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「はぁ……」


 わたしはランプを灯しただけの自室で、左手の薬指に結ばれたリボンを眺めて、何度目かのため息をこぼした。


 それもこれも、セオ様がかっこよ過ぎるのが悪い。




 街に買い物に行きたいけど、この間のことがあって、ちょっと怖気づいていたわたしは、また攫われそうになったら嫌だなと思っているのが顔に出ていたのか、セオ様が買い物につき合ってくれることになった。


 というか、セオ様同伴でないと街に出てはだめという謎ルールがいつの間にか制定されていたらしい。


「アリッサがひとりで勝手に街に出たら、お仕置きね?」


 そのお仕置きがどんなものなのか、わたしの貧困な頭脳では想像もつかない。


 こういう場合、参考書だとちょっと口にするのははばかられる過激な内容のあまいお仕置きばかりだが、ここで言うところのお仕置きは、たぶん、本気のやつだ。


 騎士の本気。すなわち、しごき。


 腕立て伏せ二千回くらいのことをさせられるに違いない。


 さすがに笑えない。筋肉が死ぬ。筋肉どころか普通に死ぬ。


 二度とひとりで街に出かけない、絶対に。心に固く決意した。


「あの……たとえば他の誰かと一緒とか」


「他人となんて行かせると思ってる? あ、カレンに頼るのは、もってのほかだから」


 相変わらず兄様のことは敵視していた。


 兄様はセオ様のことをどう思っているのだろうか。最近まったく会えていないので、聞くに聞けていない。


 だけど性格は合わなくても、嫌悪はしていない……はず。それも単なる希望だけども。


 本当は仲良しだと嘘をつかれるよりは、まだ正直に仲が悪いと教えてくれているだけ誠実だ。


 寮まで迎えに来てくれた彼と並んで街を歩く。城と違って、憐憫のような嫌な視線を感じることもない。たまにセオ様に見惚れる女性もいたが、基本的にはみんな無関心に過ぎて行く。それが妙に嬉しかった。


「せっかくの休日なのに、わたしにつき合ってもらってよかったんですか?」


「なんで? 恋人とデートすることほど有意義な休日の使い方ってないと思うけど」


 デート……だったんだ。今知った。


 もっとしっかり参考書を読み込んで来るんだった。読了した参考書から得たわたしの拙い知識では、おいしいスイーツを食べるか、連れ込み宿に連れ込まれるかのどちらかしかない。もっとたくさん読まないと。


「女の子の買い物って、荷物持ちが必須じゃない? 男手があった方がお得だよ?」


 あいにく両手がふさがるほどの買い物はした試しがないのでお得かどうかは知りようがない。


 セオ様の以前つき合っていた人たちはそうだったのかもしれないけども……。


 なんかものすごくもやもやしたので、それ以上考えないようにした。


 セオ様が周囲に見せつけるように、わたしの手を取った。途端に気持ちが浮上する。指を絡めた恋人繋ぎ。まるで本当の恋人同士みたいで、自分からも深く絡めるように握ってみた。


 ちょっと驚いた顔のセオ様がかわいい。


 さりげなくガラの悪い集団からわたしを自分の背に隠して庇ってくれるから、怖いことはなにもなく、高位の貴族にありがちな庶民的なものをと見下す態度だってまったくない。気後れしていたわりには、気づくと買い物を楽しんでいた。


 ほしかった手荒れの薬と新しい靴下は手に入れたので、時間があれば安くてもいいからかわいい髪留めがないか探したい。


 だけどショーウィンドウに並べられているような類のアクセサリーは、はなからわたしのような庶民を弾いている気位の高さを石からひしひしと感じるので、こっちから願い下げだとばかりに無関心を決め込む。


 だいたいあんな小さな石のついたネックレスひとつ買うのに、じゃがいもを何個むけばいいのか。絶望しそうで計算する気にもならなかった。


 素通りしようとしたのだが、セオ様が足を止めたので仕方なく、本当に渋々、自己主張の激しい宝石たちへとそっと目をやった。


「なにか気に入ったものがあった?」


「いえ……特には」


 期待外れの反応だったのか、セオ様はちょっとだけ苦笑した。


「そっか……残念。なにか贈ろうと思ったのに」


 こんなお値段も出ていないようなものをさらっと贈られても困る。持て余す。


 宝石は特別な時にもらうから輝くのだと思う。


「宝石は好きじゃなかった?」


「そういうわけじゃないですが……」


 こんなきらきらしいもの、わたしに似合うはずがない。それに最近の流行に疎いわたしは、デザインの良し悪しもわからない。


「普段使いのアクセサリーなら、きらきらしたものより、ふわふわしたものとか、花の刺繍がされているものとか、レースを使ったものとか、素朴なものの方が好きです」


「確かにそっちの方がアリッサらしいね。だけど婚約指輪は宝石を贈らせてね?」


 セオ様はそう言って微笑むと、なにごともなかったかのように歩き出した。


 聞き捨てならない台詞が飛び出したが、セオ様の様子は変わらないし、空耳だったのかもしれない。


 きっと参考書の読み過ぎで幻聴が聞こえたのだ。


 セオ様みたいな人が、婚約指輪うんぬんなんて話を下手にするはずがない。わたしを捨てたときに、婚約破棄で訴えられて慰謝料が発生してしまうから、やっぱり聞き間違いだ。うん。


