表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/17

プロローグ 聖域の門

別の投稿小説のリライトです

「――以上が、本日付で仮配属となる二名です」


 人事課長の説明が終わる前に、男は書類をデスクへ放り投げた。

 乱暴ではない。不要と判断したものを扱う手つきだった。


「必要ない」


 九条怜は言った。


「ここに必要なのは人数ではない。適合するかどうか、それだけだ」


 応接室には春の陽光が差し込んでいた。

 だが、九条の周囲だけ空気が冷えている。温度ではない。密度が違う。


 並んで立つ二人の新人。

 一人は、系列旗艦ホテルから推薦された佐々木。経歴は申し分なく、表情には自信が浮かんでいる。

 もう一人は瀬戸遥斗。地方にある系列ビジネスホテルから異動となった男だ。理由は告げられていない。


 九条は立ち上がり、二人の前に立った。足音はなかった。


「佐々木」


 名を呼ばれ、佐々木は即座に姿勢を正す。


「左踵の摩耗が〇・五ミリ多い。歩幅が一定しない。無意識のうちに判断を迷っている。ホテルマンの歩き方ではない」


 佐々木が反論しようと口を開いたが、九条はすでに視線を外していた。


「瀬戸」


 遥斗は肩に力が入るのを感じた。


「君は自分から漂う匂いに気づいていない。安物のスーツ自体は問題ではない。問題は、妥協が染みついていることだ」


 沈黙。


「……今から、実技だ」


 九条はロビーの奥を指した。

 普段は使われないラウンジ。職員の間では“余白”と呼ばれている。


「先ほど、あそこにお客様がお入りになった。ご注文を承ってこい」


 一拍。


「正しく対応できた者だけを、私は部下と認める」



内部記録抜粋


件名:真昼の影/対応報告(未清算)


 扉を開けた瞬間、空気が変わった。

 外は快晴だったが、ラウンジの中だけ光が弱まっている。遮られているのではない。吸い取られている。


 中央席に一名。

 黒いドレスを纏った女性。姿勢は端正。

 顔に目はなく、その周囲を黒い蝶が何羽も飛んでいる。羽ばたきが、視線の代わりをしているように見えた。


 新人・佐々木、異常を視認後、音を発生させる。

 トレイ落下。騒音。


「……騒がしい」


 重なった声による発話を確認。


「私は『静寂』を注文したはずですが」


 蝶の動きが変化。攻撃的な挙動へ移行。

 佐々木、強い混乱状態に陥る。


 その間、瀬戸遥斗は動かない。

 逃げもせず、近づきもしない。


 約三秒後、瀬戸はトレイを拾い、対象に接近。


「失礼いたしました」


 声量を抑えた発話。


「お客様がお求めなのは、音のない時間でございますね」


 瀬戸は蓄音機に触れる。

 針は落とさず、ゼンマイのみを静かに回す。


 結果、空間のざわめきが減少。

 対象の反応が落ち着く。


「……ふふ。気が利く」


 蝶の動きが収束。

 対象、霧のように消失。


※成功は意図的な判断ではなく、

 結果として要求の本質に触れたことによる。



 ラウンジに静寂が戻ったとき、佐々木は床に座り込んでいた。


「佐々木」


 九条は見下ろす。


「君は見えないものを恐れ、悲鳴を上げた。それ以外に、何もしていない」


「無理ですよ……あんなもの……!」


「このホテルに、普通の客はいない」


 九条は淡々と言った。


「ここは、神も悪魔も人も、等しく仮面を被って訪れる場所だ。その下を見抜き、決して指摘しない。それが我々の仕事だ」


 踵を返す。


「不合格だ。君に、この門をくぐる資格はない」


 佐々木はロビーにいた他の社員に連れられて去っていった。

 人事記録上、彼は“辞退扱い”となる。

 だが、その後、系列内のどの部署にも彼の所在は残らなかった。


 この時点では、まだ誰もそれを事件とは呼ばない。


 九条は、立ち尽くす遥斗の横を通り過ぎる。


「瀬戸。君は異常に耐性がある」


 低い声が、耳元に落ちた。


「だが、それだけでは足りない。次は、君自身が異常の一部になってもらう」


 眼鏡が直される。

 右目の硝子の奥で、何かがわずかに羽ばたいた気がした。


 遥斗は理解する。


 このホテルは建物ではない。

 一つの意志を持つ巨大な境界だ。


 そして九条怜は、その門を管理し、

 入る者と、消える者を選別する存在――。


「……九条さん。あなたは、何者なんですか」


 問いは、無意識に零れた。


 九条は足を止め、ゆっくりと振り返った。

 胸元には二つのバッジ。

 黄金の鍵は、光を失った黒金の色をしている。


「コンシェルジュだ」


 短く答える。


「そして、未清算を残させない管理者だ」


 一拍。


「地下記録庫へ行け。百年前の未清算リストを持ってこい」


 視線が、ロビーの奥を示す。


「その勘定を払いに来る客がいる」

ここまで読んで頂きありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