが付いているはずだ。それでも踏み込まずに、「話したければ聞く準備は出来ている」という意思表示に止めてくれているのは有り難い。まだ言葉に出来る程私も分かっていないのだ、この感情が。
何が嫌なんだろう? 本当に嫌なのか?
自分の感情が理解出来ないことが、一番不快だった。
とは言っても、きちんと自分の心を整理出来たとしても、もうお断りしている以上結局は詮無いことだから、忘れてしまうのが一番なのだ。
そんなことを思ったはずなのに。
気が付くと嫌な理由をぼんやり考えるようになった頃から、私の視界にチラチラと比良坂さんが入って来るようになった。学校の周りでだけなのだけど、行き会って軽く挨拶する日もあれば、誰かと話をしているのを見かける日もある。
そうやって彼の姿を見かける度に、忘れようとしていたモヤモヤが去来して、またあの拒否感の理由を悶々と考えてしまうのだ。
その繰り返しに嫌気が差してしまった。
弟妹よりは落ち着いているつもりだけれど、私もどちらかと言えば直情型なのだ、悶々と悩むよりは当たって砕けたい。
「こんにちはっ!」
そんなわけで私は、例に漏れず見かけた比良坂さんに喧嘩腰ともとれる勢いで声をかけた。
そしてやって来た前と同じ喫茶店で、前と同じ様に大量の砂糖を入れたコーヒーをかき混ぜながら、比良坂さんが困ったように眉尻を下げる。
「わたしとしては桔梗さんとお話し出来るのはとても嬉しいのですが、何かありましたか?」
具体的に何かがあったわけではないのだけど、
「前回お話しして以来、モヤモヤ悶々としてしまっているので、吐き出させてください!」
悶々としていたフラストレーションが溜まっていた私は、恥も外聞もなく比良坂さんに叩きつける。
……後で思い返せば恥ずかしい話なんだけど、そこから本当に感情の赴くままに話してしまったので、具体的に何を話したのかは覚えていない。
多分鬼の子孫であること、でも血が薄れてほとんど人間であること、だから普通に一般人として生きていくんだろうと思っていたこと、そしてそのこととのギャップからこの間の比良坂さんの申し出が不快に感じ、以降悶々としていることは話したと思う。
一人で勝手に吐き出して、スッキリした為に冷静になった私は、紅茶を飲んで喉の乾きを癒すと、急に恥ずかしさに襲われて顔が熱くなるのを感じた。
「すみません、八つ当たりみたいにこんな話をして……」
「いえいえ、元々のきっかけはわたしですから」
居たたまれなくなった私の謝罪に、比良坂さんは朗らかに言った。そしてケーキよりも甘い可能性すらあるコーヒーを一口飲むと、少しすまなそうに言う。
「貴女の心をかき乱す意図は無かったのですが、結果としてそうなってしまって申し訳ありません」
そうやって真っ直ぐに謝られると、八つ当たりの自覚がある身としては、少し胸が痛む。
「いえ、きっかけは比良坂さんだとしても、結局は私の気持ちの問題なのに八つ当たりなんてして、すみませんでした」
私の改めての謝罪に、比良坂さんは笑顔で「気にしないでください」と返してくれた。
ふと言葉が途切れる。
訪れた沈黙に気まずさを感じて、手持ち無沙汰に紅茶を一口飲む。
フォークから手を話した比良坂さんが、徐に口を開く。
「これはあくまでわたしの考えなのですが」
こちらを見る比良坂さんの瞳に、思わず背筋を伸ばす。
「長子だけど家を継がないことにコンプレックスは無いと言っていましたが、コンプレックスを感じないように思考を止めていた可能性はありませんか?」
いまいち飲みこめず、首を傾げる。
「自分には素質がないから、そういう仕事は出来ないと決めつけることで、弟への嫉妬やコンプレックスを感じないように自己防衛しているのだとしたら、その根幹を揺るがすわたしの提案に、強い不快感をおぼえても仕方ないかなと思いまして」
そうなのだろうか? 自分に問いかける。
そう、かもしれない……。思いがけず、否定材料は見つからない。
「桔梗さん。貴女が助手になってくれたら嬉しいと、今も強く思っていますが、不快感を押し殺してまでして欲しいとは思いません。それに、わたしの姿が視界に入るのも嫌でしたら、気を付けますので、遠慮せずに言ってください」
気遣わしげな言葉に、改めて自分に問いかける。心なしか軽くなった胸にはあの時のような不快感は、不思議と浮かばなかった。代わりにと言ってはなんだが、不安感が首をもたげる。何といっても実家では素質が無いという扱いだったのだ。そのことを素直に伝えると、比良坂さんは晴れやかに笑いながら言う。
「不安でしたらお互い試用期間、アルバイトから初めてみませんか?」
その言葉を拒否する材料は私には無く、気が付くと私は首を縦に振っていた。
実は主人公は 闇の光‐お雛様の章‐
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