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セオルド・マクニールは、容姿端麗で家柄も申し分なく、社交的で、剣技に秀でており、王族からの覚えもめでたく……と、挙げればきりがないほど完全無欠の青年でありながら、騎士団内では二番手の男と称されていた。
優秀なのだが、抜きん出た才能を有した同期のレオナルド・カレンがいるせいで、座学でも実技でも剣技の大会でも常に二位。いずれは王太子の近衛にと期待されていたがそれも奪われ、どれだけ実力があってもその上を行く兄様の評価に埋もれてしまい、いつも辛酸を舐めさせられていると聞いていた。
そんな人が凡庸なわたしを半ば脅しのように口説く理由なんて、ひとつしかない。
これは、あれだ。
兄様への恨みをわたしで晴らそうというやつだ。
きっとあの手この手でわたしを貶めるつもりなのだ。
たとえば……つき合っていることを秘密にしておき、最初こそあまい顔をして優しくしておき、しばらくして一転、冷たく突き放すのだ。追い縋るわたしに、おまえなんて知らない、これ以上つきまとうならば捕縛するぞと冷たい目で言い捨て剣を喉元に――。
「アリッサ!」
幼い王女殿下の近衛をしているはずのセオ様が、休憩時間なのか、じゃがいもの籠を抱えるわたしを目にするとなぜか血相を変えて一目散に駆け寄ってきた。
「貸して。どこまで運ぶの?」
そう言ってさっと籠を取り上げられてしまい、おろおろとしている間に、セオ様は同僚らしい人たちに先に戻るよう手で合図する。
彼らはわたしを見て、セオ様を見て、なにか察したように帰っていくが、あれが新しい彼女か、などとひそひそ囁くのが聞こえてきた。なんか地味、って余計なお世話だ。
「セオ様! わたしは大丈夫ですから! それくらい、全然持てます!」
「だめ。彼女の荷物を持つのは恋人の特権だから。ね?」
こい、びと……!
言葉の破壊力がすごい。
持っているのが土のついたじゃがいもの山でも、セオ様の輝きはまったく損なわれないのも末恐ろしくもある。
すれ違う人たちの怪訝そうな目に晒されながら、一向に籠を返してくれないセオ様を追いかける。
「あの、いいんですか?」
「もう休憩に入ってるから、大丈夫だよ」
「いえ、そうじゃなくて……」
こんなに人目のあるところで、いかにもわたしを大切にしてます、という行動を取っていたら、つき合っていることをおおっぴらに宣伝して回っているようなものだ。
てっきり周囲には関係を秘密にすると思っていたし、最初はあまい顔をするにしても、ふたりきりのとき限定だと思っていた。
これではわたしをストーカー扱いできず、簡単に捨てにくくなるのではないだろうか。
……いや、わたしがわたしを捨てるセオ様の心配するのはおかしいけども……。
「それにしても、アリッサ。いつもこんなに重いものを持たされてるの? 僕が言って、配置換えしてもらおうか?」
籠を厨房へと運んでくれたセオ様が、不満げに言うのを聞いて慌てて首を振った。
「いえっ、じゃがいも、大好きですのでっ!」
冬場はつらいが、いも類は好物だ。自分の下拵えしたじゃがいもを王族の方々が口に入れていると思うと、こんな仕事にでも誇りや矜持が芽生える。
それにそこまでされると、わたしの立場がつらくなる。虎の威を借る女狐だと、逆にいじめられそうだ。
じゃがいも大好き発言がツボに入ったのか、セオ様は噴き出した。くすくす笑って、わたしの頭をよしよしと撫で回す。
「そっか。……アリッサはそういう子だったよね」
いもっぽいということだろうか。素直に喜べずにいると、彼はにっこりして言った。
「じゃあ今度は、じゃがいも料理のおいしい店に行こうか?」
「ええ!」
「追って連絡するね」
「はい!」
セオ様を見送り、ほっと一息ついてから、しまったと額を押さえた。次のデートの約束に食い気味に賛成してしまったことに気づいたのだが、後の祭りだった。
顔を合わせると恋人らしく接してくるセオ様のせいで、つき合っていることが着実に周囲に広まりつつある。
てっきり、あんな女が? と嫌がらせをされると思いきや、わたしの背後に兄様の影でもちらついているのか、多少陰口を言われる程度で表立っていじめられることはなかった。……今のところは。
疑心暗鬼のわたしに、セオ様は変わらず優しく紳士的で、はじまりこそあれだったが、未だに手を繋ぐ程度の清い関係を継続している。
貴族の令嬢たちは貞淑であれと育てられるが、子息たちは結婚前の色恋を自由に楽しむ傾向にある。
なのでてっきりすぐに求められると思ったのだが、どうやら体目当てでもないらしい。
豊満な女性たちが入れ食い状態でもおかしくないセオ様は、わたしの体に魅力など感じないのか。そこまで貧相な体つきじゃないのに……。
傷物にされたいわけではないものの、乙女心は複雑で難しいのだ。
この残念な思考回路では、セオ様がどうやってわたしを、ひいては兄様を傷つけるつもりなのか、見当もつかない。
というわけで、今後の参考にと、同僚たちにいろんな恋愛に関する本を借りて来た。
恋愛について書かれている本はないかと尋ねたら、このラヴィ・アン・ローズ先生のロマンス小説? という参考書が庶民の間で流行っているのだと、みんなそれぞれお薦めのものを気前よく貸してくれた。
参考書によると、どうやら、ヒロインを傷物にするパターンではなく、雇った破落戸によって傷物にしたヒロインを穢らわしいと冷たく捨てるというパターンがあるらしいと知った。
先を読み進めながらも、布団をかぶって恐怖にぶるぶると震える。
え、わたし……悪漢たちに処女を散らされる感じなの……?
