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朝の王都はまだ静かで、空気がほんの少しだけ冷たい。私はエプロンの紐を結びながら、一階の厨房へと下りていった。朝の光が窓から差し込んで、真鍮の鍋を柔らかく照らしている。
竈に火を入れ、スープの鍋をそっと火にかけたところで、食堂の扉が開いた。
まだ開店前。来るとしたら――
「おはようございまーす! っと、やっぱりもう始まってる!」
「ユリル、今日はお休みでしょう?」
「ええ、公休日です。でも団長に“朝の仕込みだけでも手伝っていけ”って言われまして。で、その途中で――」
ユリルは腕に抱えていた籠を差し出す。
「八百屋の女将さんに呼び止められました。“どうせ食堂に行くんでしょ? これ、エルナさんに渡しておいて”って。押しつけ……じゃなくて、差し入れです!」
籠の中には、土のついたままの朝採れ野菜がぎっしり。
じゃがいも、人参、玉ねぎ――どれも見るからに新鮮で、美味しそうだった。
「みんな、本当に優しいわね。ありがたく頂くわ」
胸のあたりがほんのりあたたかくなるのを感じた。
「団長の“公務命令”と、八百屋の女将さんの差し入れ、ダブルで断れない朝でした」
「ふふっ。じゃがいもの皮を剥いてくれる?」
「了解です、隊……じゃなくて、エルナさん!」
「もう“隊長”じゃないのよ。次言ったら、厨房の床掃除もお願いするわよ」
しばらくして、もう一人、トミーが顔を出す。
「おはようございます、エルナさん。今日の朝ご飯、あります?」
「……あなたたち、それが目当てでしょ。騎士団の食堂に行きなさいよ」
「だって、ここの味を知ったら戻れませんって! その代わり、仕込み手伝います。力仕事も任せてください」
声を上げて笑いながら、トミーも調理台の隅に立ち、じゃがいもの皮をむきはじめた。エプロンの着け方はちょっと雑だけれど、手慣れた様子なのが頼もしい。
わいわいと仕込みを手伝う彼らは、かつての部下たち。騎士団に所属していた頃、私の指揮下で動いていた平民兵士だ。
“元隊長”として今でも慕ってくれていて、夫と離婚してからは、こうして心配して頻繁に顔を出してくれている。
団長の指示もあるらしいけれど、それだけじゃないことは、態度を見ればすぐわかる。
「はい、むき終わりました! 次はなんですか、エルナさん!」
「はいはい、じゃあ次は玉ねぎよ。泣かずに頑張りなさいね」
「えっ、泣きますって、これ絶対!」
仕込みが終わり、みんなで朝食を囲んだあと――彼らが帰った静かな厨房で、私はそっとお腹に手を当てながら、つぶやいた。
「……ふふ、賑やかだったわね。あなたが生まれたら、あの子たち、きっと驚くでしょうね。まだ、誰にも言っていないの。ごめんね、たくさんの人に祝ってもらえる形じゃなくて……」
一瞬、言葉が途切れる。けれど、すぐに小さく微笑んだ。
「でもね、大丈夫。お母さん、ちゃんと頑張るからね」
そう呟いた瞬間――扉の鈴が控えめに鳴った。
「失礼する」
低く落ち着いた声に、私は思わず背筋を伸ばす。振り返ると、そこに立っていたのはレオン騎士団長。軽装姿でも、相変わらず気配は凛としている。
「おはようございます、団長。……本日はお忙しいのでは?」
「少しだけ時間が取れた。……様子を見に来ただけだ」
そう言って、団長は手にしていた紙包みを、カウンターの上にそっと置く。中身は、よく乾燥させたハーブ――それも、消化を助けたり、体を温めたりする種類ばかりだ。さらに小ぶりの干し果物と、焼き菓子が数点。
「……これは?」
「近衛の補給係が扱っている薬草の中に、質のいいものがあった。体に優しいらしい。干し果物と焼き菓子は、ちょっとした土産だ」
一見、淡々とした口ぶり。けれどこのハーブ――明らかに“妊婦に向けたもの”に見える。私は、胸の内が一瞬だけ揺れるのを感じながら、静かに口を開く。
「ご配慮、感謝いたします。もしかして私の……」
言いかけたそのとき、団長はほんの少しだけ首を横に振った。
「……言いたくなったら、言えばいい。無理をするな」
その言葉に、私ははっと息を呑む。けれどすぐに、口元に笑みが浮かんだ。団長は、いつもの無表情のままカップに目をやり、ひとくち、熱いハーブティーを口に含んだ。
「……いい香りだな」
「はい、それも《《妊婦さん》》が好んで飲むお茶なんです」
「……そうか」
多くを語らずにいても察してくれる――確かにそこにある優しさ。この方が上司で良かった、と心から思うのだった。
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※この小説の世界観復習。
騎士の下に平民の兵士が部下につく世界です。
騎士は小隊長なんで、部下たちがエルナのことを隊長と呼びそうになります。




