あまえんぼうねこちゃんの番 後日談
アリッサ視点
いちゃいちゃしてるだけのふたりの日常
お茶会から数日後、久しぶりの休日にのんびりとしていたわたしは、帰宅したセオ様に手を引かれてリビングのソファに着席させられたと思ったら、背もたれに手のひらをついた彼の腕の間に囲い込まれた。
いい加減囲まれ過ぎなわたしはとうとう悟った。
今後も事あるごとに囲まれ続ける運命なのだと。
「アリッサも獣人に興味があるんだよね?」
あるかないかと問われたら……ある。同年代の子よりも羊やヤギと遊んだ記憶の方が多いのだ。動物はかわいいしおいしいし、好きだった。
そう言うとだいたい誤解されるのだが、わたしが好きなのは肉ではなくミルクで、実家の周囲を我が物顔で闊歩していた羊とヤギは食肉用ではなかった。
こちらを上から覗き込むセオ様の顔は、今日はちょっとだけ、機嫌がよさそう。
どうやら怒られるわけではなさそうなので、ほっと胸を撫で下ろした。
「実は、殿下がこれを下賜してくれたんだ」
そう言ってセオ様が取り出したのは、見覚えのある猫耳カチューシャとタヌキのしっぽだった。
「これって……」
目を瞬くわたしの腰に手を回して手早くしっぽを装着させると、セオ様は自ら猫耳をつけて、にっこりとした。
「獣人ごっこ、しようか?」
具体的になにをするのか説明がないまま、獣人ごっこに強制参加させられたわたしは、とりあえず膝の上に横向きに乗せられていた。
セオ様はというと、ガラスの器に盛りつけられた小粒のベリーを指先で摘んでは、わたしの唇に押しつけている。
「こうして番に食餌をさせるのも、求愛行動のひとつらしいよ」
なんかセオ様が獣人に詳しくなっている気がする……。
果たしてタヌキはベリーを食すのだろうか。タヌキの生態など大雑把にしか知らないわたしは、とりあえず流されるがままに、ちまちまとベリーを食べる。
「このためにベリーを摘んで来てくれたんですか?」
「…………ごめん、市場で買った」
「あっ……ご、ごめんなさい」
こうしてたまに、田舎と都会の常識の違いにぶつかり合いながらも、わたしたちはなんとか暮らしている。
しばし沈黙が降りた後、場をしらけさせた罪滅ぼしに、わたしからセオ様の口にベリーを放り込んだ。
「きゅ、求愛行動……です」
「アリッサがそうやって求愛してくれるなら、喜んで地方からベリーを摘んで来るよ」
「いえ、そこは無理せず市場で買ってください」
感謝よりも申し訳なさが勝ってしまう。
「じゃあ、庭で育てる? 猫の額くらいのスペースでも、ちょっとした家庭菜園ならできると思う」
わたしの思う猫の額と、セオ様の言う猫の額に齟齬があるが、少しずつ常識を擦り合わせて理解を深めていくのがきっと長続きの秘訣なのだろう。
わたしはわたしの思う猫の額を、猫増し増しで広くした。
「あ、それならじゃが」
「トマトとか、どう?」
「そ、そうですね……いいと、思います。初心者向けで」
じゃがいもに対する理不尽な圧。
私生活には絶対に入れないという強い意思を感じる。
「ハーブとかもいいよね。爽やかで」
「料理に使えるのでハーブはあると嬉しいです」
「じゃあ決まりね」
はい、と微笑み、そこではたと気づく。
獣人ごっこをしていたはずなのに、いつの間にか普段の会話に戻っている。
ふたりの仲が深まるようにと、せっかく企画してくれたごっこ遊び。ここはわたしが軌道修正しなくては。
少し考えて、役作りのためにひとつ提案をしてみた。
「セオ様はねこちゃんなので、語尾に、にゃー、をつけたらどうですか? かわいいと思います」
にゃ、でもいい。
みゃん、でもいい。
……すごく、かわいい。
男の人の猫語、想像すると案外破壊力がある。もちろんいい意味で。
「僕にかわいさを求められても、ね……。アリッサこそ、にゃー、をつけるべきだと思う。絶対かわいい。にゃーって言ってみて?」
期待に応えてあげたい気持ちを封じて、わたしはゆっくりと首を横に振った。
なぜならわたしは今、タヌキ獣人なのだ。
「タヌキは、わん、です」
「えっ、そうなの?」
「そうだわん」
「え、なにそれ、かわいい……。一生それで行こう?」
「一生はちょっと……」
せめて獣人ごっこの間だけにしてほしいわん……。
「セオ様も、にゃー、でお願いします」
