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 というわけで、セオ様の家。


 独身寮ではない街にある方の部屋で、わたしはやたらと綺麗なキッチンに立ち腕を振るっていた。


 もともと料理が好きだったわけではなく、うちは料理人を雇う余裕がなかったので必然的にやらなければならなかっただけなのだが、今はできてよかったと思っている。おかげで今の職を得られたのだから。


 お弁当は寮の食材を借りて作ったが、セオ様同伴だから街でほしいものをほしいままに買い求めた。おかげで作りたいものが自由に作れる。なんて贅沢だろう。


 彼は、末端とはいえ貴族が料理なんて……と、蔑むような人じゃないのだから、最初からこうしていればよかった。


「その包丁さばき……。ねぇ、アリッサ。騎士団に入る気はない?」


 なんかスカウトされた。食材以外を切る気はない。騎士団で一体なにをさせるつもりなのだろうか……。


 というか。


「セオ様、近いです」


 背中から抱きつかれて手元をのぞかれながらの作業。いろんな意味で疲れる。


「だってまさか、こんな風に手料理を振る舞ってくれるとは思わなかったから、こうしてないと今が現実か確信が持てなくて」


「そんな大げさな……」


「最低な失態をしたから……もう、二度と作ってくれないと思ってたし」


 まだ心の痛みは癒えていないので、その件はもう掘り起こさないでほしい。


「セオ様はお皿を用意してください」


 仕事を与えると、彼は文句もなく指示通りにてきぱきと働いた。そういえば、兄様のことは嫌っていても、仕事に対しての愚痴とか不平不満とかは、あまり言わない。


 わたしでさえ、いい加減もっとよく切れるナイフを支給してほしいと管を巻くことがあるのに。


 だから他愛ない話のように、興味本位に訊いていた。


「セオ様は、どうして騎士に?」 


 お皿の準備を終えてナイフとフォークを並べながら、セオ様はさもないことのように淡々と答える。


「はじめから決まってたから」


「……えぇと?」


「僕は三男で、長男は公爵家を継いで、次男は宰相の娘と結婚して宰相補佐をしてる。で、姉は隣国の王族に見初められて嫁いで、妹は未来の王妃候補。後は騎士団を掌握するために、騎士団で長のつく役職の息子がほしかったみたい」


 え……なに、それ。


 ちょっと、意味がわからない。


 つまり、要するに、どういうこと?


「騎士になりたくなかった、ってことですか……?」


「いや? 昔からそうなることが当然だと思っていたし、剣を振るうことは別に嫌いじゃなかった。なりたくないってわけではなかったけど、まあ、わりと早い段階で体格面で不利だなってことには気づいていたかな」


 わたしは不躾だと思いつつ、セオ様の体へと視線を移した。服の上からでも、均整の取れた綺麗な筋肉がついていることが見て取れる。ただ、屈強な騎士というよりは彫刻のような体型で。


 彼の言うように、団内には体格のいい騎士がたくさんいる。むしろ多数派と言っても過言ではない。もし彼らと純粋に力勝負となったら、セオ様の体格では押し負けるかもしれない。


 だけど、だ。それでも二番手になれたということは、体格面での不利をものともせず、鋼の努力でうちの兄様以外の全員を打ち負かして来たということで……。


 それってかなりすごいことなのでは?


「どうかした?」


 どうもこうも……。


 セオ様は不利な点を補えるだけの努力ができることを、才能だと気づいていない。


 尊敬されてしかるべきなのに。


 きっと誰もそれを伝えなかった。……家族を含め、誰も。


「それで、なんだっけ? ……ああ、案の定親の期待に応えられず、今は期待外れの息子として見放されてる感じかな?――で、次はなにをしたらいい?」


 セッティングを終えたセオ様は、小首を傾げつつも、いつもと変わらない表情をしていることに胸が痛んだ。


 悲しむ時期は、もうとっくに通り過ぎてしまったのだろう。


 セオ様がたまに見せる諦念の根幹はそこにあるのかもしれない。


 わたしは親に期待されたことはない。それはすべて兄様が背負っていたからだ。


 だからセオ様の背負った苦しみやつらさ、期待に応えられないもどかしさ、焦燥、そして諦め切ってしまった今の気持ちのどれも、家族にあまやかされていたわたしには完全に理解することはできないだろう。


