4-06 召喚されたら5秒でリリース~付き合ってやる義理はないので勝手にします~
幾つもの世界で何度でも繰り返される、別世界からからの勇者召喚。
そしてそんな世界の1つで強行された勇者召喚。
しかし召喚されたのはなんと赤ン坊だった!
捨てて来い!!
精緻なステンドグラスから降り注ぐ陽光きらめき、白磁のタイルが室内に貼り巡らされた、広く荘厳な大聖堂には似つかわしくもなければ無粋極まりない怒声が居合わせた者達の耳朶を打った。
「し、しかし殿下 …!」
弱々しく声を上げた老人に、殿下と呼ばれた青年は更に怒声を浴びせる。
「しかしもかかしもあるものか! 私達が召喚せよと貴様らに命じたのは魔王を討てる者だ! 世界を救う絶対無敵の勇者だ! それを何だ! そんな者を召喚しおって! 恥を知れ!」
と、青年が怒りに震える手で指さした床の上には、年端の行かぬどころか、首が据わってすらいなさそうな赤ん坊であった。
美しく複雑に組まれたモザイクタイルの上で泣きもぐずりもせずきょとんとしている赤ん坊は確かに肝が据わっているのかもしれない。それこそ長じれば一角の人物になりそうではある。が、それも長じれば、という希望的観測でしかない。
薄い肌着一枚の赤ん坊を冷たいタイルの上に寝かせたまま、という一種非道な扱いに気づく余裕もなく、召喚儀式のためにこの場に集っていた者達は怒り狂う殿下の姿にうろたえ怯えていた。
「で、殿下。しかし召喚儀式は正しく行われました。殿下のご希望とおりの条件は整って …!」
「赤ん坊ではないか! 貴様はこの赤ん坊が我が国の軍事力を上回ると申すのか!? それともそうなるように育てよとでも申すか! それまでの間に国が魔族に滅ぼされるわ! それとも何か? それが狙いか!?」
「何と申されます ――!」
絶句する老人との問答を切り捨て、青年はわずらわしげに己が背後へと手を振った。
「連れて行け。この始末、地下牢でよく考えるんだな」
「そんな!」
「ご無体な!」
青年の後ろに控えていた騎士達が老人達を拘束にかかり、召喚に携わっていた者達が悲鳴を上げる中、完全に放置された赤ん坊がやれやれ、と言わんばかりに息を吐いた。
そして。
混乱の中、赤ん坊は誰にも知られぬまま姿を消した。
―― まったく、とんだ茶番に巻き込まれたものだ。
消えた赤ん坊は、小高い丘の上に建つ鐘楼の床に腹ばいになって、眼下の街を平然と見下ろしていた。
しかも、重たい頭を乗り出しているものだから、傍から見れば絶叫ものだが、当の本人は全く気にせず、更にべたりと床に顎を付ける。
〝せっかく気の遠くなるような生を終えてただの人として転生したというのに …。世界を跨いだせいで前世を思い出してしまったではないか〟
ぶー、とちっちゃい口を尖らせる様は正にかわいい赤ん坊以外の何者でもないが、既に中身は変成してしまっていた。
その中身、実は別の世界の魔王である。
気の遠くなる程の間、魔王として君臨していた彼は、これまた何人目かも判らぬ勇者によってようやくその任を終え、何も知らないただの人間として生まれ変わるはずだった。
しかし、この世界に召喚されてしまったせいで魂にいらぬ衝撃を受け、蘇るはずのない前世が蘇ってしまったのだ。
とはいえ、彼が魔王であったのは別の世界のことであり、しかもきっちり討伐された後だ。当然また魔王になぞなる気はない。
大体、あの殿下とやらによれば、この世界にはこの世界の魔王がいるのだ。知った事じゃない。
「だあー(ならば)」
赤ん坊、もとい元魔王は、ゆっくりと目を閉じて意識を広く薄く周囲に拡げた。
途端に様々な情報が脳内に流れ込む。
―― おい、さっき魔術塔の連中がさ。
―― なんでも王太子殿下がな。
―― 勇者召喚? 正気か?
