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参考書の真実 1

アリッサ視点




「アリッサ、これ、この間言ってた本?」


 セオ様にそれを尋ねられたのは、寮の部屋の片づけをしているときだった。


 早く一緒に暮らしたいというおねだりを結局断り切れず、将来的に結婚するなら今同棲しても大丈夫かなと安直な考えで寮の退去をあっさりと決めたわたしは、新居に荷物を運び入れるため、休みの日を利用して少ない私物をまとめているところだった。


 ひとりでも十分手は足りていたが、手伝いと称して遊びに来たセオ様を追い返すわけにもいかず、はじめて部屋の中へと招き入れた。


 部屋の中をぐるりと一度見て回ったセオ様の視線が最終的に止まった先にあったのは、積み上げられた参考書の山だった。ちらりと空っぽの本棚も見ていたので、収納していないことが気になったのかもしれない。


 すぐに、そういう人もいるのかとひとり納得した後、おもむろに一番上にあった一冊を手に取った。


 そして先の質問に繋がる。


 この間の本と言うと、わたしが影響されてしまった今流行りの婚約破棄を題材とした本のことだろう。


「いえ、それはまた別のお話です」


 若き王弟とメイドの身分差を題材とした、あまく切ない恋物語だ。


「アリッサって、本好きだったの?」


 見たことのない装丁だったのか、物珍しげに箔押しされた表紙のタイトルをなぞってから、パラパラとページをめくりはじめた。


 それを横目に、あの参考書の山もさすがに引っ越しの前にはすべて返しておかなければと、やることリストの一番上に本の返却をつけ加えておいた。


 結構冊数があるから、一括で返すよりも少しずつ返した方がいいかなと考えながら衣装ケースを開けて、少ない服をまとめていると、うん? というセオ様の怪訝そうな声が聞こえてきたので一度手を止めそちらへと視線をやった。彼はなぜか、本を開いた状態で固まっている。


 その見事な固まりっぷりをしばらく感心して眺めていると、はっと我に返ったセオ様が慌てた様子で他の本もパラパラと確認しはじめた。山の三分の一ほどざっと流し読みをした後、頭が痛いとばかりに目頭を揉みながら、心を落ち着かせるように、フーッと深く息を吐き出してから、こちらを向いた。


 いつものような優しい微笑みなのだが、どことなく、その目からいつにない剣呑さを敏感に感じ取ったわたしは、反射的に後ずさった。


 わたし、なにか気に障ることをした……!?


 特になにも思い当たる節がない。本を積みっぱなしにしていたのがいけなかったのだろうか。それとも、借りっぱなしがだめだったのか。ずぼら過ぎて呆れてしまったのだろうか。


 突然の魔王降臨に怯えて数歩下がったところで、ベッドの木枠にぶつかり、そのまま後ろ手を突いた状態で座り込んでしまった。追いかけるようにベッドに片膝を乗り上げてきたセオ様の顔がやけに近い。

 

「セ、セオ様? わたし、なにか粗相を……?」


「ううん。ただ、アリッサの望みを叶えようかなと思って」


 とん、と肩を押されると、簡単に後方へと転がった。ベッドに仰向けとなったわたしの顔の横に、セオ様の両手が突かれると、もう逃げ道がない。


 この後になにが起きるのかわからないほど初心じゃない。それどころか参考書のおかげで知識だけは豊富にあった。伊達に参考書を読み込んでいない。


「ごめんね、アリッサの気持ちに気づいてあげられなくて」


「あの、なにか誤解が」


「うん? なあに?」


 セオ様が器用に自分のシャツのボタンをいくつか外す。はだけたシャツの隙間からちらりと覗くしっかりと鍛えられた胸筋から、慌てて目を引き剥がした。色気がだだ漏れであてられてしまう。


 かっと頬が熱くなるのを止められない。心臓の鼓動もうるさくて、それなのにすぐそばでする衣擦れの音はやけに大きく耳に残った。


 こういうとき、参考書のヒロインたちはどう対処していただろうかと頭を巡らせるが、みんなイヤイヤしながらおいしくいただかれてしまっていたのでなにも参考にならなかった。予習だけ完璧で実践経験ゼロのわたしにはまったく打つ手なしだった。


 わたしのブラウスに手がかり、ボタンを外そうとしたその手を掴むことで、どうにか意思を伝える。


「こ、こういうことは、もう少し……準備期間がほしい、です」


 結婚するまで待てとは言わないが、せめて婚約するまで、もしくは心の準備が整うまでは清い交際を続けたい。


「僕もさっきまではそう思っていたけど……アリッサ、欲求不満なんでしょう? こんな官能小説読んでいるくらいには」


「…………え?」


 官能小説?


