表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/36

4




 参考書を読みながら、騙されても裏切られても恋人を信じる健気なヒロインに、不覚にも共感してしまった。


 この男はあっさりヒロインを借金の形に娼館に売り払って逃げてしまったけども……。


 ため息とともにパタンと参考書を閉じる。


 ヒロインは心に傷を負いながら、その後登場するヒーローと出会い幸せになったからいいが、娼館のまめ知識だけが異常に増えた。


 初夜においしくいただかれる予定らしいが、飽きたらこのヒロインみたいに売られてしまうのだろうか。


 今のところはセオ様はまだわたしにあまい。溺愛に近いかわいがりぶりだと同僚たちにうらやましがられている。


 しかしそうなってくると黙っていないのは周囲で――。





「ちょっとよろしいかしら?」


 着飾った華やかなご令嬢たちに囲まれた。退路をふさがれたわたしは、廊下の隅に追いやられる。


 最近囲まれがちだなと思いながらも、次の言葉の予想はついていた。「あなたみたいな貧乏男爵家の娘、セオルド様にはふさわしくないわ!」みたいな感じだろう。


 よくある、ありがちな展開。


 ありがとう参考書。


 しかし先読みできたからといって、怖くないわけじゃない。


 おずおず相手の顔を見定める。わたしだって年の近い上位貴族のご令嬢の名前くらいは知っている。彼女たちは誰だろうと、まじまじとよーくその顔を見つめたのだが、思っていたのと違うその表情に、あれ? と首を傾げた。


 なぜだろう、てっきり泥棒猫を見るような蔑んだ眼差しをしていると思っていたのに、みんな怒っているどころか、なんとも言えない気まずげな顔をしている。その目には憐憫さえ含んで見えた。


「悪いことは言わないわ。セオルド様はおやめなさい」


「え?」


「あなた、レオナルド様の妹なのでしょう? 田舎から出てきたばかりで知らないかもしれないけれど、セオルド様とレオナルド様は、とても…………不仲なの」


「え、え……?」


 これはもしかして……気遣われている?


 さりげなく田舎出身の無知な娘だと謗られた気もするが、それでも、彼女たちはわたしを心配している風だ。本心がどうであれ。


「じゃがいもの皮むきしかできない学のないあなたでも、ここまで言えばわかるでしょう? 傷が浅いうちに、お別れなさい」


 ちょいちょい貶されているが、それは置いておくとして。


 彼女たちが言いたいのは、つまり、セオ様が兄様への当てつけでわたしを恋人にして傷つけようとしている、ということで。


 …………知ってますが?


 人様に忠告されなくても、そんなのわたしが一番よくわかっている。


 兄様の方が彼女たちよりも明らかに位が低いのに様づけするあたり、彼女たちは兄様の追っかけなのかもしれない。それとも、本気で兄様の妻の座を狙っているのだろうか。貧乏男爵家ではあるが、そのうち兄様は実力で爵位を上げていきそうなので、将来有望株だ。


 となると、わたしに対するこの助言は、いわゆる点数稼ぎ。将来の小姑に恩を売っておくのも悪くはないという先行投資的判断なのかもしれない。


 はっきり言って、余計なお世話ではあるが。


「えぇと……ありがとうございます?」


「いいのよ。あなたにもきっといつか、いい人が見つかるわ。いつでも相談に来てちょうだいね?」


 そう言い残して、彼女たちは来たとき同様、嵐のように去っていった。


 きっととか、いつかとか、そんな不確かな言葉は励ましではない。わたしにそんな人が現れることは奇跡だと言いたいらしい。失礼過ぎる。


 最後まで人をやわらかく見下すことを忘れないあたり、実は嫌われているのかもしれない。


 そんな人たちにわたしとセオ様のことをとやかく言われたくはないし、相談なんてもってのほか。


 わたしが思う分にはいいが、他人がセオ様のことを、まるで心のない卑怯者のように思うのはなんだか無性に腹が立つ。


 内心かなりもやとやとしていると、とん、と肩に重みが乗った。


「……へぇ。アリッサは人の意見を鵜呑みにして、僕と別れる気なんだ?」


 その低音の声が恐ろしくて振り向けないが、セオ様が、わたしの肩に顎を乗せ、恨みがましい声音で囁く。


「ありがとうございます、だって。ひどいなあ」


「あっ、あれは! ただの処世術で、あのありがとうに、話を穏便に終了させる以外の意味はありません!」


「本当かなあ? だってアリッサは、脅されて仕方なく僕につき合ってくれてるんだもんね」


 脅した自覚はあるんだ……。


 拗ねた様子のセオ様に、わたしはおそるおそるだが、ちょっとだけ振り返った。思ったよりも怒った顔ではない。一安心。


「セオ様……暇なんですか?」


 間近にあったセオ様が、目を丸くした後、にっこりとした。これがいらっとしたときの笑みだとわかるくらいには、頻繁に顔を合わせている。


 たじろいだわたしを逃すはずもなく、肩を掴まれ背中からおぶさるようにのしかかられて身動きが取れなくなった。それでも体重はあまりかけないように配慮してくれるところが彼の優しさで、そういう小さな気遣いを見つけるたびに心が揺らぐ。


