4-15 倫欠探偵・真名板鯉子 ~めちゃくちゃ死ぬ殺人事件~
並外れた頭脳と倫理観のなさで周りから一目置かれる探偵、真名板鯉子。彼女の助手を務める僕、末前桑津は警察から依頼を受ける。それは、とある元社長の死から始まっためちゃくちゃ人が死ぬ事件の解決だった。
凶悪犯罪が日常的に発生し、治安が崩壊した島国・ニホン。
凶悪犯の凶悪犯による『犯罪者が過ごしやすい国』アンケートで堂々の1位を勝ち取ってしまったその国は、この危機的状況を打開すべく『特別探偵法』を立案する。
いずれはこの法律が廃止になるよう願いを込めながら、施行された。
――そして20年の月日が流れ。
『特別探偵法』は、世界中で適用されていた。
〇
「鯉子さん! 警察から招集がかかりました! 連続怪死事件ですって!」
ノックもそこそこに僕は事務所の扉を勢いよく開けた。
蓄光パジャマのままスマートフォンを見ている少女はこの部屋の主である探偵だ。彼女は気だるそうに僕に目をやる。
「連続怪死事件というと?」
「とある不動産会社の元社長が老衰死してから、一族がめちゃくちゃ死んでいるらしいです。それも普通の死に方ではなく殺人ではないかと言われていて、この半年で13人が犠牲になっているみたいです!」
「ふぅん。あと10人ぐらい死んだら受けるって伝えておいて」
「り、倫理……!」
そんなことを伝えたらまた警察から強制お迎えが来て寝起きの姿のままの鯉子さんを引きずっていってしまう。
以前着ぐるみパジャマを着ているときにそんなことになり、推理披露中に「気が散る」とクレームが来たのだ。よりによって犯人から。
そうならないように僕は彼女の仕事服――紺色のワンピースと赤いベルト――を渡し、しばらく席を外す。適当なタイミングで戻れば着替え終わっている。
「まったく……鯉子さんは期待の探偵なんですから、しっかりお仕事してください」
「その小言、聞き飽きたわ」
「僕だって言い飽きましたよ」
これがいつもの、探偵と助手のやりとりだ。
――真名板鯉子。
20歳を迎えたばかりの彼女は、並外れた頭脳と倫理観のなさで周りから一目置かれる探偵である。
僕こと末前桑津はそんな彼女にとある事件で助けてもらい、以来助手をしている。べつに就職先が決まらない中彼女に出会ったから土下座して助手にしてもらったわけではない。
「『期待』なんて言われてもね。勝手に周りが祭り上げてるだけでしょう。今回だって補欠枠で声をかけているんじゃないの?」
「忘れたんですか鯉子さん。2ヶ月前の『凶悪犯vs探偵デスゲーム事件』で関東の探偵はあらかた吹き飛びましたよ」
「そうだったわね」
僕は鯉子さんにタブレットを渡す。捜査一課から直々に送られてきた現地点での事件のあらましをデータで貰っていた。
『探偵』という職業に許された特権――個人情報及び組織情報の開示が認められている。他にも色々あるが、今は関係ないことだ。
鯉子さんが目を通している間に僕は彼女のヘアセットをする。今日は編み込みハーフアップだ。
髪飾りをつけて出来栄えに満足しているところでデータを読み終えた鯉子さんも動き出す。左足に補装具をつけ、クラッチ杖を手に立ち上がった。
「行きましょうか、桑津くん。面白い事件になるといいわね」
「探偵に依頼が来ている時点でろくでもない事件だとは思いますが……」
僕はぼやきながら車のキーを手に取った。
〇
指定された場所は大規模な葬儀場だった。すでに交通整備員や警察が立っており、その中に見慣れた顔も混じっている。
そのうちひとりがこちらに気づき、のしのしと僕らの乗る車に近寄ってきた。助手席の鯉子さんはサイドウィンドウを下げる。
スーツ姿で強面の男性が眉間に深いしわを寄せながら車内を覗き込んでくる。
K県警察の捜査一課、百々久里警部補だ。警察に珍しくはない、探偵をよく思っていない人たちのひとり。仕事を取られてしまうということもそうだが、性格が最低最悪な者しかいないことで知られる『探偵特別法』による認可が下りた探偵相手にいろいろ気苦労もあるのだろう。
「悠長なご出勤でうらやましいな、探偵殿」
「朝からご苦労様。でも開口一番お口が悪いわね。桑津くん、轢いちゃって」
「い、いやですよ!」
昨日洗車したばかりなのに!
