第四話 評価者の影【問題】
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――業務目標:内部補助職員由来未清算案件の回収
ホテルには、見える業務と見えない業務がある。
客を迎え、見送るアッシャー。
受付、精算、問い合わせに応じるフロント。
ロビー周辺の接客から、チェックイン、アウトの案内まで行うベルボーイ。
それぞれに業務内容があり、評価基準がある。
瀬戸遥斗は、入社後の研修中に一通りそれらの業務を学んだ。
だが――
グランド・インペリアル・ホテルのコンシェルジュだけは、違った。
業務範囲は曖昧で、対応内容は必ずしも記録に残らない。
それでも、その判断一つで案件の行方が決まる。
評価する側であり、
同時に、評価されない職。
瀬戸は、未だにその基準を知らない。
⸻
違和感に気づいたのは、昼の業務中だった。
バックオフィスで確認していた書類が、すでに整っている。
不備がない。訂正もいらない。
だが、誰が処理したのかが分からない。
「……これ、更新されてますよね」
瀬戸がフロント補助のスタッフに声をかけると、相手は首を振った。
「触ってないです。今朝からずっと接客に出てましたし」
端末を確認する。
確かに、未清算リストの一部が処理済みに更新されている。
操作履歴には、担当者未登録。
「そんなこと、あるんですか」
瀬戸が呟くと、背後から声がした。
「当該業務は、現時点で担当者未登録だ」
九条怜だった。
昼のロビーでも、彼の存在は浮いている。
金色のはずのバッジは光を反射せず、右目もまた、焦点を結ばない。
「ですが、処理は進んでいます」
「事実だ」
それだけだった。
説明はない。
否定もしない。
「……誰かが、やっている?」
「業務は、機能として進行することがある」
九条は端末を操作する。
未清算リストの裏に、別のログが浮かび上がった。
内部補助業務。
だが、名前の欄は空白だ。
「瀬戸」
九条は視線を上げない。
「裏動線を確認しろ」
それが指示だった。
⸻
裏動線は、通常業務では使われない。
備品搬入や深夜作業用の通路だ。
人の気配はない。
だが、足音だけが、一定の間隔で聞こえる。
角を曲がった先で、瀬戸は“影”を見た。
人影だ。
制服を着ている。
だが、名札がない。
顔の輪郭も、わずかに薄い。
「……すみません」
声をかけると、その人物は一瞬だけ動きを止めた。
だが、振り返らない。
「こちら、立ち入り確認が必要な区域で――」
「分かっています」
返ってきた声は、落ち着いていた。
「今、この書類を先に整えないと、夜の業務に支障が出る」
手元を見ると、確かに書類は正しい。
処理内容も、基準を満たしている。
「あなたは……」
名前を聞こうとして、瀬戸は止まった。
名乗らない。
だが、業務は正確だ。
「私は、支援員です」
影は、事務的に言った。
「他部署からのヘルプとして、以前ここに来ました」
「以前、というのは」
「正式配属前です」
瀬戸の胸に、引っかかりが生まれる。
「コンシェルジュ志望でした」
影は続ける。
「評価基準も、案件対応も理解しています。
実技も、判断速度も、問題なかった」
「ですが……」
「適合しなかった」
言い切りだった。
「向上心があること、業務水準が高いことは評価された。
ですが、“基準外”だと判断されました」
影は、こちらを見ない。
「だから、異動になった。
表向きは、系列ホテルへ」
瀬戸は、ゆっくり息を吸った。
「では、なぜここに」
「業務が、残っていたからです」
影は、書類を整え終える。
「未清算のまま、処理されていない業務が」
瀬戸は、理解しかけて、止まる。
「……それは、あなた自身では」
影は、少しだけ黙った。
「私は、評価されなかった。
ですが、仕事はできる」
その声に、迷いはなかった。
「評価されないなら、評価されないまま、役に立てばいい。そう判断しました」
瀬戸の背中に、冷たいものが走る。
それは、間違っていない。
だが、正しくもない。
⸻
背後から、足音がした。
「瀬戸」
九条の声だった。
影は、振り返らない。
だが、動きは止まる。
「当該存在は、内部補助職員由来未清算案件だ」
「……回収対象ですか」
「選択次第だ」
九条は、無機質に言う。
「回収するか、
業務機能として固定化するか」
瀬戸の喉が、わずかに鳴る。
影は、初めてこちらを見た。
その目には、期待も、恐怖もない。
ただ、問いだけがあった。
――それでも、仕事は続けられますか。
瀬戸は、答えを出せていなかった。
だが、ひとつだけ分かる。
これは、評価ではない。
そして、自分はもう、評価される側だけではない。
判断する側に、立たされている。
未清算のまま残った“影”を前に、
瀬戸は、端末を握りしめた。
その判断が、
自分の未来を指し示すものになると、まだ知らないまま。
ここまで読んで頂きありがとうございました




