26 アレグラン視点
「はい? サイラスの父親は俺ですよ。亡くなってるなんて……誰がそんなことを?」
穏やかな調子だった大柄な男が、少しだけ眉をひそめて言った。
「じゃあ……離婚したけど、復縁するってことなのか……」
花束を抱えた男が、悲しげな声で言う。その顔には、カリーナへの怒りより、深い悲しみが滲んでいた。
――俺と同じで本気で好きだったんだろうな。
「いや……俺のほうが、子供を引き取るつもりで離縁に踏み切ろうとしてたんです。でもその直前に、こいつがサイラスを連れて失踪しましてね。探し回ってたんですが……もう諦めかけてたところに、急に連絡が来たって感じです。だから、まだカリーナは俺の妻ですよ」
「なんてこった……俺、人妻とカフェ開こうって相談してたのかよ? カリーナ、せめて金返せよ!」
手土産の包みを持った男が、ショックを隠せないように声を荒げた。
「俺はサイラスの持病の薬代を……まあ、使い道が本当に子供のためだったなら、いいけどさ……」
花束を抱えた男がぽつりとつぶやくと、サイラスが不思議そうに口を挟んだ。
「ぼく、お薬なんて飲んでないよ?」
場の空気が、さらに冷え込んだ。
そこまでの俺たちの様子を見て、大柄な男が深いため息をついた。
「……カリーナ。やっぱり、お前は変わってなかったんだな」
その声には怒鳴り声よりも重たい、静かな怒りが滲んでいた。
「相変わらず、賭け事が好きなんだろ? 『もうやめた』って言ってたのは、やっぱり嘘だったんだな。そのために……この人たちを利用してたわけだ……やり直すなんて、やっぱり無理だな。サイラスは俺の子だから、連れていくぞ」
その男――コーデルトと名乗った彼は、カリーナを睨みつけたままだ。
「連絡をよこしたのも……俺が“画家として名が出た”って、どこかで聞いたからだろう? 最近は王族や高位貴族の肖像画を任されるようになった。きっと、お前はそれを知ってたんだよな」
確かに、彼の服は俺たちの誰よりも仕立てが良く、上質な生地でできていた。飾り気はないが、しっかりと手入れされたブーツ。ボタンひとつ取っても、安物ではないとわかった。
コーデルトは、花束を持った男に丁重に頭を下げ、落ち着いた声で、こう告げた。
「子供の薬代だと騙されたお金なら、その分は今お返ししますよ。俺の子が絡んでいるなら、知らん顔はできませんからね。しかし、それ以外なら……どうぞ、カリーナを訴えてください。少しは反省した方がいいでしょうからね」
コーデルトはサイラスの手を取りながら、ふとカリーナのほうに目を向けた。その視線はもう、何の情も含んでいなかった。
「――離縁届は出しておく。……まあ、お前ほどのやらかしがあれば、署名がなくても受理されるだろうな」
それだけを告げると、彼はサイラスを連れて、俺たちから背を向けた。
「嘘だろ……? おい、サイラス……パパじゃなかったのか? 俺は、おまえの“パパ”だろ?」
俺は声をかける。サイラスはくるりと振り向き、にこっと笑って言った。
「パパはいっぱいるけど、“父さん”はこの人だけだよ」
そう言って、コーデルトに、ぎゅっと抱きついた。
「だって、ぼく、父さんが一番好きなんだ!」
――あんまりだ……俺が見てきた大事な家族は幻だったのか……
花束を抱えていた男は、コーデルトから金を受け取ると、そのまま帰っていった。最後にひと言、「いい勉強になりました」なんて、殊勝なことを言いながら。
――まあ、そうだよな。
よく見れば、あいつは俺よりずっと若い。
これからいくらでも、新しい恋人を見つけられるだろう。
だが、お土産の包みを抱えていた男は、様子が違った。
「正式に訴えてやるからな! 覚悟しろよ!」
怒鳴りながらカリーナを指差す。
顔を真っ赤にして、声はすでに半泣きのように震えていた。
「よくも……四股なんてしやがって……! どうりで、ずっと家に呼びたがらなかったわけだ。会うのはいつも、俺んちばっかりだったし、妙に会える日も限られてた……そういうことかよっ!」
拳を握りしめ、地団駄を踏むようにして叫ぶ。
そして、俺は……その元“女神様”から、今になって縋られていた。
「もう……私にはアレグランしかいないの。お願い、助けて……」
――俺は……なにをしてしまったんだ?
命をかけて俺を守った、エルナの高潔な魂を――騎士としての誇りを、真摯な愛を、俺は踏みにじったんだ。そして、俺が選んで守ったのは……こんな女だったのか?
(……まさか、これを守るために。俺はすべてを、失ったのか?)
「うっ……うっ、ひっく、えぐっ……エ、エルナぁ……! 俺が、バカだったんだよ……っ。お前が、どれだけ良い女だったか……いまさら、気づくなんて……っ。エルナぁーー! ……会いたいよぉ……!」
俺はもう、どうしようもなくて――まるで子供みたいに、その場で泣きじゃくったのだった。




