4-10 蛮族ヴァンパイア少女とオオカミ男の娘
熾燦火煉は、ヴァンパイアの少女、ヴァンピレスである。
熾燦火煉は、父親曰く、蛮族である。
熾燦火煉は、蛮ピレスである!
月読瑞牙は、オオカミ男である。
月読瑞牙は、物心ついた頃、母親、姉妹に女装を強要されたのをきっかけに、以来ずっと普段から女装で過ごしているのである。
月読瑞牙は、オオカミ男の娘である!
そんな属性てんこ盛りな二人が出会う、ボーイミーツガール。
熾燦火煉は、ヴァンパイアの少女、ヴァンピレスである。
熾燦火煉は、父親曰く、蛮族である。
つまり、熾燦火煉は、蛮ピレスである!
――うっさい
火煉は、自虐的に自らを「蛮ピレス」と蔑んでは、自分でツッコミを入れつつ、夕日に赤く照らされた繁華街を歩いていた。ある目的のために。
――はぁぁ。こんな人通りの多いところでナンパかよ
雑然とした中のちょっとした物陰や一目に付きにくい場所はどこにでもある。そんな一角に押し込められているのは、中学生か高校生か。顔立ちに幼さの残る少女。レースで縁取られた可憐な水色に茶色のラインが可愛らしいワンピースに身を包んでいる。
それを大学生くらいの男たち三人が取り囲んでいる。少女は俯き、小さく震えている。
――ナンパというより、カツアゲだな
火煉は、ふと目に留まったナンパ現場に苛立ちを感じた。普段ならこの程度の些事にいちいち首を突っ込んだりはしないのだが、今日は虫の居所が悪い。
「な、明日には返すから」
「うーん」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ、な?」
――いや、マジでカツアゲかよ。なら遠慮は要らないねぇ
火煉は、溜まった苛立ちをぶつける相手が見つかったことに愉悦を覚え、つい舌なめずりする。彼女が街を徘徊していた目的はこれだった。ガツガツとローファーの音を響かせ、大股に男たちに近付く。武術の心得でもあれば、隠そうともしない彼女の殺気にとっくに気が付いたのだろうが、彼女の影が覆い被さって初めて男たちは振り向いた。
「なんだ?」
腰を折って少女に覆い被さっていた男たちが背を伸ばす。皆、二メートル近い高身長だった。
しかし。そんな男たちより、さらに頭一つ抜け出していた火煉は、男たちをジトリと見下ろした。
「で、でけぇ」
――うっせぇ
火煉は、見た目に相当なコンプレックスを抱えていた。その上、虫の居所が悪く、元々喧嘩を買うつもりでここに居る。なので、頭の中で「うっせぇ」と思った時には、もう彼女の拳が一番手前の男の鼻柱を折っていた。
「うっせぇ」
そして、男がその言葉を聞いた時には直ぐ眼の前にアスファルトがあり、男がその言葉を聞いた直後に男は意識を手放した。
「や、やろう!」
「なんだ、お前」
残る二人のうち、一人が拳を固めて身構え、もう一人は咄嗟に内ポケットに手を突っ込んだ。何か得物を取り出そうというのだろう。
――野郎ってのは酷いねぇ。一応女だよ、あたし
拳を固めた男の放った右フックを、ボクシングのスウェーのように身体を後ろへ揺らして綺麗に避ける。
――一応ってなんだよ、一応って
彼女に敵からの煽りは要らない。自ら火に油を注いでいく。そうして自ら怒りを滾らせていく。反らせた上半身をバネのように戻しつつ、そのまま前傾姿勢となる。反撃だ。
「がぁぁぁっ!」
もう、人でもヴァンピレスでもない。ただの野獣の咆哮だった。
二メートルを越える高身長の上、全身にしなやかなバネのような筋肉をまとう彼女に、果たしてヴァンピレスなどという属性が必要だったのか、そう思わせるほどのマッスルマシーン。
彼女は男の右フックに被せてカウンターを繰り出す。攻撃を押しとどめ、さらに打ち返しているため、その威力は倍。彼女の拳が男の顔面を捉え、そのまま背後の壁に叩きつけた。男の前歯をへし折りながら。
「は、はは……」
最後の男は、一気に恐怖の底が抜けたのか、乾いた笑いを発した。
「今、八尺様って言おうとしたな!」
言いがかりも甚だしい。彼女は元々人外なのだ。ヴァンピレスが妖怪呼ばわりされたとて、怒る程でもない気もするが、八尺様と言われることは、彼女の見た目へのコンプレックスを刺激する。
「い、言ってねぇ……」
恐怖に駆られ、内ポケットから取り出した得物は、二つ折りのサバイバルナイフだった。震える手で折りたたまれたナイフの背を持って、延ばす。余程鋭利なのか、一度も使ったことがないのか、慎重で、真剣で、こちらも息を飲んで見守る。かちり。ナイフの背が伸びて完成した。そうして、男は得物を手にし、少し恐怖が和らいだのか、正気を取り戻す。
「俺ら、あんたに何にもしてねぇだろ。急に突然、なんなんだよ、お前」
「だって、その子、困ってんじゃん」
急に自分に話が戻ってきたために、少女はあわあわと慌てた。
「え、いや。無心されてたの、俺ら……」
「へ?」
――えっと。どういうこと?