「……僕がにゃーにゃー言ってもおもしろくないよ?」
そう言う口調は優しいけど、顔がちょっと嫌そうだった。
なのですぐに引き下がった。
「わかりました。わんとにゃーはやめましょう」
最近彼の感情の機微を、前より感じ取れるようになってきた気がする。
一緒に暮らしはじめたばかりなのですべてを察することは難しいが、もっと距離が縮まり、いつかうちの両親みたいな仲になれたら嬉しい。
また心の裡にタヌキを飼われても困るので、生身のわたしで我慢してもらわないと。そのための努力は惜しまない。
絶対ににゃーと言わせたかったわけでもないので、これ以上強要せず、諦めてベリーの食べさせ合いっこに戻った。
どことなく名残惜しそうな目をしていた彼のために、最後に一回だけ鳴いておいた。わん。
セオ様の給餌のペースは早い。ベリーが溢れそうになったところで慌ててごくんと飲み込んだとき、ふと子供の頃のことを思い出した。
「あ、そういえば……小さい頃の話ですが、大人の女性の真っ赤な口紅に憧れて、ジャムを唇に塗りたくったことがあって……」
「……はぁー……かわいいしかない。かわいいに溺れて死にそう」
セオ様が心臓を押さえた。死にかけていた彼を目にしたときのトラウマが蘇るので、そう簡単に死にそうにならないでほしい。
それに、あのときのわたしは、どうひいき目に見ても化け物だった。
鏡を覗いたわたしは、まるで生き血を啜った直後みたいな恐ろしい惨状に驚いて、腰を抜かして泣いた。
泣いているわたしの口が真っ赤になっていたせいで、血を吐いたと勘違いした両親がパニックになって、ちょっとした騒ぎになったのだ。
庭先を歩いていたヤギまでもが、両親の慌て具合に触発されて興奮状態に陥り、メーメー騒いで跳ねる中、冷静に状況を把握して適切な対応をしてくれたのは、やはり兄様だった。
「兄様にべたべたになった口を拭ってもらった後、食べ物で遊ぶな、と、わりと本気で叱られました」
「うわ、言いそう」
たぶんそれ以来、わたしは食べ物を粗末にしないようになった。
そんなこと、今の今まですっかりと忘れていたが、兄様がいなかったら、わたしはまともな人間に育たなかったかもしれないと思うと、兄様には感謝してもしきれない。
セオ様に出会えたことも含めて、兄様には感謝している。
「アリッサでも叱られるんだ」
「悪いことをしたら叱られますよ」
「……これってもしかして、食べ物で遊んでることになる?」
セオ様は摘んでいたベリーを、わたしの目の前へと持ってくる。
「……きちんと食べれば、大丈夫かと」
残したり無駄にしたりしなければいいのだ。たぶん。
目の前にあるベリーはちょっと潰れて、セオ様の指を濡らしている。深く考えることもなくそれを食べて、果汁をぺろりと舐め取った。
「……っ!?」
セオ様のひどく驚いた顔を見て、わたしはやらかしてしまったことに気がついた。
「ごごごごめんなさい! なにか拭くものを……」
ハンカチを取りに行こうと浮かせた腰は、すぐに引き寄せられて逆戻りさせられた。
わたしの肩に顔を埋めて、はぁー……、と大きく息をつく彼が、ぼそりとつぶやく。
「……一瞬、理性が飛びかけた……」
「あの、指を拭かないと、汚な」
「くない」
「でも……」
気になる。洗ってほしい。
わたしがごねると、セオ様は根負けしたのか、わかったと言って折衷案を提示した。
「僕もアリッサの指を舐めるから、それでおあいこでいい?」
よくはないかと。
そのとんでも理論に反論する前に手首をやわく掴まれると、彼の口元まで持ち上げられる。間近で見つめた瞳は、愉しげな色で煌めいていた。
そして彼は目線を外さないまま、わたしの手のひらを、ぺろりと舐めた。
「ひぁっ!?」
舐められたのは手のひらなのに、背筋がぞわぞわとする。
「うん、あまい」
「あ、あまくないですよ!?」
「番の体液はあまいものだって決まっているらしいよ」
なんか、ものすごく獣人に詳しくなっている。
今度はくんくんと匂いを嗅いで来たので、さすがにちょっとだけ身を引いた。
「……汗を流して来てもいいですか?」
「だめ」
却下されてうなだれていると、今度はうなじををちろりと舐められた。驚き過ぎてセオ様の膝からソファの座面へとお尻が滑り落ちた。