「あっそうそう、百々久里刑事、駐車場を教えてくれないかしら。難しかったら無理にとは言わないけど」
「……100メートル先にスペースを借りている。加木鉢がそこで待っているはずだ」
「ありがとう」
ひらひらっと鯉子さんが手を振ると、百々九里さんは文句をさらに言いたげな顔をしたが、結局は言わず不機嫌そうにのしのしと持ち場に戻っていった。
徐行運転で警察が用意したスペースを探していると、サイドミラーを見つめながら鯉子さんは呟く。
「百々久里刑事、いつもより機嫌が悪かったわね。この事件ちょっと手こずるかもしれないわよ」
「えっ……。百々久里さんが機嫌悪いのはいつものことではないですか?」
「表情が硬いし、顔色も悪かったじゃない。肩にも力が入りすぎている。それにいつもならもう一言二言嫌味を言うのに少なかった」
「よく見てますねえ」
「これがお仕事だもの」
前方でぶんぶんとこちらに手を振っている人が見えた。
百々久里さんの後輩、加木鉢さんだ。彼の危なっかしい誘導で駐車する。
車から降りる前にいくつかセキュリティを始動させた。世の中には「おっ、探偵の車だ。爆弾つけておくか」というノリで危険物を設置されることがあるからだ。嫌な世の中である。
人懐こい大型犬のように加木鉢さんが近寄ってくる。
「お疲れっす! 真名板さん! 末前さん!」
「お疲れ様。あなたの先輩、なにかあったのかしら?」
「それがもう大変なんです! 早く行ってあの人なんとかしてほしいっす!」
「何が大変だったの?」
「ヤバいんですよ! 実際に見てもらったほうがいいっす!」
会話が進まねえ。
「……鯉子さん、『倫理』で理解らせますか?」
「今はいいわ。百々久里刑事がどうせ答えを発表してくれるでしょうし」
加木鉢さんが先導して歩いていく――はずなのだが、仕事柄なのか早足でさっさと行ってしまった。しばらく歩いたところで離れていることに気づいて慌てて戻ってくるのがいつものパターンである。
元気に遠ざかっていく彼を見送りながら僕は自分の服装を改めて確認した。詰襟シャツに深緑のベスト、スラックスといういつもの出で立ちだ。
葬式会場に行くというのにこの格好はいささか浮いてしまいそうだ。鯉子さんも派手な格好ではないが喪服に囲まれると目立ってしまうだろう。
そのことを鯉子さんに言うと彼女は鼻で笑った。
「それ以前の問題よ、桑津くん。身内や近しい人で構成される集まりに赤の他人が飛び込んできて『あなたは何時何分にどこにいましたか?』なんてプライベートなことを聞きまわるんだから。そんなことに比べたら些細でしょ」
「まあそれはそうですが……」
「事前情報を読むかぎりこの一回で解決するとは思えないし、不足している情報を手に入れたらお葬式が始まる前に帰りましょう」
話しているうちに会場入り口についた。受付で忙しくしていた人が僕らに気づき、首をかしげて近寄ってくる。まだ時間には早いし喪服でもないので何しに来たんだって感じだろうな。
まだ探偵になってから日の浅い鯉子さんは警察以外には知名度がそこまでないので顔パスはまだ遠そうだ。
「おはようございます。ここは大鐘餅弥様の葬式会場となりますが――ご関係者の方でしょうか?」
「いいえ。K県警察に呼ばれた探偵の真名板鯉子です。こっちは助手の末前桑津。百々久里刑事か加木鉢刑事がどこへ行かれたか教えていただいてもよろしいですか?」
「これは失礼いたしました。真名板様と末前さまですね。警察の方は確か――」
「ずいぶんとちっせえ探偵さんだな、ええ?」
受付の人の声を遮るように大声が響く。鯉子さんは驚いた様子もなくそちらに顔を向け、僕は一歩前に動く。
大柄な男性がこちらへ歩いてきていた。喪服を着ているので参列者か。
クマのような図体が僕らを見下ろした。その目には明らかな敵意が含まれている。
「はじめまして。私は真名板鯉子と申します。あなたのお名前をお聞きしても?」
「アァ!? 誰が教えるか!」
周りが一斉にこちらを見て後ろに下がる。
後ろのほうでおろおろとしている人も何名かおり、どうやらこの脅迫的な行為はこれが初めてではないらしい。
「もう少しちいさな声で話してもらえると助かります。びっくりしてしまいますから」
やわらかな笑みを浮かべ、穏やかに鯉子さんは言う。
が、その態度が逆に相手の感情を逆撫でさせたようだ。
「どうせお前も俺が犯人だって言いに来たんだろ!? どいつもこいつも俺の話を聞いちゃいねえ! むかつくんだよ!」
怒鳴り、鯉子さんの胸倉へ手を伸ばし――その手は彼女に触れる前に僕は掴んだ。
「へ?」
抑えられてぴくりとも動かない自分の腕に、男性は驚いたようだった。
状況を飲み込めていない彼を傍目に僕は鯉子さんを見る。
「鯉子さん」
「まあ、仕方ないわね。いいわよ」
「分かりました」
男性の腕を払う。男性はいまだ訳が分からないといった顔をしていた。
僕は利き手のこぶしを固めた。握りしめた指からぎちぎちと音が鳴る。
ひとは善悪の間で揺れ動きながら生きている。
僕だってそうだ。だから、これは僕なりの『倫理』のこたえである。
「これより、倫理を執行します!」





