第二話 消えなかった新人【問題】
いつも読んで頂きありがとうございます
系列のビジネスホテルに就職したきっかけは、大学四年の春に登録した企業マッチングサイトだった。
瀬戸遥斗は、ホテルマンになりたいと思ったことは一度もない。
表示された適性診断の結果が、ただ「最も一致している」と示した。語学を学んでいたこと、対人評価が平均より高かったこと、極端な志望動機がなかったこと。それらが理由だったのだと思う。
特別な情熱はなかった。
だが、他に明確にやりたいこともなかった。
就職してみると、仕事は思いのほか楽しかった。
接遇の基本、館内動線、クレーム対応。覚えることは多かったが、身体が自然に順応した。同期の中で突出していたわけではない。ただ、評価は常に安定していた。
新入社員研修は、総合評価で一位だった。
だからこそ、違和感は小さかった。
仮配属先が次々と決まる中、瀬戸だけが呼び止められた。直属の上司ではない。支配人経由だった。
「グランド・インペリアル・ホテルに、仮配属だ」
それだけ告げられた。
名前は知っていた。
系列の中でも古く、格式があるという話だった。だが、新入社員研修中に訪れたことはない。説明もなかった。
「特別なホテルだ」
支配人はそう言って、それ以上を語らなかった。
初日に出迎えたのが、九条怜だった。
宿泊部接遇課長。
金色のはずのバッジは、光を反射していなかった。
右目も、同じだった。
光を受けても、奥に届いていない。
義眼なのだと気づいたのは、視線が合った瞬間だ。
だが、硝子の向こうで、何かが動いた気がした。
――そして現在。
グランド・インペリアル・ホテルのロビーは、夜十時を過ぎると音が減る。
照明は落とされない。人の気配だけが薄くなる。
瀬戸は、フロントカウンターで端末の表示を確認していた。
「瀬戸」
背後から呼ばれる。
「当該職員について、確認を行う」
九条だった。
「佐々木ですか」
瀬戸は、あの初日を思い出していた。
ラウンジでの実技試験。
異形の客を前に恐怖し、トレイを落とした同期。
九条に不合格を告げられ、人事に連れられて館外へ案内された佐々木。
それから、わずか数時間後のことだった。
「初日、ラウンジで不合格となった彼は、その日の深夜、旧館側へ向かっている」
九条は一拍置き、端末を操作した。
「正式な欠勤届は出ていない。だが、三日間、所在不明だ」
「無断欠勤、という扱いでしょうか」
「通常であればな」
端末に映し出されたのは、内部職員用の動線ログだった。
最終記録は、深夜二時四十三分。
場所は、旧館側の客室フロア。
「以降、彼の所在は確認されていない」
「旧館は……」
「現在、宿泊利用は停止している」
瀬戸は頷いた。
立ち入り禁止ではない。だが、理由を問われる場所だ。
「消えた、という表現は正確ではない」
九条が続ける。
「未清算状態で留まっている」
「……どういう意味でしょうか」
「人間由来案件だ。本人の意思によるものではない」
説明はそれだけだった。
九条は、ロビーの一角に視線を向ける。
誰もいないはずのソファ。
だが、確かに、座っていた痕跡が残っている。
「瀬戸。接触しろ」
「……私が、ですか」
「業務適性の再確認だ」
九条の声音は変わらない。
「対象は、まだ完全に処理されていない。君なら会話が成立する」
「失敗した場合は」
「内部記録から削除する」
瀬戸は一度、息を吸った。
「承知しました」
旧館へ向かう廊下は、空調が効いていない。
湿度だけが、過剰に残っている。
佐々木は、そこにいた。
制服姿のまま、ソファに座っている。
だが、目線が合わない。
「……瀬戸?」
声は、確かに同期のものだった。
「どうして、ここに」
「帰れなくなった」
それだけを告げて、佐々木は口を閉ざす。
瀬戸は察した。
これは失踪ではない。
拒絶でも、逃避でもない。
処理されなかった結果だ。
廊下の奥で、足音が止まる。
振り返ると、そこに九条が立っていた。
距離はある。
だが、視線は届いている。
「瀬戸」
事務的な声が響く。
「当該案件は、評価対象だ」
その意味を、瀬戸はすでに理解してしまっていた。
――これは救助ではない。
――選別だ。
佐々木が、消えなかった理由。
そして、自分がここに立っている理由。
その答えは、まだ提示されていない。
夜は、終わっていなかった。
ここまで読んで頂きありがとうございます




