秘密を重ねて
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──秘密を重ねて
私は目を見開いていた。
ジョンソン中尉が高貴な身分だということは分かっていた。だが、第一王子とは思って見もなかったのだ。
「君はまさか私がこのような身分だと予想していたのか? それで距離を……?」
「い、いいえ。高貴な身分だとは思っていましたが、ここまでとは……」
ジョンソン中尉が尋ねるのに私はふるふると首を横に振る。
「しかし、その、失礼をいたしました……殿下」
「やめてくれ! それは、やめてくれ……!」
私が儀礼に乗っ取った敬称で呼ぶのにジョンソン中尉がそう声を荒げた。
「今の私はただの空軍中尉のアーサー・ジョンソンだ。それ以上でも、それ以外でもない。君に私の持っている、私の力で勝ちとったものではない地位を理由に、距離を置いてほしくないんだ」
ジョンソン中尉は私の言葉を振り払うように、そう訴えた。
「では、ジョンソン中尉」
「ああ。ストーナー伍長。それで頼む」
私が改めて言うのにジョンソン中尉が頷いた。
「しかし、どうして空軍に?」
「いろいろと事情がある。時期がくれば。君にもちゃんと事情について話せるだろう。今は政府が話すなと言っているので私も話すことはできない」
「そうでしたか」
この国では女王や王子が自ら政治を行うことは過去のことになっている。今、政治を行っているのは民主的に選ばれた政府だ。
だが、今でも王室は最大の敬意の対象である。
「私の正体を明かした上で君に頼みがある。どうかこのことは秘密にしておいてもらいたい。私がやるべきことを成し遂げるまでは、秘密が漏れるわけにはいかないのだ。お願いする、ストーナー伍長」
そして、ジョンソン中尉はそう頼み込んできた。
「もちろんです。秘密は守ります。私からも秘密を明かしていただいた上で、頼みがあります。よろしいでしょうか?」
「なんだろうか?」
「私は卑しい身分です。ただの空軍伍長でしかない平民です。ですので、これからはやはり距離を置いた方がいいかと思います……」
「それは……!」
それを聞いたジョンソン中尉は酷く取り乱した表情をしていた。
「……それは君が自分の意志で導き出した答えなのか?」
「そう言われると微妙ですね。実はラムリー中佐から最初に言われて。あなたは特別な任務を帯びているから、近づかないように、と──」
私が言い終える前にジョンソン中尉は肩を怒らせて倉庫から飛び出して行った!
ロージーからの話を聞いて、私は怒っていた。そんな表現が生ぬるいぐらいに頭に血が上っていた。
リバティウィング空軍基地の地上施設に入り、真っすぐラムリー中佐の執務室を目指し、ノックもなしに扉を叩き開けた。
「チャールズ!」
「どうなさいましたか、アーサー。私のことはラムリー中佐とお呼びください。聞き耳を立てているものたちに怪しまれてしまいますよ」
「チャールズ・ラムリー。侍従武官ごときが出過ぎた真似をするな。ストーナー伍長に何を言った? 一体これは何のつもりだ?」
「あなたをお守りするために必要なことをしたまでです」
「ストーナー伍長を私から遠ざけることがか!」
ラムリー中佐──チャールズが何でもないというように平然と言い放ち、私は大声でそう怒鳴った。
「殿下。いいですか。あなたは責任ある王家の人間です。そして、今は政府から重要な任務を与えられている。そうであるならば、怪しげな人間から距離を置くことも重要でしょう」
「ストーナー伍長が怪しい人間だというのか?」
「ええ。そう言います。ストーナー伍長はあなたに親しすぎる。彼は卑しい身分の人間です。あなたに近づかせても、あなたにとっていいことは何もない」
「今の私はアーサー・ジョンソン中尉だ。今の私には第一王子などという肩書はない。そして、彼は卑しい身分などではない。私と対等の立場であり、戦友だ」
私がそう主張するのにチャールズは憐れむような視線を向けてきた。
「戦友ですか。そこまで仰るほどにストーナー伍長のことを信頼されているようですが、彼について何を知っているのですか? 生まれや空軍に入隊した経緯、彼の家族について把握してるのですか?」
「そんなことを知らずとも友人にはなれる! 私は彼を信頼しているからだ!」
チャールズが訳知り顔で語るのが私をさらに苛立たせる。
「昔からあなたが同年代との友情に飢えていたことは知っていますよ。あなたはいつも友達を欲しておられた。そのせいでこのようなミスを犯してしまわれたのでしょうな。その点は教育係のひとりであった私も反省せねばなりません」
「何を言っている、チャールズ。私の子供時代と何の関係があると?」
「確かに多くを知らずとも表面的な友人にはなれるでしょう。ですが、性別ぐらいは知っておくべきでしたな」
「!?」
チャールズの言った言葉が何なのかを理解するまでに時間がかかった。だが、彼の言わんとしていることはひとつだ。
「まさか……」
「あれに気づかないとは困ったものですな。もっと人を観察するようにと常々言ってきたつもりなのですが。そう、ストーナー伍長は女性ですよ」
複数意味で信じられなかった。
ひとつは純粋にストーナー伍長が女性だということが。そして、もうひとつはストーナー伍長がそれを私に隠していたことが。最後に自分がそれに気づけなかったということが。それぞれ信じられなかった。
「でたらめを言うな」
「でたらめではありませんよ。彼女に聞いてみればよろしい。女性であるのかどうかを。私がそう言ったといえば素直に白状するでしょう」
本当なのか? 本当にストーナー伍長は女性なのか?
「まさかとは思いますが、ジョンソン中尉。あなたのは自分の正体をストーナー伍長に明かしてはいないでしょうな?」
「彼は知っていた」
「知るはずがないでしょう。このことを知っているのは政府と空軍のごく一部の人間だけなのです。それを伍長風情が知るはずがない。しかし、となれば随分なミスを犯してくれましたな」
今度はチャールズ苛立ちを示し始めた。。
「君のせいでもあるぞ、チャールズ。君がストーナー伍長に私と交友を持つなと言ったがために、彼は私のことを不審に思ったのだ。違うか?」
「ふむ。そう主張されますか。いいでしょう。私の非を認めた上で言います。ストーナー伍長には空軍上層部に働きかけて、別の基地の、別の飛行艇に異動してもらいましょう。場所はアレクサンドリア辺りがいいですかな」
マラリアなどには苦労するかもしれませんがとチャールズは付け加え、それが私の頭にさらに血を登らせた。
「そんなことをすれば私は自分から自分の正体を明かすぞ」
「義務を放り出してですか? それにはシャーロット陛下もハミルトン首相も酷く落胆されることでしょう。他にも大勢があなたに失望しますよ」
「知ったことではない。ストーナー伍長は秘密を守ってくれると約束した。私はそれを信じる。だから、決して余計なことはするな」
私はチャールズを睨んでそう言う。
「いいでしょう。あなたが既に嘘をついている女性を信頼できると言うならば、試してみましょう。もし、ストーナー伍長があなたの正体を本当に誰にも明かさなければ、その時は私は彼女に謝罪すらしましょう」
「いいだろう。決まりだ」
ストーナー伍長は、ロージーは絶対に秘密を守ってくれる。
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