 彼はただ、親の期待というものに応えたかっただけなのだと気づいたら、お弁当を捨てられたことぐらいでいつまでも根に持っている自分が薄っぺらく感じてしまった。


 セオ様はもう、家族に愛されるのを諦めてしまったのだ。


 そして残った感情のすべてが、兄様へ。


 過去の彼に出会わない限り、そこに触れて、慰めて、励ましてあげることは、永遠にできない。


 それでも、そうなんだと気を遣って軽く聞き流せるほど、わたしは大人じゃなかった。


 親が子供に期待を寄せるのが当然なら、同じくらい、子供が親に期待してもいいはずなのに。


「セオ様」


「うん?」


 きょとんとする彼に歩み寄って、つま先立ちで、彼の頭をよしよしと撫でた。そして目をぱちくりとさせたセオ様の頰を、両手で包んでこちらを向かせる。


「はじめて会ったとき、腰の抜けたわたしに手を差し伸べてくれたあなたは、わたしにとって誰よりも立派な騎士様です」


 それがどんな理由からだったのかなんて、どうでもいい。


 あのときのわたしの目に映ったセオ様が、理想的な騎士様に見えたことは絶対に間違いないのだから。


「もっと自分を誇ってください」


 セオ様はなにも言わない。意図を探るようにじっとわたしを見下ろしているだけだ。


 また余計なことを言ってしまったかなと後悔していると、彼はぽつりとつぶやいた。


「……誇れるとこなんて、一個もないけど」


 わたしは自己評価の低すぎる彼の手を取ると、そっと手を開かせる。王子様みたいな外見にそぐわないほど固くてごつごつして古傷も残るその手は、誰よりも努力しているという証だ。


「わたしはそうは思いません。親の期待に応えられなかったというのなら、今度は、あなたが求めていたような、子供の期待に応えられるようなお父さんになればいいんじゃないですか?」


 なんの考えもなしにそう言うと、セオ様の顔が突然真っ赤になった。


 しばらく呆然としていたわたしは、自分の発言が誤解されるような言い回しだったことに気がついて彼の顔の熱が移った。


 違っ、単なる励ましで! わたしたちの子供ってわけじゃなくて……!


 そんなつもりはなかったのに、わたしたちの子供のいいお父さんになってくださいね、と将来の妻ぶって図々しいこと言ったみたいになっている。


 セオ様が片手で顔を覆ってしまった。わたしもたまらず両手で顔を覆う。


 穴があったら入りたい!


 そのときちょうどオーブンからいい匂いがただよって来て、妙な空気が一旦和らいだ。その好機を見逃さずに掴み取る。


「も、もうできますから……座って待っていてください」


「……うん」


 どうも心ここにあらずなセオ様が、着席した。


 その後なかなか料理に集中できなかったが、長年の慣れがそれを完璧に補った。





「アリッサは、どこかに店とか出した方がいいと思う」


 お皿に残ったソースまで綺麗に平らげたセオ様が、わりと真剣に提案してきた。


 お店を出せるほどおいしいと思ってくれたのなら嬉しい。


 しかし出店できるほどの経験もなければ資金もない。


「老後の楽しみに取っておきます」


 今のところはじゃがいもと向き合っているくらいがちょうどいい。


 食後のお茶を楽しむセオ様をそっと見やる。とてもお弁当を捨てた人とは思えない、見事な食べっぷりだった。食事の仕方は品がいいのに、庶民的な家庭料理を何度もおかわりをして、食べながらもずっとおいしいおいしいと褒めてくれたし、お弁当の件はセオ様の弁解していた通りなのではないかと都合よく天秤が傾く。


