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夫がよそで『家族ごっこ』していたので、別れようと思います!  作者: 青空一夏


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20

 春の陽射しが、やわらかく町を包んでいた。

 石畳の隙間からは、淡い緑が芽吹き始め、空気にはほんのりと花の香りが混じっている。


 王宮での裁判から、ふた月が過ぎた。

 貴族たちの間で一時は騒がれたあの裁定も、今では話題から消えつつあり、社交界の関心はすっかり別のところに向かっていたが、平民の暮らしは変わらない。




 

 最近、私は気づいた。店の様子が少しだけ変わってきたことに。


 正確に言えば、「人の動き」が変わった。


 いつもの昼どき。

 厨房でスープの味を確かめていると、騎士の制服を着た若者が、食べ終わったお皿をさりげなく下げてくれる。


 重たい鍋を持ち上げようとすると、気がつけば別の手が先に伸びている。

 お客様であるはずの騎士や兵士たちが、さりげなく手伝ってくれることが、最近では珍しくなくなっていた。


 「……ありがとう」


 そう声をかければ、彼らは背筋を伸ばして一礼し、静かに厨房を後にする。


 こういうことが、続いていた。


 部下だったユリルが、何か言いたげに様子をうかがってきたり、トミーが私の動きを見ながら、黙って白湯や温かいミルクを差し出してきたり。


 誰も何も言わないけれど、皆が何かを感じ取っているようだった。

 もしかしたら、あの裁判のあとで、私が子を身ごもっていることが騎士団のなかで少しずつ広まっているのかもしれない。


 けれど私は、それを誰にも問いたださなかった。

 言葉にせずとも、そっと気遣ってくれているのがわかったから。

 


 


 午後三時。営業が終わると、店内には静けさが戻ってくる。

 お腹も少し目立つようになって、私は店を早めに閉めるようになっていた。

 お客様が帰ったあとの片付けをしていると、扉の鈴が鳴る音が聞こえる。――もう慣れた足音がそれに続く。


 「身体の調子はどうだ?」


 振り返れば、王都騎士団長――レオン・グリーンウッド侯爵だった。

 夕方になると、彼はほとんど欠かさずこの店に立ち寄り、片付けを手伝ってくれるのだ。


 「騎士団のお仕事は、大丈夫なんですか?」


 そう尋ねれば、「ちょうど空いた時間でな」と、毎回変わらぬ調子で返してくる。


 彼が皿を拭く姿はすっかり板についていて、その横顔を見ていると、まるで昔からここにいた人のようで、ふとした瞬間、高貴な方だということを忘れてしまいそうになる。

 そんな、穏やかな日々が続いていた。


 


 ◆◇◆


 


 その日は、ちょうど店の定休日だった。

 久しぶりに空を見上げて、窓辺でしばらく風にあたっていた。

 日差しは柔らかく、穏やかな一日になりそうだ。


 「今日は……天気がいいな。どうだ? たまにはちょっと出かけてみないか?」


 昼前、店の前にやって来た団長が、ぽつりとそんな言葉をこぼした。

 気負った様子はなく、それでいて少しだけ、迷いながら言葉を選んでいるようにも見える。


 「……そうですね。なにか作りますね」


 私がそう返すと、彼はわずかに驚いたような表情をして、嬉しそうに小さく頷いた。



 


 レオン団長に連れられてやってきたのは、町から少し離れた静かな湖畔だった。

 湖の水は透きとおり、森の木々が水面に映ってゆらゆらと揺れている。

 風が優しく吹き抜け、草や木の香りがほんのりと混じる場所だった。


 「……すごく、いいところですね」


 「騎士団の訓練場の裏手にある、人があまり来ない場所なんだ。静かで……落ち着くだろ」


 団長は手慣れた様子でシートを広げ、私は持って来た食べ物を広げた。


 バスケットの中に詰めたのは、朝一番に焼いた丸パン。

 外はこんがり香ばしく、中はふんわり柔らかい。小麦の甘みが感じられる素朴なパンだ。


 添えてあるのは、ハーブと岩塩、刻んだにんにくで下味をつけ、オリーブオイルでじっくり焼いた鶏肉のロースト。

 皮はパリッと香ばしく、冷めても肉はしっとり。火加減にも気を配って仕上げた。


 そして、半熟のゆで卵。

 白身はぷるんと、黄身はとろり。

 塩とディルをほんの少しだけ効かせ、優しい風味に整えている。


 色とりどりの野菜を使ったサラダには、蒸した根菜と葉野菜を合わせて、酢とオリーブオイルで軽く味付け。

 そして最後に、しっとりと焼き上げた手作りのリンゴの焼き菓子。

 甘すぎず、戸外で食べるのにぴったりの味だった。


 「……美味そうだな。最高のごちそうだ」


 団長は料理を覗き込み、ふっと目を細めた。


 「誘っておいて、かえって負担をかけたな。無理してないか?」


 「いえ。むしろ、作っているあいだも楽しかったです」


 その言葉に、団長は思わず口元をほころばせた。そして、ゆっくりと、噛みしめるように味わいながら言った。


「エルナの料理は本当に美味しい。どれを食べても、心から美味しいと思うよ」


食べている表情からも、食べっぷりからも、偽りのない賞賛が伝わってくる。料理を褒められただけなのに、まるで自分のすべてを肯定してもらえたような気がした。


――嬉しい。こんなに幸せな気持ちになるなんて。


 


 風が木々を揺らし、鳥の声が遠くに響いていた。

 ふたりで過ごすその時間は、静かで、優しくて――

 私はただレオン団長といるだけで、胸の奥にぽっと温かいものが広がっていくのを感じていた。


 ──そのとき。


 背後の茂みで、枝葉をかき分けるような音がした。

 ごそ、ごそ……と、ゆっくりと確かに何かが近づいてくる。


「……下がれ。何か来る」


 団長は素早く立ち上がると、腰に帯びた剣の柄に手をかけた。


 そして、茂みの向こうから姿を現したのは――

 銀灰色のふわふわとした毛並みを持つ、巨大な犬のような魔獣だった。



 

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