4-02 最後の願いはその死の真実を。
リリエッタ・ラドベリウスは自身が仕えていたロザリア第一王女殺害の容疑をかけられる。
証拠は彼女にしか使えないはずの血塗られた剣。
なんとか牢を抜け出したリリエッタが出会ったのは、死んだはずの王女の願い。
その願いに応えるため、リリエッタは再び欲望と策謀が渦巻く王城へと戻ることになる。
王女殺しは誰だ。
――茶番ね。どう足掻こうが結果の変わらない裁きに何の意味があるのかしら。
リリエッタは心の底からそう思った。どうしようもないこの状況で思わず笑いそうになるのをギリギリのところで踏みとどまる。
「なにか言い残すことはあるか」
王の冷たい声が広間に響き渡る。
すでに病に冒され、かつての恵まれた肉体こそ失いつつも、その威圧感は衰えるどころか今までで一番増しているように感じた。
そんな誰もが声を上げることをためらうような状況でリリエッタは王の目をまっすぐに見つめた。
その顔からは怒り、憎しみなどの負の感情しか感じ取ることができなかった。
何をどう言っても結果は変わらないというのに。どこかで冷めた自分がいる。
それでもリリエッタはそれに答えなければいけなかった。真実の名のもとに。
「ロザリア第一王女殿下を殺害したのは私ではありません」
王の手が震える。ここにおいてもとぼけていると思ったのだろう。
机の上に置かれた血塗られた抜き身の剣を指差す。
「ではこれは何だ」
「私の剣です」
「これが私の娘の部屋で見つかった。それは間違いないな」
「間違いありません」
「この剣には、与えられた者にしか使えない封印がされているのは知っているな?」
「勿論です」
宮廷魔術師にはその任に当たる際、仕える主から剣を与えられる。
そこで誓いの言葉を述べ、その言葉と自身の魔力で封印をするのだ。これにより剣を鞘から抜くにはその言葉とリリエッタの魔力が必要となる。
つまり、その剣が血塗られた抜き身の状態で王女の部屋で見つかったということはそれをリリエッタが使ったとしか思えない決定的な証拠になったのである。
「ですが、万が一。私がロザリア様を襲うならば、そのような私が行ったと思うような証拠を部屋に残していくと思われますか?」
血塗られた剣がリリエッタの王女殺しという犯行を示す証拠ならば、自分なら絶対に残さない。
髪の毛や小さな証拠であればまだわかるが、凶器であるその剣を残していく理由などない。
故に誰かがリリエッタを陥れるがために、彼女の剣を利用したと考えるべきだろう。
だが、王たちの考えは違った。
衝動的にリリエッタがロザリアを殺害してしまい、それに動揺した結果剣を置いて部屋を後にした。というのが彼らの考え方だった。
リリエッタにはその推理を否定する証拠がなかった。
だから、リリエッタからすればやっていないと言い続けるしかない。
二人の間で何度も繰り返された言葉にもはや意味はなかった。
「もういい……。もう貴様の声は聞きたくない。リリエッタ・ラドベリウス。貴様に死罪を言い渡す。執行は娘の葬儀の前だ。貴様の死をもって我が娘ロザリアの弔いとする」
限界を迎えたのは王の方だった。やはり結果は変わらなかった。
暴れようにも首につけられた魔法発動を封じる対魔術師拘束錠と、手足につけられた重しを考えればどうしようもない。
リリエッタはただ黙っていることしかできなかった。
裁きがくだされたことでようやく動けるようになった兵たちがリリエッタを連れて行こうとする。
「最後に一つ問う」
その王の言葉に兵を含め、周囲の者が全員動きを止める。
「ロザリアの。娘の首をどこにやった。在処を吐けば、苦しまないように殺してやる」
「私は何も知りません。むしろ私が知りたいくらいです」
毅然と答えるリリエッタの言葉にそれ以上王は何も言葉を返さなかった。
リリエッタがふぅと一息を吐く。煙草があれば理想だったけれど今は自由を喜ぶべきだろう。
すでに彼女は連れて行かれた牢獄から抜け出していた。
彼女に付けられていた対魔術師拘束錠が彼女の開発したものであったことが幸いした。もし別の錠であったり、即日の処刑執行であったならば、リリエッタはすでに王女殺しの犯人として冷たくなった骸を晒していただろう。
とっととこの国から逃げ出さないと行けない。脱出した牢には自分を模した偽物を寝かせているが朝にはそれがバレるだろう。そうなれば自分はこの国中で王女殺しとして追われることになる。
リリエッタの頭ではそう考えていたが、彼女の足は別のところへと向かっていた。ロザリアの遺体が安置されているはずの大教会だ。
教会内部には見張りがほとんど居ないことは幸いだった。状況的には無数の兵士が居てもおかしくはないと思っていたので拍子抜けしているところはあったが、もうこれ以上ロザリアを辱めたくないということだったのかもしれない。
