4-17 死に戻りの悪役令嬢は拗らせ王子の護衛執事に溺愛される 〜ループの果てに〜
乙女ゲー厶の世界に入り込んでしまった城之内未来。自身の死の運命を回避するため、侯爵令嬢ナタリー・モードゥスとしてループを繰り返す。
▶来世を始めますか?
「塔の正位置。全ての努力が無に帰します。自分を見つめ直した方がよいでしょう」
彼女は死の運命から脱却できるのか。協力を仰いだ王子の護衛執事、イグニスとの未来は――。
「全てのあなたを見ていたかった」
――あなたは、この世界で何を望みますか?
それは一人の女の子の興味にすぎなかったのかもしれない。
彼女は若くして命を失った。転生するのは乙女ゲーム『ホイール・オブ・フォーチュン 〜運命の輪〜』の世界。王族と貴族が力をもつこの世界で、彼女は創世の女神に何を望むのかを尋ねられた。
(ここは、あの世なのかもしれない。女神が若くして死んだ自分を憐れんで、最後にとびきりいい夢を見せてくれるつもりなのかもしれない)
そう思った彼女はヒロインとして女神に頼んだ。
「この世界で生きることができるなら、悪役令嬢ナタリー・モードゥスが死なない未来が見てみたい」
――ナタリー・モードゥスが死の刃から逃げ切れる世界を?
「そう。世界観も設定も壊さずに、彼女が生きられる世界」
――お前自身の未来は?
「決められた未来なんてなぞりたくない。だってそれが、生きるということでしょう? 私は生きたいの。もっともっと生きていたかった。だからここでも私は私らしく生きる。望みが叶うというのなら、彼女の死を回避させて」
――よかろう。彼女が彼女のままなら死は回避できない。新たな生をナタリー・モードゥスにも――。
その世界がどんな場所でなんのためにあるのか、知るのは女神のみだ。
♠
前世には何も未練がなかった。乙女ゲームの世界に転生したのは、神様からのプレゼントだと思った。
どうしてヒロインではなく悪役令嬢に転生したのかは分からない。
でも、どうでもいいと思った。私は侯爵令嬢で、病死するまで贅沢に暮らすことができる。
前世と同じで両親は私に興味がない。前世での父は仕事人間で母は愛人に夢中だった。こちらでは両者とも愛人に夢中だ。けれど、使用人は私を大事にしてくれる。美味しいご飯を食べて綺麗なドレスを着て素敵なアクセサリーをつけてお嬢様らしく生きて、時期がきたら学園に通う。そのうち私は病死することが決まっているから、そのあとのことなんて考えなくてもいい。ただ贅沢をして死ぬだけ。神様からの最後のプレゼント。
それだけのはずだった。
この乙女ゲー厶を、私はクリアしていない。高校で隣に座っていたクラスメイトが友人と話しているのを聞いて購入した。
『今回のは歪みっぷりがいつも以上にキレキレだよ。死亡エンドも結構あるんだけど、タロットカードになぞらえてどうして死んだのかのヒントをイグニスがくれるんだよね。タイトルからしてタロットがモチーフだし、そのうちオリジナルタロットとか販売されそう。あ、悪役令嬢ナタリーの病死の真相が知りたかったらイグニスをクリアして。でもイグニスのルートは他のキャラを全員攻略しないと解放されないから、ちょっと大変なんだよね』
という布教めいた会話の一部を聞いて、なんとなく気になって買ってしまった。死亡エンドは見たくなかったし検索して調べた攻略通りに進めた。
けれど、乙女ゲームに耐性がないからだろう。そんな簡単にヒロインに好意なんて持つなよ……と引いてしまった。途中でナタリーが病死したと攻略相手に聞かされたところで、やる気をなくして途中で放りだした。第一王子を選んだわけではなかったものの、第一王子ルートではナタリーの病死によってヒロインは幸せになるんだろうなと察することができたので、やめたのが大きい。ナタリーは第一王子の婚約者だったからだ。
誰かの不幸によって幸せになるなんて――、架空の世界なのに現実的すぎて萎える。
そんな私がどうしてこの世界に来たのかは分からないけれど、全てどうでもいい。
贅沢をして死ぬだけ。
それが私のここで生きる目的だった。
♠
手入れの行き届いた庭園を眺めながら、異国の紅茶の独特の香りを楽しむ。柔らかな陽射しは私をやさしく包み込むようだ。
全てが完成された景色の中で、絵画の一部にでもなったような気分になる。まるで童話の世界だ。
お姫様は王子様と幸せに暮らしました……なんてね。その前に死ぬけれど。
……ほんとに死ぬのかな。
そんな兆候は感じない。
「本日の紅茶とケーキは王宮からのいただきものです。なかなか入手できない珍しい茶葉だそうですよ」
「そうね。王宮からお戻りになったお母様から、さっきいただいたものね」
「はい。滋養にもよいとのことです」
――違和感ならあった。
いつもとは違う使用人。他に人はいないこと。珍しい茶葉と言うだけで、固有名詞が出てこないこと。
でも、見過ごしてしまった。ただど忘れしたのだろうと。たまたま他の使用人が忙しかったのだろうと。
――それは突然だ。
蕁麻疹。
皮膚のかゆみ。
息が切れて、呼吸が難しくなって――。
幼い頃に揚げたそばの実を食べて、同じようになったナタリーの記憶がある。それ以来、そばの実は誰も私に食べさせなかった。異国の食べ物だからメジャーでもない。
「か……はっ」
全身が痒くて仕方がない。地図のような膨らみが肌に現れる。
無表情の使用人が近づいてきた。
「薬ですよ。楽になれます」
楽に……?