 参考書において、婚約破棄を言い渡すのはたいてい、顔はいいが頭の残念な王子様だ。王子様でなくても、身分も気位も高い人が多い。


 セオ様は顔も家柄もいいのに、それを鼻にかけることなく、それどころか妙に自己評価が低いなと感じるときがある。


 わたしにはその理由が容易に想像できた。


 おそらく、完全無欠の兄様がそばにいたからだ。


 昔のわたしもおんなじように感じていたから、セオ様の気持ちはよくわかる。


 わたしが女に生まれていたから、まだ兄様と自分を比較されても逃げ道があった。女の子だから、仕方ない。弱くて当たり前。顔つきが違うのも、体格が違うのも、男女の差ゆえのもの。そう思えた。年齢が離れていたこともたぶん大きいだろう。


 だからセオ様が兄様を憎んでいても、それは仕方ないことだと思ってしまう。


 それをわたしにぶつけようとしているのだとしても、わたしは兄様の妹として、それを受け止めようとさえ思う。


 それは決して同情ではない。


 だってセオ様は、自分で思っているほど弱くもなければ劣ってもいない。


 いつかそのことに気づいてくれたらと願うばかりだ。


 そのときにわたしがそばにいるかは、わからないけども。


 セオ様に捨てられる未来を想像すると、暗澹たる気持ちになる。会えば常にあまやかされているから余計に。


 今なら引き返せるのではと思うも、兄様への当てつけでもなんでもいいから、今だけはセオ様に優しくされていたい、なんて……まるで恋する娘そのものだ。


 ひとときのあまい夢を選んだ愚かな娘の末路など真っ当なものではないとわかりきっているのに。


 自分を騙して利用して捨てようとしている男だ。


 だけど。


 でも。


 考えても考えても、堂々巡り。


 ぼんやりとしている間に、かわいらしい外装の雑貨店へと到着していた。


 セオ様は裕福な貴族なのに、お手頃なお値段の店に詳しい。女の影がちらつくことにもやっとしながらも、目の前のことに集中した。


 わたし好みの小物やアクセサリーがたくさん揃っていて、飽きもせず店内をぐるぐる見て回った。


 あ! このリボン、セオ様の瞳の色に髪の色の縁取り! めずらしい!


 それは長さ単位で売られていた細めのリボンで、髪を結んだり、洋服のワンポイントとか、用途は色々ありそうだった。


 セオ様の瞳は綺麗な翠色で、エメラルドにも見えるし、光を透かした葉っぱの色にも見える。もともと田舎育ちなので、自然豊かな場所で育ったからか、女性らしい色合いよりかは空の青や森や草原の緑などに親しみを覚える。


 このリボンはかなり好みの色合い。


 ものすごくほしい。が、かなり恥ずかしい。


 浮かれて恋人の色を身につけている、なんて思われたら、羞恥で死んでしまう。


 騙されてるのにかわいそう、なんて顔をされた日には……いや、考えるのはよそう。


 だけどこんな奇跡的なリボン二度と出会えないかもしれない。


 自分の部屋でだけ楽しむのなら、大丈夫……かな?


 リボンを手に取ったり離したりしながら、わたしがうかがうようにセオ様へと視線を上げるのと、彼が大きなため息をつくのとが重なった。


 セオ様は無言のままリボンの端を引っ張って、反対の手でわたしの左手を取る。


 きょとんとしながらなにをするのか黙って見つめていると、セオ様はわたしの薬指にそのリボンを巻きつけて、きゅっと蝶々結びをした。


「婚約指輪の予約」


「予約……?」


「いつかちゃんとした指輪を用意するから、それまでここは僕のために空けておいてねってこと」


 言われたことの意味に気づくと頰に熱が集まった。


 て、手馴れすぎっ……!


 こんなの、うぶな田舎娘が陥落しないわけがない。


「すみませーん、このリボン買います」


 店員さんを呼んで、セオ様はさっさと支払いを済ませてしまう。


 その間ずっと、左手を掲げて、リボンを眺めていた。


 セオ様に捨てられてもこの思い出だけで生きていけそう。


 これが嘘だったのだとしても、今のわたしが嬉しいと思う気持ちは本物だから。


 男の人からのはじめての贈り物。


 たぶん一生大切にする。


 これが悲しい思い出へと変わったとしても。


 いつか懐かしめる日がきっと来るはずだから。


 ほしかったはずの髪留めのことなど、完全に頭から吹っ飛んでいた。




髪留めも後からきちんと贈ったできる男、セオルド・マクニール

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