「カレンに比べたら暇かもね。どうせ僕は二番手の男だから」


 そう言うわりには、そこから微塵も嫉妬が感じ取れなかった。


 もしかすると噂だけが先行して、実は兄様とは仲がいいというオチがあったりしないだろうか、と期待する。


「実はうちの兄様と……仲良し、だったりしますか?」


「え? 普通に仲悪いよ? 冗談通じないし、嫌がらせで話しかけてもほとんど無視されるし。そのくせ仕事だけは無茶なくらいふって来るから堪ったものじゃないよ。あいつのせいで僕がこれまで、どれだけ散々な目に遭わされたことか……」


「そ、そうですか……」


 それはなんというか……ごめんなさい。


「手の届く範囲にいたらうっかり本気でやり合いそうだから、武器を持ってるときは無意識に距離を取るようにしてる。身内同士でやり合ってたら、周りが迷惑だもんね」


 想像以上に手の施しようがない。殺伐とした関係だった。


 兄と恋人(?)がうっかり殺し合いとか、シャレにならない。その場にいたら全力で止めようと心に誓った。


「あの……できればどちらにも怪我をしてほしくないので、仲良くしろとは言いませんが、争うならきちんと防具をつけて訓練場にてお願いします」


 もし生理的に無理な相手ならいがみ合うことも仕方がないことだと思う。それなのに無理に仲を取り持とうなど、愚策だ。


 だめならだめでいい。ただ、無駄な争いをするくらいならば、騎士道に則って試合という形にすれば、訓練にもなるし、なにより見応えがある。周りも迷惑がるどころか白熱するはずだ。


 わたしは過去に一度だけ、五年に一度の競技会の決勝で、兄様とセオ様が試合するのを見たことがある。


 客席の後ろの方の端っこで、顔なんか全然認識できない距離があったけど、ふたりの試合はそれはもう、素晴らしいの一言に尽きた。


 あの感動を表現できない自分の語彙力のなさが悔やまれる。


 セオ様が無言だったから、余計なことを言ったかなと思っていると、するりとお腹に腕が回ってきた。縋りつくようにぎゅっと抱きつかれると、胸の奥が苦しくなる。締めつけられているのは腹回りのはずなのに、不思議だった。


「……アリッサは、そういう子だよね」


「そういう子?」


「……どうせ負けるのにって、言わないんだね」


 あ……そういう。


 セオ様が負けることを、全然想定してなかった。だからといって、兄様が負けるところも想像できないが。


 競技会では、兄様が勝ちを収めた。


 だが、一方的ではなかったはずだ。セオ様は持ち前の身軽さで兄を翻弄していたし、それでいて体幹がしっかりしているから、彼の太刀筋は、そのひとつひとつがとても美しかった。


 それを迎え撃つ兄様の一振りはとても重くて、交わる剣戟の鋭い音や砂埃にさえわたしは目を輝かせて、瞬きもせずに見入っていた記憶がある。


 兄様も、天才だの百年に一度の逸材だの武神の化身だのと騒がれてはいるが、決してそこにあぐらをかいてはいなかった。常に努力を怠らないからこそ、今の地位がある。


 だからセオ様の闘いぶりを見て思った。この人はきっと兄様と同じくらい、もしかするとそれ以上に努力している人なのだと、すぐにわかった。


「セオ様が兄様に勝ってるところだってありますよ。力で押し切るのではなく、相手の意表を突いて少しずつ相手を翻弄して消耗させる戦術は兄様にはないものです。わたしはセオ様の剣技、軽やかで見ててわくわくして好きですよ。まるで蝶々と遊んでるバンビみたいで」


 語彙力のなさを痛感していると、ますますぎゅうぎゅう抱きつかれた。ちょっと苦しいと抗議しようとすると、セオ様が耳元で熱い吐息とともにささやく。


「好き」


 うっ。なんという不意打ちの攻撃。胸に悪い。どきどきが止まらない。


 本気のように聞こえるが、セオ様の真意は未だに読めない。


 だけどわたし個人を嫌ってはいない、と思う。たぶん。希望的観測だけど。


「アリッサは?」


「えっ!? わた、わたし、は……その……」


「好き? それとも、愛してる?」


「え?」


 その二択しかないのだろうか。ちらりとセオ様を見やる。わたしに与えられたのはその二択しかなさそうだった。


「す、好き……です」


「うん。ありがとう」


 好意を要求したわりには、手慣れた男の曖昧な返答だなと思いながら、セオ様の腕からどうにか逃れた。危うく忘れそうになっていたことを思い出したのだ。


「あのご令嬢たちが言っていたこと、全部間違いだって思っても……いいんですよね……?」


「うん?」


 セオ様は絶対に聞こえていたはずなのに、わざとらしく小首を傾げた。


「い、い、ん、で、す、よ、ね?」


 ずいっと詰め寄ると、セオ様は一瞬困ったような顔をしたが、すぐに安心させるような微笑みを浮かべてわたしを正面から抱き込んだ。


「もちろん」


 その言葉ははっきり言って嘘くさかったが、不思議とそれ以上追求することはできなかった。


 手ひどく振られる想定をしながらも、信じたい気持ちが芽生えているからかもしれない。


 セオ様は確かに悪い男かもしれないが、きっと悪い人ではない、はず。


 今どんな顔をしているのだろうかと想像しながら、結論を先延ばしにしてその背中へと腕を回した。




兄様のファンクラブ

会員の半数は騎士団員


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