それぞれ一発ずつの攻撃だけで二人の男をダウンさせた姿にすっかり震えあがってしまった少女は、ただただ、小さく首を振っている。
――か、かわよ……
さっきまでは男たちに囲まれ、雰囲気しか掴めなかった少女の姿を改めて目の当たりにして、火煉はこの少女を可愛いと思った。
軽くウェーブの掛かった銀髪はふわふわと軽く、白磁のような整った顔を覆っている。ぱっちりした眼には怯えが見えるが、奥底に金色の輝きを宿す、真っ黒な大きな瞳、小さな鼻、ぷっくりとした唇。思わず、ほぉっと溜息の漏れる可愛らしさだった。
「でも、お金の無心じゃないよ」
ぷっくりとした唇から発せられたその声は、変声期を迎えた少年のそれだった。
「えっ?」
少女の唇から少年の声が聞こえてきたことに火煉は動揺を隠せない。
そこで思い出してみる。
少女を男たちが取り囲んでいた時に聞こえた声。
「な、明日には返すから」
「うーん」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ、な?」
お金ではないらしいが、少女が(少女の姿をした少年が?)男たちに無心をしていた、ということになる。それを勘違いした火煉が男たちに近付いた。喧嘩のきっかけは……
――あっ!
てっきり、売られた喧嘩を買ったつもりでいたが、どうやら、彼女が一方的に押し売りしただけらしい。だから、父親から蛮族などと言われるのである。
彼女の父親は、ステレオタイプなヴァンパイアだ。小柄で華奢で、線が細い。いつも天井にぶら下がって、じっと動かない。あれで良く、頭に血が上らないなと感心する。ヴァンパイアは、基本コウモリに変身する。コウモリに変身した際に、上手く飛べるよう、身体を軽くする必要があり、身体を軽くするために筋肉を削ぎ落した結果、空を飛ぶには高い所から飛ぶ方が効率が良く、自然天井にぶら下がる姿勢となった。天井から下向きにぶら下がっている間、生命を維持するために最低限必要な器官以外は停止している。そのため、血の循環も阻害されていて、頭に血が上ることはない。
――逆にいえば、逆さにぶら下がってる時、頭に血が通ってないんだよなぁ
高慎重と潤沢な筋肉に恵まれている火煉は、父親のように天井からぶら下がるなんて芸当はできない。コウモリには変身できなくはないが(あれをコウモリと呼んでよければだが)、重すぎて飛べない。父親に蛮族と呼ばれる所以である。
今朝もそれで父親と言い争ってしまった。むしゃくしゃした腹いせに、喧嘩相手を探して街に繰り出し、今に至る。腹いせに喧嘩しようという発想が既に蛮族なんじゃないかと思うが、それを言葉にすると、「うっせぇ」が耳に届く前に光速の拳が飛んでくるので、注意が必要だ。
※ ※ ※ ※ ※
一方、少年の声をもつ少女も、突然の出来事に戸惑っていた。恐くて、強くて、カッコいいお姉さん。では、あるが、自分まであんな風に拳を喰らうのは願い下げだ。
月読瑞牙は、オオカミ男である。
月読瑞牙は、物心ついた頃、母親、姉妹に女装を強要されたのをきっかけに、以来ずっと普段から女装で過ごしているのである。
つまり、月読瑞牙は、オオカミ男の娘である!
――そうだよ、悪い?
瑞牙は、自分がオオカミ男の血筋であることも、家族に強要されて女装するに至った顛末も、男の娘である自分も全て受け入れている。ただ、第二次性徴を迎え、身体が変化してきていて、これまでほど女装がしっくりと馴染まないことに悩んでいた。
特に、体毛。元来、狼としての素養を備えていることもあり、濃い体毛がすぐに生えてくる。一番の対策は、体内の血量を減らすこと。そこで、思い着いたのが献血。十七歳の誕生日以来、利用している。オオカミ男の血を輸血された患者がどんな影響を受けるかは知らないが、少なくとも献血を利用して四百ミリ血量を減らせば、一週間程度は少女らしさを損なわずに過ごせる。しかし、献血は八週間毎にしか行えない。そこで、舎弟に作らせた献血カードを借りようと企んだのだった。
どう言い訳すれば、殴られずにすむかと思案している間に、お姉さんは居なくなっていた。冤罪で暴力を振るってしまったことにバツが悪くなり、いたたまれなくなって退散したのだが、瑞牙は知りようもない。ただ、目の前で見せられた暴力の奔流にほだされて興奮してしまい、帽子の中でケモミミが跳ね、ふわりと裾の広がったスカートの中でも尻尾がぴょこぴょこしているのが分かる。
――格好良かったなぁ。でも、バレなくて、良かった……
「あぁ、君たち、大丈夫?」
思い出したように舎弟に声を掛けた。