第四話 評価者の影【解答】
いつも読んで頂きありがとうございます
影は、動かなかった。
裏動線の照明は一定の明るさを保っている。
だが、その人物の輪郭だけが、わずかに薄い。
瀬戸は、端末に視線を落とした。
未清算リストの該当項目が、点滅している。
内部補助職員由来。
担当者未登録。
処理状態:未清算。
「あなたは」
瀬戸は、言葉を選んだ。
「正式な配属を受けていない。
ですが、業務は続けている」
影は、否定しなかった。
「続けている、というより」
淡々とした声。
「止められていないだけです」
その言い方に、自己弁護はない。
事実の報告に近い。
「評価は、受けなかったのですか」
「受けました」
即答だった。
「基準に達していないと判断された。
向上心は評価されたが、適合ではない、と」
瀬戸の胸に、かすかな痛みが走る。
それは、同情とは違う。
「それでも、残った」
「業務が残っていました」
影は、手元の書類を揃えながら言った。
「誰かがやらなければ、未清算のままになる。
なら、私がやるのが合理的です」
「……あなた自身が、未清算では」
影の動きが、わずかに止まる。
だが、首を振った。
「私は、業務の一部です。
評価されなかっただけで、無能ではない」
瀬戸は、言葉を失う。
その論理は、間違っていない。
だが、このホテルでは、正しさと採用は一致しない。
背後で、足音が止まった。
「瀬戸」
九条だった。
声は低く、一定。
「現状を整理する」
瀬戸は、視線を九条に向けた。
「当該人物は、適性不足により選別から外れた。
その後、未清算業務のみを継続。
存在は業務ログに反映されていない」
僅かに、間を空ける。
「現在は、未清算案件そのものだ」
影は、九条を見ない。
「回収対象、ということですか」
「原則は、そうだ」
九条は否定しない。
「だが、裁量は君にある」
瀬戸の指が、端末の縁を押さえる。
「選択肢は二つ」
九条は続ける。
「一。未清算として回収する。
二。業務機能として固定化する」
影が、初めて瀬戸を見た。
その視線には、期待も、恐怖もない。
ただ、結果を受け入れる準備だけがあった。
「固定化、とは」
瀬戸は確認する。
「評価されない存在として、業務に組み込む。
名前は不要。
権限は付与されない。
だが、機能は維持される」
「……それは」
瀬戸の喉が詰まる。
「その場合、人間としての区分はどうなるのですか」
九条は、即答しなかった。
「人として、という区分は曖昧になる」
それだけだった。
瀬戸は、影に向き直る。
「それでも、業務を続けますか」
影は、少し考えた。
「評価されないことは、もう受理しています」
静かな声。
「ですが、仕事がなくなることは、耐えられない」
その言葉が、瀬戸の胸に刺さる。
かつての自分と、重ならないわけがなかった。
「……分かりました」
瀬戸は、端末を操作する。
九条が、何も言わないことに気づく。
止めない。
促しもしない。
評価者として、ただ見ている。
瀬戸は、内部補助業務の項目を開いた。
担当者欄に、名前は入力しない。
代わりに、機能名を登録する。
《内部補助業務:整理・更新・事前処理》
処理条件:評価対象外
存在形式:業務機能固定
権限付与:なし
確認を押す。
端末が、短く振動した。
未清算案件:処理中 → 完了
影の輪郭が、わずかに安定する。
だが、濃くはならない。
人には戻らない。
「……ありがとうございます」
影は、深く頭を下げた。
その動作だけは、人間のものだった。
次の瞬間、そこには誰もいなかった。
書類だけが、整った状態で残っている。
九条が、ゆっくりと歩み寄る。
「裁量を超過した」
沈黙が落ちる。
「だが、違反ではない」
瀬戸は、息を吐いた。
「評価は」
「未確定だ」
九条は言う。
「君は、基準を適用したのではない。
基準を定義した」
瀬戸の胸が、静かに軋む。
それは、誇りではない。
重さだった。
「瀬戸」
九条は、初めて真正面から彼を見る。
義眼の奥で、硝子が僅かに光を屈折させた。
「その選択は、
君自身の評価にも影響する」
「……どういう意味ですか」
「人間性を保持したまま、機能を組み込んだ」
九条は平板な声で言う。
「それが、いつまで可能かは不明だ」
九条は踵を返す。
「次は、判断では済まない案件になる」
足音が遠ざかる。
瀬戸は、一人残された。
一瞬だけ、指先に意識を向けた。
血を差し出したときの感覚とは、違う。
何かが増えた気がした。
だが、確認する必要はないと判断し、そのまま歩き出した。
端末が、静かに次の案件を待機表示に戻る。
評価される側だった人間は、
いつの間にか、評価を内包する側へと踏み込んでいた。
そしてそのことを、
このホテルだけが、正確に記録している。
ここまで読んで頂きありがとうございました




