4-08 ソメイヨシノで在りたくて
「ママを一緒に探してください」
急に訪ねて来たその子供はどうやら親友の子供らしかった。
なぁ、桜。水臭いな教えてくれよ。子供作ったなんて知らなかったよ。
綾女の奴なんか隣で「相手の男を探して殺す」って息巻いてうるせぇんだ。
この十年何があったんだよ。連絡しなかったアタシ達も悪かったよ。
なぁ、桜。
──どうして、自殺未遂なんかしちまったんだよ。
大島桜って知ってる?と聞かれてこの国で桜の名前でしょ?って言う奴は少ない。
ある人間は「あの人気YouTuberの」と言う。
ある人間は「あの大河ドラマで主演をやってた女優の」と言う。
ここ最近では「ああ、あの──」と言葉を濁し悲しそうな顔をする。
現実世界で生きていて、大島桜を見ない日は無いぐらいだった。
街の大型ビジョンには化粧品広告に出ている彼女の姿が映し出されている。
インターネットの動画サイトを開けば、彼女が人気者達とコラボした動画が何百万再生されている。
そしてテレビをつければ、彼女のニュースが大々的に報道されている。
すげぇ女だろ。自分で言ってても意味がわからねぇ。
アタシの幼馴染で友達だったんだ。
小学校から大学卒業した後、桜がYouTuberになって登録者数が400万辺りだった頃まで友情は続いた。アイツの一番の親友って事でテレビ番組にまで出てたんだぜ。
「はーい。じゃあ、派遣の75番までの方上がりです。お疲れさまでした」
そんな大親友様は売れないバンドマンで工場の派遣番号75番。
大島桜が横で常に輝く覇道を歩むのに憧れるわけでもなく並び立とうとするわけでもなく、アタシは逃げるように背を向けた。自分だけの輝きが欲しかった。でも、現実ってこんなもん。10年やっても何の芽も出てない。スマホを取り出し、トークアプリを眺める。バンドのトークグループは今日もヒリついている。その下に10年動いてないトークグループがある。アタシと桜ともう1人のグループだ。
(一尺八寸は何してんだろうな……)
もう1人幼馴染がいる。一尺八寸綾女という変な名前の女だ。
コイツも小学校から大学までの付き合いだ。アタシと違って、桜の隣に相応しい女であろうとした奴だ。桜を追いかけてYouTubeを始めるも、登録者数11人で活動を終えた悲しき女でもある。
最後に見たのは桜のYouTubeが伸びてコラボした動画を撮った辺りだ。大島桜とコラボして唯一伸びなかったチャンネルとして伝説になっているらしい。思いだしたら笑えて来た。
「3万再生って……」
スマホで動画を開くと表示されたのは約3万再生。あまりに低い数字だった。
大島桜とコラボした動画の9割以上は数百万再生まで言っているというのに。
桜のコアなファンぐらいしか見ていない。それ程までに拙い動画であった。桜が素でゲラゲラ笑っているのだけがウケている。動画を見ていると通知が来た。
「はぁっ!?」
真夜ちゃん。綾女ちゃん。お久しぶりです。
ずっと連絡とれなくてごめんなチャイコフスキー。
明日、久しぶりに時間がとれそうです。
とても大事な話があるので、15時にいつもの喫茶店に来てください。
待っています。
トークアプリの通知だ。
しかも、10年動いていない「只野中学変な名前軍団」グループのものだ。
アタシも綾女も自発的に動かす事は無い。発言者はやはり、大島桜だ。間違いなく本物だ。
このクソだるくてよくわからない謝り方がとても彼女らしい。あの頃と変わっていない。昔の彼女のままだ。
「おかしいだろ……!」
言葉が漏れる。
それもそうだ。こんなのありえない。
──だって、桜は半年前に自殺未遂を起こしたんだから。
翌日。地球最低のバンドのスタジオ練習が終わった。
まだ日曜の昼過ぎだ。ここでアタシのあまりにお粗末なバンド「金曜日と蒼い瞳の猫」を紹介しておこうと思う。
まず、ボーカルが17歳の女子高生。
これは全然いい。問題はここからだ。
33歳実家暮らしのベースの恋人であり、午後から予備校があるので練習は午前中のみだ。
どうだ。笑えて来るだろう。
こんなバンドにしがみついてギター鳴らしてるアラサーババァの人生を笑ってくれ。
ついでにドラムはキャバ嬢だ。こいつが一番バンドに熱量があるのも面白い。
チケットノルマもキャバ子の客達が買ってくれているからバンドが存続できているレベルだった。
「タクロー。偶には飲みにおいでよ」
「夢芽那ちゃんにバレたらまずいだろ。トリキなら何時でもいいぜ」
キャバ子とベースによるバンドの終末を感じさせる会話を聴き流しながらスタジオを出る。
駐車場に停めたハイエースに乗って、桜が指定したいつもの喫茶店へと向かった。
昨夜は気になってよく眠れなかった。疑問しか湧いてこない。朝まで考えて出た結論が、とりあえず行ってみるだった。