 だけどもしセオ様の言い分を全面的に信用すると、誰かがわざとお弁当を盗んで捨てたということで、セオ様はその誰かに嫌がらせを受けているということになる。


 うちの兄様は職務上、敵が多い。そうでなくとも生真面目で融通が利くような人ではないので、たとえ仲間だとしても、ちょっとした悪事や不正も決して許さず逆恨みされることもある。


 だから人望もあるが、同じくらい、犯罪者や後ろ暗さを秘めた人たちから嫌われている。


 その点セオ様は、誰相手でも立ち回りが上手そうだった。表面上は誰とでも仲良くできるタイプ。やろうと思えばうちの兄様とだって、それなりに親しくなれたはず。


 恨みを買うような失敗をするイメージはない。


 仕事でないとすると、私生活。


 もしかして……女性関係、とか……?


 色恋沙汰の揉めごとならば容易に想像できた。なにせセオ様、見た目は完璧な王子様なのだ。本人の感知せぬところで年若い娘たちが胸を焦がしていてもおかしくはない。


 そしてその娘にはきっと、幼馴染の青年がいるのだ。彼は嫉妬して、それでも彼女の幸せを願ってセオ様の動向を調べる。しかしよくない噂を耳にし、彼女にはふさわしくないとセオ様に嫌がらせを――。


「アリッサ?」


「あっ……ごめんなさい。ちょっと考えごとを……」


 思考が昨日読んだ参考書に侵食されかけていた。幼馴染との恋愛ものだった。ヒロインは理想的な王子様よりも、ちょっと病んでいるけど自分を想ってくれる幼馴染を選んだ。やっぱり結婚するなら、自分を大切にしてくれる人がいい。


「アリッサって、たまにそうやってぼんやりしてることがあるよね?」


 どこにいても誰といても、ついつい考えごとをしがちなところがある。妄想癖と言ってもいいかもしれない。今はセオ様と一緒にいるときだったのにと反省してうなだれる。


「すみません……」


「怒ってないよ。アリッサはかわいいから見てて飽きないし。それにおしゃべり好きな子は、申し訳ないけれどちょっと疲れるよね」


 わたしは聞き手としても優秀でなく、もちろん話し上手でもない。人づき合いも苦手な方だ。


「そういえば……。口下手なところは兄様に似てるって昔からよく言われました」


「いや、似てないよ? 全然。ベクトルが違う。アリッサは相手を不快にさせないようにあれこれ考えるから、焦って口ごもったりつっかえたりするところがかわいいけど、カレンは無駄を削ぎ落として極力短い言葉でまとめるから言葉数が少ないだけで、まったくかわいげがない」


 兄様とわたしの頭の出来の差が見抜かれている。かわいいと言われているのに、褒められている気がしない。なんなら兄様のことをめちゃくちゃ評価している。


 結局そのまま兄様の話を続けて、ふと窓の外を見るとすでに夜の帳が下りていることに気づき、そろそろ帰らなくてはと立ち上がるとセオ様の手がわたしの腕を掴んで止めた。


「もう遅いし、明日の朝送るから……泊まっていかない?」


 前回は気絶するように眠ってしまったゆえに一夜を共にしたが、今回は違う。参考書のあれこれを想像してしまいのぼせそうになる。


「あ、あの……えぇと」


 口ごもりながらなにかに助けを求めるように目をきょろきょろさせていると、セオ様は苦笑した。


「心配しなくても襲わないよ。それは誓う。もう少しだけ、ゆっくりしたい気分なんだ」


 なるほど、それなら合点がいった。わたしが帰るといえばセオ様は断っても送ってくれるだろう。それではゆっくり休息する時間が減ってしまう。


 そういうことならばと席に戻ると、セオ様は嬉しいようなちょっと怒ったような顔で言った。


「あんまり人を信じたらだめだよ。男はみんな悪い狼なんだから」


 たぶん悪い狼は、自分の正体をバラしたりはしない。


 


 

バックハグが好きな男、セオルド・マクニール

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