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梶谷診療所の帝都裏稼業  作者: 林 刺青


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9/15

夜叉 9.

 三島千代の葬儀は醜聞隠し的な意味合いが強い依頼だった為に梶谷が出席する必要は無い——と言うよりも寧ろ出席しない方が好ましい状況だった。彼の“患者”が複数人出席していた事は想像に難く無い。


 しかし今回、三島信一の葬儀に梶谷の存在を気にする人間は居らず、一月分とは言え少なくない額の請求もしなければならない。そういう訳で、梶谷はその重い腰を上げて葬儀に出席する運びになった。


 そうして訪れた葬儀では、主役が酷い殺され方をしたにも関わらず、梶谷の目には資産相応に金をかけたものに映った。


 ——まあ、金持ちには死んでからも色々とあるのだろう。

 そんな事を何処か冷笑気味に考えながら将来顧客になるかもしれない顔ぶれ、特に黒の喪服を着ている人物をジロジロと眺めていた梶谷は、ある顔見知りの少女に違和感を覚えて目を留めた。佐伯ハルだった。


 違和感。それは酷く悲壮な顔で参列している彼女からでは無く、彼女の付き添いと思われる男から生じているものだった。

 大仰な言い草だったが、違和感の正体はその男がとても十七の娘がいる年齢には見えないという実に簡単な話である。歳の頃は三十前後の端正な顔立ちの好青年だった。

 ——許婚だろうか。もしそうだとしたら、ごっこ遊びとは言え愛人をやっていた男の葬儀に連れて来ている事になり、かなりグロテスクな構図だ。いや、本命は三島千代だったか。


 既に必要の無い筈の、三島家についての思案を色々と巡らせている梶谷に気が付いたハルは、わかりやすく作り笑いを浮かべて彼に駆け寄った。梶谷は面倒だと思いながらも親しげな雰囲気を意識しながら挨拶代わりに軽く手を挙げる。

 

「梶谷先生、千代ちゃんのお手紙はお読みになられましたか?」


「うん。しかし、女学生がああ言うものを見ず知らずの男に読ませるのは如何なものかと思うよ」


「千代ちゃんの為なら、それくらいの恥なんてどうと言う事はないです」


 ハルの言葉への反応もそこそこに、梶谷は追いついて来た男を見る。


「それで、そちらの彼は?」


「ああ、学校の先生です。普段から良くしてもらっていて——」

 

「井上と申します。以後お見知り置きを、梶谷先生」


 井上と名乗った男はハルの言葉を遮ってそう言うと、梶谷に握手を求めた。紳士然とした態度を崩さない井上だが、梶谷に対する敵意は明らかだった。

 あまり良い気はしなかったが、梶谷はわざとらしい笑顔を作って握手に応じる。


「どうも初めまして。梶谷と申します。ご存知の様ですが」


「梶谷先生はある程度の階級以上では有名人ですからね。そんなご高名なお医者様まで葬儀に出席しているとは、流石は三島さんと言うべきでしょうか」


「そんな、大した事ありませんよ」


「いやいやとんでもない。実は私も昔、医学を志して居た事があるのですよ。並大抵の頭脳では医師免許が取れない事位は学んだつもりです」


 井上の薄っぺらな褒め言葉の数々に、梶谷は大袈裟に溜息を吐いて見せる。


「回りくどいお世辞は結構です。僕の仕事、詳しくご存知なんでしょう?」


 梶谷の言葉に、井上はにこやかな表情で答える。


「そうですね。それでは一つお尋ねしても宜しいですか?」


 梶谷が冷笑の混じった余裕ある顔つきで「ええ。勿論」と短く言うと、井上はにこやかだった表情を瞬時に無表情に切り替え、梶谷に近づいた。


「“梶谷診療所”が、うちの生徒に何の用事だ?」


 井上の剣幕に対して、梶谷の表情はそのままである。


「三島千代さんの死について、信一さんから依頼があったんです。調べていくうちにハルさんが千代さんと親しかった事がわかりまして、お話を聞かせてもらっていたんですよ」


 梶谷の言葉を聞いた井上は一歩退き、元のにこやかな表情に戻った。


「成程、事情はわかりました。しかし、お宅の仕事に子供を巻き込むのは誉められた事ではないでしょう」


「道徳的にはごもっともですが、そんなもの買い叩いてしまえる額のお金を頂いておりますので」


 井上はまだ何か言いたげだったが、諦めたように溜息を吐いた。


「そうですね、どうも失礼致しました」


 葛藤の末に結局そう言った井上の態度から、これ以上の面倒は無さそうだと感じた梶谷は優しげな笑顔を作ると「いえいえ、良くある事ですから」と社交辞令を返した。


「——ちょっと待って下さい。と言う事は千代さんは病死では無くて、信一さんに殺されていたんですか?」


 井上は少し遅れて酷く驚いた様子で梶谷に尋ねた。ついさっきまで喧嘩腰だった事など忘れてしまったかの様である。


 実際、梶谷診療所への依頼として最も多いのは身内殺しの隠蔽であり、梶谷を知っている人間の大抵はそれを生業にしているのだと思っている。

 梶谷の推理の内では、井上が言ったように三島信一が犯人である線——梶谷診療所を使っても犯人が見つからなかったという既成事実を作りたかったという可能性を捨てていた訳では無かったが、最早終わった話であり、徒に死人の名誉を貶める必要も無いだろうと梶谷は思った。

 

「いえ、そう言う訳ではないのですが——依頼人が亡くなっているとはいえ、あまり喋り過ぎると信用に関わりますので」


「まあ、そうですよね」


 ある程度話に段落がついた気配を察知したのか、ハルが口を開いた。


「そういえば、今日は副島さんはいらっしゃらないのですか?」


 何処か気まずい雰囲気に耐えかねていた梶谷は、ハルの何でもなさげな世間話に飛びつく。


「ああ、あの子はあれで、案外何をしでかすかわからないからね」


「あら残念。お会いしたかったのに」


 ハルに同性愛の気がある事を知っている梶谷は言葉端に不気味な色気を感じたが、それを隠す様に愛想笑いを浮かべる。対してハルは何か良い事を思いついたとでも言いたげに手を叩いた。


「そうだわ、この後お手紙を取りにそちらへお邪魔しても宜しいですか?」


「おい佐伯君、やめといた方が良いんじゃないかな」


 梶谷の返事よりも先に、井上が口を挟んだ。


「どうしてですか?普通の診療所でしたよ」


 ハルは笑顔で井上にそう言った。それ以上の追求は許されないような雰囲気が見事に醸し出されている。それを見て、羨ましい能力だなと梶谷は思った。

 その後、普通でないと思われている事が分かっている時点で、梶谷診療所が普通でない事が分かっていると言っている様なものじゃないか。と、口籠る井上を尻目に梶谷はそう思いながら「今日の午後は用事が無いから、来たければいつでもおいで」と言ってから「それでは失礼」と続けて二人から離れた。




 面倒な事になってしまった様な気がしていたが、いつか手紙を返さなければならない訳で結局は同じだろう。

 梶谷はそんな事を考えながら、これまた面倒そうな遺産についての言い争いをしている三島信一の親族達の方へ向かって歩を進めるのだった。

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