―― シッ! 滅多な事言うんじゃねぇよ。
「だぁー(ふむふむ、なるほどな)」
―― 国境警備とかツイてねぇな。
―― 今やばいんだろ?
―― 噂だけどなー。
―― せっかく王都に出てきたのに。
―― あのボンボンの席開けるためだって?
「だあ(愚痴はいらん)」
―― なあ、あの赤ん坊どうした?
―― え? 俺は知らんぞ?
―― 魔術師共を連行してた時、居たっけ?
「だ! だぁー(む! まずい)」
うまくどさくさに紛れたつもりだったが、どこにでも1人くらいは目敏い者がいるか、と元魔王は一旦意識を引き戻した。
「だあ(よし)」
ぶわり、と赤ん坊の体から黒煙のようなものが立ち上ると、一拍後、そこには黒衣の長身男性の姿があった。
すらりとした体躯、足元を過ぎてもなお艶やかに伸びる黒髪に緩やかな長衣と、いかにも魔王然とした姿だったが、それに気づいた元魔王は即座にまた姿を変える。
再び黒いもやの中から現れたのは、黒の短髪に平凡なシャツとズボンを身に着けた青年だ。
「ふむ、やはり赤ん坊の姿では不便すぎたな」
新しく構築した肉体を確かめるように両手を握ったり開いたり、首を回したりしながら、にやりと笑った元魔王は、眼下の街を見渡した。
「まずは先立つもの、とやらだな。メーワク料とやらをもらいに行くか」
先程意識を拡げた際に、ここがこの国の王都であり、王宮である事は把握している。つまり、どこに何があるのか全て判っている。
で、あるならば、行くべき場所もやるべき事も1つ。
王宮宝物室内部に直接転移すれば、扉外に立つ見張りに気づかれることもない。
が、あっさりと室内に立った元魔王はいきなり途方に暮れた。
「しまった。我には全く価値が判らん」
しつこいようだが前世は魔王、膨大な魔力を保持していた彼は、ただそれだけで全く問題なく存在していたため、貨幣価値だとか経済観念だとか、理解できない。
うっすらと、人間には金というものが生きていく上で必要だ、くらいには認識しているので宝物室に侵入したのだが、まずその『金』がどれか判らない。
仕方ないのでやたら広い室内をブラブラと見て回る。
「しかしまあ … 見事にガラクタばかりだな」
飾られている鎧や剣は彼がおざなりに手を払っただけで簡単に廃材に成り果てるような見た目詐欺だし、宝飾類ときたらギラギラ反射するだけだし、何より妙に恨みつらみが篭っていた。元魔王にしてみれば、これらを後生大事に貯め込んでいる意味が判らない。
そしてそんな物の記憶のようなものを辿っていくと、部屋の一角に一抱えほどのもある皮袋が無造作に積み上げあるのを見つけた。
「なるほど、これが『金』か」
元魔王は、最も細かい負の念をそれぞれに蓄えてる皮袋の中身をチラと確認して頷くと、それを2つ、3つ亜空間に放り込んだ。
全部入れなかったのは、単にめんどくさかっただけだ。
そして、もう此処には用はないとばかりに外へと転移する。
目標にしたのは先程目にした、王都をぐるりと囲んだ石壁の外だ。何せ、何の目的もない現状、しかも元魔王、人とのコミュニケーション方法なぞ知りはしない。適当に世界をふらつくか、程度の動機だった。
が。
しゅぽんっ。
外の街道脇に転移した瞬間、いきなり体が赤ん坊に戻り、ぽとりと倒れる事になる。
「だぁっ!?(何っ!?)」
あぶあぶと手足を動かし、ハタと気づいた。
〝しまった! 元々が赤ん坊の肉体なのだ。魔力を維持する体力が足りぬ!〟
おぶおぶ。
あぶあぶ。
前世含めて、生まれて初めて焦りまくる元魔王であった。
「だあー!(誰かー!)」