「地味に遠いんだよな……」
軽油だがそこまで安さの恩恵はない。維持費だってかかる。
自分達の生まれ育った街までは車で一時間程だ。だらだら音楽を流しながら走っていればそう苦でもなかった。そこにアタシ達のいきつけだった喫茶店「女体盛り」はまだあった。
「まだあんのかよ……」
扉を潜ると仏頂面のハゲマスターがあの頃と変わらず競馬新聞と血走った目で見つめ合っていた。
「なんだ久しぶりだな。日曜日は来るなつっただろ」
開口一番お客様に対してこの調子である。
食べログレビュー脅威の☆1は伊達じゃない。「コーヒー」と短く呟いて四人掛けの席にギターを置いて座る。いつも座っていた席だ。懐かしい。ハゲがサーバーに入ったコーヒーをドンと置くまでもいつも通りだった。
「俺は今から重賞に向けて馬達と向き合う。好きなだけ居ろ。200円」
「まだやってたのかよ。いい加減新聞ばかり見てねぇで少しは勉強しろ」
「一昨日、息子が馬の気持ちがわかるアプリを教えてくれてな。今からそれも勉強するんだよ」
「なんだそりゃ……」
ハゲに200円渡すと得意げにスマホの画面を見せて来た。
「ウマ娘」と文字が見えた時点でバカバカしくなって目を背けた。何もかもが終わっている喫茶店であった。年に数回万馬券を当てる事で存続しているような喫茶店だ。別れた妻が何時来るかわからないので365日開いているのだ。この原価計算もへったくれもない適当コーヒー約1リットル200円に学生時代は救われていたのも事実ではあるが。
「では、店番もよろしく! 客が来たら今日はもう閉店って言っておけ」
ハゲがリモコンを置いて店の奥へと消えていった。
利益が万馬券ぐらいしか見込めない喫茶店の末路とはこんな感じの適当さである。
アンティークな雰囲気の店内にそぐわない大型テレビにリモコンを向けて気づいた。桜のサインが額に入れて飾ってある。ハゲなりに桜の事は応援していたようであった。メルカリに出すような奴だろお前は。
「こんにちは」
しばらくテレビを見ていると見知った顔が入って来た。
一尺八寸綾女。日曜だというのに、ばっちりパンツスーツを着こなしている。
見た目だけはデキる女といった感じだ。アタシが先に来た事が気に入らなかったのか、唇を噛みしめて正面に座った。
「久しぶりね……。来ているとは思わなかったわ」
「こっちもだよ」
これが小学校からずっと一緒の人間達の会話である。アタシ達は桜を介した時のみ友達だったのだ。二人だけで遊んだ記憶なんてほぼ無いに等しい。それでも付き合いは長いだけあってお互いの事はよくわかっていた。
「桜に連絡とった?」
「とってない。今更、アタシ達に何ができるってんだよ。十年もほったらかしにしておいて」
十年は長い。桜のニュースを見た時、ついスマホを触ったが何もできなかった。
明日連絡しよう。来週にしよう。来月にしよう。日々を生きていく中でやがてそれは""今更""になってしまう。気持ちだけで生きていたあの頃のアタシ達はもういない。それは綾女も同じようだった。
目を逸らしてアタシが置いたギターに目を向けた。
「……バンド、まだやってるのね」
「お前はこそ、まだYouTuberやってんの?」
アタシの言葉に綾女の顔が強張った。あまり突かれたくないとこだったらしい。
「やってるわけないじゃない! ちゃんと毎日働いてるわよ! 真夜みたいな人間にはわからないでしょうけど」
「アタシだって工場で派遣やってるよ。偉そうに言うが、上着にクリーニングのタグついてるぜ。慌てて準備したんだろ?」
綾女の顔が真っ赤になった。こいつはいつも詰めが甘いのだ。
だがそれで終わるような奴ではない。アタシ達の中で一番牙が尖っていたのが綾女だ。
「そっちだって、これ見よがしにギター持ってきてるじゃない! 桜に音楽やってますアピールしたかったんでしょ!? バンドメンバー全員未成年淫行で捕まったくせに! ギターの女だけ相手にされてなかったってネットで笑いものになってたじゃない!」
「うるせぇ! ベースの野郎は性懲りもなくまた新バンドで女子高生と付き合ってんだよ! 昨日調べたけど、そっちだって30超えてTikrokで踊ってんじゃねぇよ!」
地球最低の女達の会話が終わりお互い自己嫌悪に陥る。
お互い恥に恥を重ねた人生を送って来た。あまりに不毛な会話だった。
二人して悶絶して項垂れていると、ドアが開く音がした。「ハゲなら死んだよ」と追い返そうとして言葉が止まる。桜がそこに立っていた。──しかも、子供の頃の外見で。綾女を見ると幽霊を見たかのような顔をしていた。失礼過ぎる。そして彼女はアタシ達を見て、言葉を絞り出すようにして叫んだ。
「興梠真夜ちゃんと一尺八寸綾女ちゃんですよね!? おねがいします! ママを、一緒に探してください!」