苦しみのあまり、土の上に倒れ込んだ私の口の中に液体の入った小さなボトルが無理矢理入れられて――。
そうして、私は息絶えた。
最後に思い出したのは、あの時の女生徒の会話だ。
『悪役令嬢ナタリーの病死の真相が知りたかったらイグニスをクリアして』
木の陰に、第一王子の護衛執事イグニスの姿が見えた気がした。
♠
せっかく死んだのに……まだ生きなければならないの?
空中に「来世を始めますか ▶YES」の文字が浮かんでいる。これを見るのは二度目だ。他の選択肢は見つからない。それも前と同じだ。真っ白の世界。私は空中に寝ながら浮遊していて、真上のその文字を見上げている。長い赤髪がふわふわ漂っているから、前世ではなくナタリーの姿なのだろう。
「いらないって言ってるでしょう、来世なんて。永遠の無でいい。最後にお嬢様の気分を味わえた。もう終わりでいいわ」
最初の終わりの瞬間は覚えていない。
女同士で群れることが苦手。知り合いはいても友達はいない。家でも両親は私に無関心。ただなんとなくで初めたSNSで、後ろ向きなアカウントをフォローして……気が合いそうな人と知り合った。自宅も同じ市内だった。
ダイレクトメールで一緒に飛び降りないかと誘われて、断る理由もなく待ち合わせ場所へと向かった。工場勤務と聞いていたけれど、高校生と言われても信じてしまいそうな若い青年と会い、電車に乗った。
そこから記憶が曖昧だ。
でも……きっと私は死んだはず。あの人と一緒に死んだはず。そうでなければ、こんなところにいるはずがない。
友達もいない寂しい私に、実は彼氏がいた。そう最後に誰かに思わせたかった。だから一緒に死のうとした。どうやって死んだのかは思い出せないけど……私たちは死んだんだ。
そして、空中にこの選択肢が現れた。
前回と同じように、「来世を始めますか ▶YES」の選択肢が勝手に選ばれる。文字の色が白から紫に変化して一枚のタロットカードが現れた。
同時に声が聞こえる。
「剛毅の逆位置。勇気が出なかった、それが敗因です。絵を見てください。女性がライオンを手懐けているでしょう? ライオンは感情、女性は理性です。しかし、これは逆さま……逆位置だ。あなたは自分の心を整理できていないようですね。感情をコントロールし、現状を打破するパワーを持つこと。それが死の回避には必要です。これから先、困難が道を阻むでしょう。でも、あなたなら克服できますよ」
来世なんていらない、克服なんてできなくていいって言ってるでしょーが!
せめて全ての記憶を忘れさせてよ……。違う人間になりたい。感情のコントロールなんて既にできている。見当違いも甚だしい。早く全てを終わらせたい。自分の存在を消したい。それしか私の中にはない。
声の主はイグニスだ。
私の婚約者である第一王子の護衛執事。藍色の髪を後ろで一つにまとめた金の瞳の男。でも、今は姿が見えない。声だけだ。
偉い人間には護衛が必須。常に騎士が側にいるより執事が側にいる方が聞こえも見た目もスマートだ。守ってもらわなければ死んでしまうような弱い人間に見えない。偉い人間というのは体裁を重んじる。だからこそ、このメーカーが出すゲームでは王族や貴族の筆頭の護衛は「執事」(女性なら「メイド」)という肩書きになる……と、隣に座るクラスメイトが話していた。
手紙のやり取りとたまにお茶会に応じるだけで、とりたてて私は王子と会おうとはしなかった。だからイグニスともほとんど会っていない。他のご令嬢とも体調不良を理由にほとんど会わなかった。人付き合いは面倒だし、どうせ死ぬと思っていたからだ。
「ねぇ、私の人生はもう終わりでいいんだけど」
私の言葉に彼は応えない。
最初に前世で死んだ時(おそらくだけど)は「塔」の正位置だった。雷によって塔が破壊され王冠のような天井は崩れ落ち人々は投げ出されている絵柄。彼はこう言った。
『塔の正位置。全ての努力が無に帰します。自分を見つめ直した方がよいでしょう』
あの時とまったく同じ言葉を彼は告げる。
「それでは、来世へお連れしましょう」
いらないと言ってるのに。
本当に私はまたやり直さなくてはならないの……?
――そうして私はもう一度、乙女ゲー厶『ホイール・オブ・フォーチュン 〜運命の輪〜』の悪役令嬢、ナタリー・モードゥスとして目覚めた。