最奥部の女神の間にあっさりとたどり着く。王族の骸はここで葬儀の時まで安置されることが決まっているのだが、ここにきて彼女の遺体がなく、罠の可能性も脳裏によぎったがそれならば全力で逃げるだけだ。
扉を開くと冷たい空気が外へと流れ出す。つまり使用中ということだ。
周囲や周りには何者の気配も感じ取れない。そして、一番奥の女神像の前に台が置かれていた。
ゆっくりと台へと近づいていく。心のなかでロザリアの死は嘘だと思いたい自分がいた。ここまで来てそれが嘘である可能性などありえないのだが、そう信じたかったのだ。
だが、台の上で王家の紋章が刻まれた布に覆われた頭部のない女性の遺体が安置されているのを見てガクリとリリエッタの体が崩れる。
「どうしてよ……」
崩れたリリエッタから微かな音が漏れ出す。
「一緒にこの国を変えるって言ったじゃない」
本来、リリエッタは宮廷魔術師になるつもりなどなかった。学園を卒業すればすぐにこの国を離れるつもりだった。
それを引き止め、宮廷魔術師にさせたのはロザリアだった。
この国は腐っている。それを変える為にあなたの力を貸してほしい。そう誘ってきた。
最初は気まぐれな王女の場当たり的な提案だと思っていたのだが、それが本気だとわかったからこそリリエッタは彼女に仕える特例の宮廷魔術師になったのだ。
どれほどそうしていたのかわからないが、もうここに用はない。いや、この国にすら用はない。そうやって立ち上がったときだった。
「どなたかそこにいるのですか?」
思わず防御魔法を展開する。最初は誰もいないように見えた。いや、何かがいる事を感じ取る。
「どなたかわかりませんが。この声が聞こえるのでしたら、どうかお願いがあります」
薄くぼやけたような人の影。そこから感じるのは極めて純度の高い魔力。というよりは魔力の塊と言っていいものだった。
「わたくしの言葉を。どうか彼女に……」
「ロザリアなの?」
落ち着いてきたことでその声がようやくロザリアであると気づく。だが、そんなリリエッタの声は彼女に届かない。影はただ言葉を繰り返すだけだ。
お互いに通じわない言葉がただすれ違う。そこでひらめたリリエッタは声に魔力を込めた。
「ねえ、わたしの。声が。聞こえる!?」
影の動きが止まる。
「リリ?」
自分をそう呼ぶのはロザリア以外にいない。リリエッタはようやく彼女と再会することができたのだ。
それが死んだ人間の魔力という残滓であったとしても。リリエッタも普段は信じない女神に心から感謝した。
「これからどうするの?」
「この国を出るわ」
しばらく言葉をかわした後、ロザリアの問いにリリエッタはそう返した。もう貴方はここには居ないのだからという言葉は続けられなかった。
「お願いがあるの」
嫌な予感がした。リリエッタは彼女のお願いがいつもろくでもないことであることをよく知っていたからだ。
「犯人を見つけて。そして真実を明らかにして」
「……それに何の意味があるの?」
思わず冷たい声が出てしまったことにリリエッタは後悔した。だがリリエッタの声は止まらない。
「あなたはもう死んでいて、私はあなたを殺した犯人。それがこの国での『真実』よ。今更真犯人を見つけたとしても誰も信じない。意味なんてないじゃない!」
自分でも心を痛めながら言ってはいけないと思いながらも声を出すリリエッタ。そんな言葉という刃を受けてもロザリアは黙って見つめ続ける。
しばらく続いた沈黙を先に破ったのはリリエッタのほうだった。いつもこうなることはよく知っていた。根気比べでは絶対彼女に勝てないことを。
「わかったわよ……。やれるだけやってみるわ」
その返事にロザリアがようやく笑みを浮かべたようにみえた。それとともに彼女の姿が薄くなり、感じ取れる魔力がどんどん消えていく。
「……後はお願いね。リリ」
その言葉を最後にロザリアの姿が完全に消滅する。何度魔力を探っても彼女の気配を感じることはできなかった。
元々死んだ人間の魔力が残っていた事自体が奇跡なのはリリエッタも十分理解している。それでももう少しだけ彼女と会話をしたかった。
一人だけ取り残されたことで先程よりも長い沈黙が女神の間を支配する。
ついに限界を超え、リリエッタの目から涙がこぼれ落ちる。
大声を出すことはできないので彼女の死と別れを前にただすすり泣き続けた。
「いつもそうよ。あんたは無理難題ばっかり」
ポロリと愚痴がこぼれた。宮廷魔術師に採用するときもそうだ。特例とするために首席で卒業しろと命じてきたし、その後も大変だった。
「これが最後よ。ロザ」
リリエッタは頬を軽く叩く。その痛みと衝撃で溜め込んでいた涙が弾け飛ぶ。
もう泣くのはおしまいだ。次に泣くときは彼女の前で真実を明らかにする時だと決意しながら彼女は女神の間を後にした。