その流れで華麗に逃走を図ろうと試みたが、しっぽを掴まれて敢えなく御用となった。
「便利だよね、しっぽ」
片手でタヌキのしっぽをぐにぐにとしながらも、片腕は逃げないようしっかりとわたしのお腹に回している。
「本物の獣人さんだったら怒られていますよ……」
「さすがに本物のしっぽを掴むようなマナー違反はしないよ」
「獣人の耳やしっぽは性感帯って設定が多いので、マナー違反どころか、痴漢です」
「そうなんだ? ふぅん……残念だな」
なにがかと振り返って首を傾げると、セオ様はこれ見よがしにしっぽに唇を落とし、ちょっと意地悪な光を宿した上目遣いでわたしを見ながら言った。
「僕の手で気持ちよくなっちゃうアリッサが見れたのに、と思って」
「な、な……にを」
「想像した?」
膝の上に逆戻りして背中から覆いかぶさるように抱き込まれて、逃げ場を失ったわたしの耳に、息を吹きかけるように彼が囁く。
「……寝室、行く?」
全身が一気に沸騰して、両手で顔を覆い悶絶した。
一緒に暮らしはじめてからというもの、こういう親密な関係にしか許さないやり取りが増えたが、一向に慣れない。
知識だけが豊富にあっても、実践で活かせなければ無駄だということを身をもって知った。
こうして誘いはするものの、セオ様は強引にことを進めることはせずに、わたしのペースに合わせてくれている。
彼の理性と自制心は、鋼の強度だと思っている。
「真っ赤なアリッサ、かわいい」
うぅ……獣人ごっこ、危険過ぎる。
振り向いて猫耳を取り上げようともふっとした三角耳を摘んだが、その精度の高さにちょっと慄き、二、三度無心で揉み揉みとした。
「これって、本物ですよね……?」
「え、怖っ……」
わたしの言葉が足らなかったせいで、セオ様がびっくりしてしっぽを手放した。
「あ、そうじゃなくて。本物の毛皮で作ってありますよね、ということで」
「ああ、そういう……。じゃあ、これは猫の毛皮? 猫って、毛皮取れたっけ? さすがにかわいそうじゃない?」
「触り心地的に、猫の毛皮ではないと思いますよ。これは……野うさぎかな?」
「ああ、狩りの」
「セオ様も狩りを?」
「ううん、僕はしない。弓はそんなに得意じゃないから」
自己評価の低い彼の言う、得意じゃない、が、どの程度のものなのかは想像するしかないが、きっと普通以上にはできるはず。
彼の自己基準に六割くらい足して考えると、ちょうどいい塩梅の適正評価になると思う。
「しっぽもうさぎ?」
「タヌキのしっぽの方は……タヌキの毛皮っぽい気もしますが、タヌキは捌いたことがないので……どうだろう?」
そう独り言をつぶやき、なにげなく見たセオ様が沈痛な面持ちになってることに気づいて戸惑った。
「あの、なにか……?」
「……ううん。タヌキを捌くっていうパワーワードに動揺しただけ」
厨房にいるとそのあたりの感覚が鈍るせいで、うっかりセオ様を引かせてしまった。
しかも獣人ごっこ中だったのに、失言過ぎた。
なぜわたしはタヌキを捌くなんて恐ろしいことを口にしてしまったのか。せめて皮を剥ぐと言っておけばよかった。
「え、ぇと…………」
困り果てたわたしは、ソファに仰向けにぱたりと倒れた。
「えっ、アリッサ?」
「タヌキは死んだふりをするので…………死んだふりです」
本当は大きな音にびっくりして擬死状態になるのだが、これ以外ごまかす方法が見つからなかった。苦肉の策だ。
ソファにひっくり返るわたしをぽかんと眺めていたセオ様だったが、調子を取り戻すと、脇腹をつんつんしてきた。くすぐったくて、身じろぎする。
「ちゃんと死んだふりをしていないと」
「ちゃんと死んでます」
「しゃべったらだめだろう? 死んだふりなんだから」
「……」
「そうそう。いい子いい子」
そう言いながらわたしの体を跨ぎ、顔の横に両手をついて見下ろしてくる。ただじっと、食い入るように見つめてくる。視姦されている気分になって耐えきれずに音を上げた。
「……あの……そろそろ」
「おしゃべりなその口は」
指先で唇をなぞり、セオ様は笑んだ。
「もう塞いでしまおうか?」
言うやいなや、唇が重ねられる。反射的に動いた手は咎めるようにソファへと縫い止められ、鼓動が跳ねることすら許さないというように、固い胸板で押し潰されて身動きを完全に封じられた。
