36 通じ合う心
ミランディス伯爵家からの帰路、レオン団長がルカをそっと抱き上げた。その腕の中で、ルカは小さな手を団長の首に回し、安心したように微笑んでいる。その光景に、私の胸が締めつけられた。
「無事で良かった。こんなことは二度と起こさない。守れなくて……ごめんな。」
レオン団長の瞳に、ほのかに涙が滲んでいた。その姿を見て、私は気づいた。ルカにとって、レオン団長こそが唯一無二の父親なのだと。そして、自分にとっても、レオン団長以外に寄り添うべき人はいないのだと。
アルトはレオン団長に褒められ、誇らしげに胸を張っている。その姿はどこか自慢気で、ほんの少し尾を揺らしていた。
一方のルカはというと、自分がさらわれていたという自覚はまるでないらしく、どこまでもケロリとしていた。
レオン団長に抱きかかえられたまま、安心しきったように小さな身体を預け、そのままスヤスヤと眠ってしまった。
迷い続けた日々が、霧が晴れるように消えていく。家族とは、完璧な形を求めるものではなく、共に支え合い、困難を乗り越えていくものなのだと、私は初めて理解した。
――レオン団長にこの気持ちを言わなくちゃ。
けれど、なかなか言い出せず、きっかけもつかめないまま日が過ぎていく。
あの事件の日に心は定まったはずなのに、時間ばかりが過ぎていく。
昼下がりの食堂。
客足も一段落し、ゆったりとした空気が流れる時間帯だった。ふと、大きなため息をついたその瞬間、目ざとくそれを見逃さなかったのが女将さんたちだ。
「エルナちゃん。だいたい、私たちにはお見通しなんだからね。早く自分から告白しちゃいなさいよ」
「そうそう。あんないい男、放っておいたらダメ。テオドラみたいな女がまた現れたらどうするの?」
図星を突かれて、思わず頬が熱くなる。
「せっかくの告白を保留したのは私なので……今さら、言いづらくて。それにもし、もうそんな気持ちはないって言われたら――」
そんなはずない、と自分でもわかっているのに、不安が胸をよぎる。
女心は、いつだって理屈どおりにはいかないのだ。
◆◇◆
「……少しだけ、空を見に行きませんか?」
その日の夕方、いつものようにやって来たレオン団長に声をかけた。
食堂の屋上から見える空は、夕焼けに包まれて朱く染まり、雲の端には柔らかな金が差していた。
穏やかな風が髪を揺らし、どこか遠くで鳥が翼を広げた音が響く。ふたりの影が並んで伸びていく様子が、今の心を映しているように思えた。
「団長……いえ、レオン様」
私は深く息を吸い込み、心の奥底にしまっていた想いを言葉にする決意を固めた。
「これまで、身分の違いや、ルカの母親としての責任を考えて、あなたへの想いを押し殺してきました。
でも……ルカの母親であるからこそ、あなたと共に歩むべきだと、気づいたんです。
それで……もし、まだ手遅れでなければ――」
私がそう告げると、レオン団長は驚いたように私を見つめ、そして、ふっと優しく微笑んだ。
その穏やかな笑顔に、胸の奥に澱のように残っていた迷いや不安が、静かにほどけていくのを感じた。
そっと差し出された手が、私の手をやさしく包み込む。
「これまで、どれほどその言葉を待っていたか……。身分も、立場も、俺にとってはどうでもいい。エルナとルカが、笑ってくれるなら――それだけで、俺は満たされる。……ずっと、そう願ってきたんだよ」
そして、私の身体はそっとレオン団長の腕の中に引き寄せられた。
胸の鼓動が重なって、ぬくもりが全身に広がっていく。
こんなにも心が満たされるなんて、思ってもみなかった……
世界が輝きを増した瞬間だった。




