命の恩人
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──命の恩人
現在の王立空軍将兵の死因において最大のものになるのは、飛行艇の急な旋回や降下などで生じる事故である。
敵の大砲や機関銃でやられるよりも、うっかりの事故で死ぬ可能性の方が高いのだ。
ジョンソン中尉がどうして事故を起こしたかは今はどうでもいい。彼を助けないと!
「ジョンソン中尉! 手を!」
ジョンソン中尉に向けて私がワトソンから手を伸ばす。ジョンソン中尉も空中でもがきながら私に向けて手を伸ばし、私はしっかりとその手を握った。
「ぐうっ!」
ジョンソン中尉がいくら細身でも成人男性だ。腕が思いっきり引っ張られ、私もワトソンから落ちそうになる。だが、何とかこらえてジョンソン中尉の手を絶対に離さないように握り締める。
「ワトソン、上昇!」
「分かったよ!」
ワトソンが私とジョンソン中尉を吊るすようにしてウォースパイトまで上昇していく。ウォースパイトは私の警告が届いたのか、救助のために上空で停止している。
ワトソンは無事に私たちを飛行甲板まで導き、そして再び艦に固定された。
「無事か、ストーナー伍長!?」
「大丈夫です!」
大慌てで飛行長のイーデン大尉が飛んできた。私は飛行甲板にジョンソン中尉を下ろす前にジョンソン中尉のハーネスを艦に固定するロープにカラビナで繋いだ。
「ジョンソン中尉、ジョンソン中尉! 大丈夫ですよね!?」
「あ、ああ。ありがとう、伍長。本当にありがとう。私は……」
「死ぬところでしたよ!」
呆気に取られているジョンソン中尉に私が叫んだ。
「いいですか。ハーネスは常に固定されているものに繋いでおいてください。艦やドラゴンなどです。空中でハーネスをちゃんと繋いでいないことは死にますって言っているようなものですからね!」
「すまない! 本当にすまない、ストーナー伍長!」
「謝らないのでいいので分かったって言ってください!」
「理解した! 以後、厳重かつ絶対に気を付ける!」
「ならいいです」
そして、私はふうと大きく息を吐いた。
「改めまして、ウォースパイトへようこそ、ジョンソン中尉。歓迎します。着任の挨拶を忘れないようにしてくださいね」
私も艦に固定するロープにカラビナを付け、ワトソンを降りる。
「ウォースパイトの歴史に残る着任だな、ジョンソン中尉。まずは艦長に事故の報告だ。それから私から話がある。いろいろとな」
「了解」
イーデン大尉は全く笑わずにそう言い、ジョンソン中尉は青ざめていた。
「お見事だったな、伍長。彼にとっては命の恩人だ」
「とっさに動けてよかったです。訓練のおかげですね」
「訓練を実践に活かせるのは、それだけ真面目に訓練に取り組んでいるからだ」
ハンガーに入ると飛行科の将兵たちが私に賞賛の声を浴びせてくれた。ちょっとむず痒いぐらいに褒めてくれるので顔が赤くなってしまう。
「ワトソンのことも褒めてあげてください。とっさに動いたのは彼も同じですから」
「そうだな。今日はいい肉を食わせてやろう」
飛行科には騎手の他にドラゴンの世話をする竜務員、飛行甲板で発艦及び着艦の補助を行う甲板作業員、それからドラゴンの健康管理を行う竜医などで構成されている。
どれが一番偉いとかはなく、それぞれがちゃんとそれぞれの果たすべき役割を果たすというチームワークが重要だ。
空軍の花形の飛竜騎手だからと威張り散らすことなどがあれば、そのチームワークはなくなり、結果として能力は低下してしまう。
「ワトソン。よかったね。美味しいお肉が食べられるよ」
「あのおっちょこちょいの中尉に感謝だね。彼がまた遅刻して乗り損なっても僕が迎えに行ってあげるよ」
「そういうことを言わない」
どうもワトソンはにシニカルなところがある。誰に似たのか。
神様も『今日のトラブルはここまでにしておこう』と思ったのか、予定にないフライトやトラブルはなく過ぎていき、夕食の時間になった。
ウォースパイトは明日の夕方まで哨戒飛行を行ったらリバティウィング空軍基地に帰投することになっている。だから、その分の食料を積み込んでいた。
今日の夕食のメインディッシュはビーフシチューだ。空軍の食事は地上でも空でも、とても美味しいのでついついたくさん食べてしまいそうになるが、騎手たるもの体重管理もしなければならない。ほどほどにして夕食を終える。
「ストーナー伍長!」
私が下士官と兵卒用の食堂での食事を終え、緊急発進に備えてハンガーに向かっていたとき、ジョンソン中尉が駆け寄ってきた。彼はちゃんと艦内に張り巡らせてあるロープにカラビナを接続していた。
「ジョンソン中尉。艦長に着任は報告できましたか?」
「ああ。もちろん様々なミスを叱責されたが……」
「それはしょうがありません。同情はしますが」
遅刻に加えて転落未遂の事故だ。着任と同時に解任されてもおかしくない。
「実を言うと飛行艇に乗り込むはこれが初めてなんだ」
「え!? でも、士官候補生時代に訓練艦などに乗り込むのでは……?」
通常、士官になる人材は士官候補生から始まり、訓練艦などで実際に働き、それから少尉として着任する。なので、飛行艇に全く乗ったことがないのに士官になることはないはずなのだが……。
「私は少しばかり特殊な昇進の仕方をしている。このことは内密にしておいてほしい。空軍と政府の機密にかかわる」
「わ、分かりました。内密にします。しかし、どうして私にそれを?」
「君が空軍に詳しいように思える。私の実務経験のなさを補う知識がある。その知識をどうか貸してもらいたい。このようなことは他の人間には頼めない。私の命の恩人である君だからこそ頼めるんだ」
ジョンソン中尉は少し不安そうな顔をしてそう言った。
「その、やはりこういうことは頼めないだろうか?」
そして、そう私に尋ねる。
「分かりました。これも何かの縁です。私も空軍を知り尽くしているわけではありませんが、そこらの新米少尉よりは物知りだと自負しています。力になりますよ」
「ありがとう! もちろん、この恩は……いや、これだけではない。命を救ってくれた恩も含めていつか必ず恩を返させてもらう」
「命の恩はいいですよ。空軍の任務ですから。私じゃなくたって、あの場に騎手がいればきっとあなたの命を救うために行動していました」
「だが、実際に行動したのは君だ。頼む。私には君に恩を返さなければならないんだ」
「そ、そこまでおっしゃるのであれば、いつか食事でも奢ってください」
「ああ。必ず」
ジョンソン中尉に思わず気圧されてしまった。
ジョンソン中尉はおちょこちょいなのだろうが、顔はいいので困る。空軍将兵はどちらかというと男臭いのが多いのであり、ジョンソン中尉のような正統派美形には私も耐性がないのだ。
「それでは早速ですがドラゴンの様子を見に行きましょう。飛行科の将兵が集まっているはずなので紹介しますよ」
「ありがとう。私も自己紹介しなければ」
そして、私はジョンソン中尉に飛行科のメンバーを紹介したのだった。
しかし、政府の機密にかかわるとはジョンソン中尉はどういう立場なんだろう?
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