唇を割り入ってきたそれを押し返すように伸ばした先から絡め取られる。息継ぎの合間に漏れた喘ぎすらも飲み込まれてしまう。口の中を余すところなく暴かれた頃にはもう抗う気力も失せていて、それどころか、目尻ににじんだ涙を払うようにきつく目を閉じながらも、わたしはすべてを受け入れ彼にも喜んでほしい一心で自ら応じるまでになっていた。
ひとつひとつの反応をつぶさに観察する彼に、なにをどうすればいいのか、丁寧に教え込まされていく。まるで彼のためのわたしへと、少しずつ作り替えられていくみたいに、思考までもが塗り替えられていく。
息も絶え絶えになった頃、ようやく解放されると、くたりと全身が弛緩した。
淫靡な雰囲気を纏ったまま、唇を舐めてから離れるセオ様の顔は艶々としているのに、わたしの頭はくらくらとしている。
死んだふりをしたせいで死んでしまうかと思った。
そのまま余韻に浸ってぼんやりしながらゆっくりと目を開けると、彼が思いがけずに近い距離でわたしを見つめていたことにびっくりした。
なぜだろう、その目が獲物を見つけた猫のように爛々としている気が……。
本能的に目を逸らさないまま、肘を立てるとそっとセオ様の下から這い出て、タヌキらしく四つ足で遁走しようとしたが、襟首を噛みつかれて阻止された。人のことは言えないけど、制止のさせ方が動物っぽい。
獣人ごっこはもはや、獣ごっこになりつつあった。
というかこの体勢はちょっと……。
背中から覆いかぶさっているセオ様は襟首から口を離すと、今度はうなじにごく軽く歯を立ててきた。あま噛みよりももっとささやかな刺激なのに、びくんと体が激しく跳ねる。
「ひぅっ」
「抵抗しないと、仕留められるよ?」
がっちりお腹に片腕が回っているので逃げようもなければ、四つん這いなので手で押し返すこともできない。
「嫌がらないと、アリッサの好きな本のヒロインたちみたいに、好き勝手いたずらされるよ?」
それはそれでご褒美では……?
抵抗しつつもおいしく食べられてしまうのが様式美だ。
全然嫌だともやめてとも思っていないけど、形式に則ってがんばろうと思ったとき、セオ様は言った。
「ほら、もう一回、死んだふりをして難を逃れないと」
「……え?」
「死んだふり」
「し、死んだふり……?」
彼の求める抵抗の仕方が予想外過ぎて、ついぽかんとしてしまった。
まさかの死んだふりのおかわり要求。
よくよく考えたら、嫌とかやめてとか拒絶の言葉を言ってしまったら、真に受けて本当にやめてしまう人だった。優しさと自己評価の低さのせいで、言ったが最後、二度と手を出してくれなくなるだろうことは想像に易い。
参考書を参考にして、危うく関係を破綻させるところだった。
やはり参考書は参考にはならない。特にセオ様相手にはまったく通用しないのだ。
わたしは意を決して、ぱたんと今度は横向きに倒れた。
お腹を支えていた腕はすでにそこにはなく、倒れたわたしを囲い込むようにソファの座面についている。
セオ様は横たわるわたしを散々視線だけで撫で回した。しつこく熱心に丹念に全身をくまなく眺め、そして満足したのか上から一旦退くと、なぜかわたしを獲物のごとく抱き上げた。
「あの……?」
「しゃべったらだめだろう? まだ死んだふりをしていないと。いたずらされるよ?」
どっちに転がってもいたずらの流れな気がするのは、わたしだけだろうか。
「どうしても声を出したいのなら、わん、なら鳴いてもいいよ」
にゃーでもいいけど、と楽しげに言うセオ様に、死んだふりを継続させられ中のわたしは無抵抗のまま寝室へと連れ込まれた。
彼の気が済むまでわんわん鳴かされ続けた翌日、朝の光を感じて目を覚ますと、いつになくご機嫌なセオ様が、わたしの髪をいじりながら満ち足りた笑みを浮かべていた。
「またしよっか、獣人ごっこ」
「……もう、勘弁してくださいわん……」
危険物指定した猫耳とタヌキのしっぽを、クローゼットの奥深くに封印したのは言うまでもない。
アリッサとセオルドのお話はここで終わりになります
最後までお付き合いくださりありがとうございました!
ここのあとがきに載せる予定だったレオと王太子の会話が予定よりちょっと長くなったので、一時間後に予約投稿してあります
そちらで完結となります
よろしければそちらもどうぞ