 それがいわゆる大人向けの本ということは知っている。大人の紳士淑女が嗜む文学的な小説だ。だが、参考書は違う。参考書は参考書だ。ロマンス小説と言う名の、恋愛初心者のための参考書。


 先駆者であるラヴィ・アン・ローズ先生の作品は文章が堅苦しくなくキャラクターも個性的でとても読みやすい、若者向けの本だ。


「それは参考書で、官能小説ではないですよ?」


「うん?」


「え?」


 お互いに顔を見合わせて、ちょっと傾げ合う。


「参考書?」


「参考書です」


「……え。待って、なんの?」


「なんのって……恋愛の。そこにある本は全部借り物で、恋愛について尋ねたときに、これを参考にするといいよと同僚たちが快く貸してくれたものです。今庶民の間ですごく流行っているみたいで、色んな恋愛の形があっておもしろかったですよ」


「…………え?」


 え? と言われても、セオ様の反応がよくわからない。混乱しているのか、額を押さえながら一旦わたしの上から退いた。そしてなんとなく、小さなベッドにお互い向き合って座る。


「待って、え? 本気で言ってる?」


「本気って、なにがですか? 参考書は参考書で、セオ様が考えているものとは全然違うものです」


 わたしの答えにとうとうセオ様が頭を抱えてしまった。


「うわぁ……本気で言ってる。誰だよ、僕の純粋なアリッサを毒したのは……」


 僕が一から仕込むつもりだったのに、と。セオ様は心底悔しげに参考書の山をにらみつけた。


「ねぇ、アリッサ。あれは、女性向けのその手の本だよ」


 セオ様は憎き敵を指すが如く、びしりと参考書の山に人差し指を突きつける。


「その手の本、とは?」


「つまり、ほら、そういう描写のある本」


 セオ様は言葉を濁す。口に出しにくいということは、閨関係の描写のことだろうかとあたりをつけた。


 というか。


「ない恋愛小説もあるんですね。……あ、子供向けとか?」


 アリッサ……、とセオ様が大袈裟に嘆いてから、背筋を正してわたしの両肩に手を置くと、真剣な面持ちで厳かに告げた。


「健全な恋愛小説は、終盤に男女が夜にいい雰囲気になった後、突然小鳥が鳴いて朝になる場面に飛ぶことが多い」


「……? ふたりとも寝落ちした、とか?」


「……。全カットってこと」


「えっ!? そ、そんな……」


 初心者向けでも、ふたりが愛し合って終わるのがお約束の展開なのに。ふたりの愛が最高潮に盛り上がる場面が全カットなんて、あんまりだ。


「それが書店の平台に置かれている大衆的な恋愛小説。さっき庶民の間で流行ってるって言ったけど、これ、国から年齢指定受けてる規制のかかった禁制品だと思う。……アリッサ、騙されてない?」


「えぇ!?」


「それか、同僚たちの趣味に巻き込まれたか」


「えっ、えっ?」


 ちょっと待って。頭が追いつかない。


 思い返せばあのとき、みんなの雰囲気はいつもと違って、目が爛々としてやたら口数が多くなかっただろうか。そして読み終わったと言えば感想を聞きたがり、そしてまた次の本を我先にと貸してくれた。それはわたしの相談に親身になってくれていたのではなく、ただの布教活動だったということなのか。


 彼女たちの思惑に完全にはめられた。わたしは知らない間に、沼にはめられていたのだ。


 なんてことだ、まんまと騙された。わたしを騙していたのはセオ様ではなく、まさかの同僚たちだった。


「ということは……わたし、捕まりますか……?」


「未成年に売ったり読ませたりしたらたぶん捕まるけど、アリッサが買ったり読んだりする分にはいいんじゃない?」


 ほっと胸を撫で下ろす。未成年の知り合いがいなくてよかった。成人していて助かった。


「百歩譲って好きならこういうのを読んでもいいよ? でも、この手の話は完全な創作で、ヒーロー像だってリアルよりも理想を追求しているものだよ。たとえばこれ。こんな顔よし頭よし家柄よしの一途で気さくで心根の優しい貴族の好青年なんて、現実にいない」


 わたしは無言でじっとセオ様を見つめたが、彼はその視線の意味に気づくことなく、ページをめくりながら話を続ける。


「その好青年が恋人にだけ見せる異常な執着と病みっぷりがいいんだろうけど……現実的ではないよね」


 ヒーローの魅力を倍増させるギャップという効果が、無残にも一刀両断された。


「逃げ出そうとしたヒロインの足の腱を切ろうとするとか、正気の沙汰じゃない」


「で、でも……ハッピーエンドで」


「ハッピーエンドって……。アリッサ、よく考えて? どれだけ体力があっても毎日朝まで女を抱いてたら普通に死ぬし、たとえ妻でも監禁して鎖で繋ぐのは犯罪だし、お仕置きと称した加虐行為はただの拷問だよ。これが現実の話なら、ちょっとした事件だよね」


 反論は完膚なきまでに叩き潰された。


 セオ様に真面目に説かれるとその通りな気もしてくる。


「……つまり?」


 もうすでにわたしはその事実に気づきはじめてはいたが、そう訊かずにはいられなかった。


 わたしの覚悟を知ってか知らずか、セオ様はパタンと本を閉じると、ごくあっさりと告げた。


「現実にはまったく参考にならないってこと」


 ショックでベッドに沈んだ。もう立ち直れる気がしない。


 参考書がまさかの、参考書ではなかった真実が明らかとなった瞬間だった。





アリッサを騙していたのは実は同僚たちだったというオチ

成人が16歳の設定なので、アリッサは年齢制限的に問題はなし

ちなみにレオとセオがモデルになった上級者向け参考書が今一番の人気作

知らぬは本人たちのみ

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― 新着の感想 ―
[一言] ラ・ヴィアン・ローズ先生の新作を期待しております! それとは別に、毎回笑わせていただいてます。 ありがとうございます
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