そんなの、絶対に嫌だ。
これは公爵家を敵に回してでも、別れさせてもらわなければ。
なんなら公爵家もわたしの決断に諸手を挙げて賛成するはず。貧乏男爵令嬢が、三男とはいえ公爵家のご子息と釣り合うはずないのだから。
お互い休みをなかなか摺り合わすことができず、ようやくデートの約束を果たせたのは、半月後のことだった。
じゃがいもには申し訳ないが、きみたちを味わってあげられる心の余裕は少しもない。
決意虚しくなにも行動できなかったわたしとは違い、その間もセオ様はまめに会いにきては、お花やお菓子といった小さな贈り物をしては名残り惜しげに帰って行くというのを繰り返していた。
この頃は彼と一緒にいることに、すっかりと慣れてしまっている。
好きになりそうで怖い。
いや、もうほとんど好きかもしれない。
魂胆がわかっていても、素敵な男性に絶えず優しくされて、好きになるなという方が難しい。
このままだとわたしは捨てられたとき、傷心で実家で泣き暮らす未来しか見えない。
今日こそは……!
なんとしてでも別れを告げなくては。
ずきりと痛む胸を押さえて街のシンボルである噴水前で少し遅れている彼を待っていると、なぜか見るからにがらの悪い連中に絡まれてしまった。
「よぅ、姉ちゃん。俺たちと一緒に来てくれないか?」
逃げる間もなく、三方から囲まれて退路を断たれる。
もう遅かった!?
すでに物語は、わたしにとって最悪結末へと向かって着実に動き出していたのだ。
「あの、わたし……ですか……?」
「おまえ以外、ほかに誰がいるんだよ」
人違いではないかという儚い希望はあっけなく散った。
助けを求めるように辺りを見渡すが、誰もかれも自分が巻き込まれないようにそそくさと逃げていく。
「あの、待ち合わせが……」
「あぁん? ごちゃごちゃ言ってねぇで、いいから来い!」
「やめてっ、離して!」
腕を掴まれ、抵抗むなしく薄暗い裏路地へと引きずり込まれる。
わたしはもがきながら口をふさぐ男の手を野犬さながらの容赦なさでがぶりと噛みつき、必死に叫んだ。
「兄様っ! 助けてっ、兄様ーー!!」
「うるさい! 黙れ!!」
頰を張られそうになり、ぎゅっと目をつぶったとき、ひゅっと、なにかが空を切る音がした直後、男たちのぎゃっという悲鳴が相次いだ。
腕を解放されて、きゅっと瞑っていた目を開けたわたしが見たのは、顔や肩を痛そうに押さえる男たちの姿。そしてそばには、拳大の石が散らばっていた。
ひゅっ、とまた石が、男の顔ぎりぎりをすり抜けて壁にぶち当たる。
石の飛んできた方向へ助けを求めるように見上げ――見なければよかったと後悔した。
控えめに言っても魔王のような禍々しいオーラを携えたセオ様が、石を弄びながら、にっこりと天使さながらに美しく微笑んで佇んでいた。表情と纏う空気の落差が激し過ぎて冷や汗が止まらない。
「待ち合わせ場所にいないと思ったら……。だめじゃないか、僕以外の男について行ったら」
わたしが怒られるところなの……!?
まさかの、わたしに向けられた怒りだった。
愕然としながら震えていると、セオ様がゆっくりと近づいてくる。暴漢たちは意外と察しよく、戦うことなく尻尾を巻いて逃げて行った。
わたしもそんな気分だけど!
セオ様は腰が抜けて立てないわたしの前に膝をつく。そしてわたしの背中と膝裏に手を入れると、軽々と横抱きにした。
「それと、なんで僕の名前を呼ばなかったの?」
なにを言われているのかわからなかったが、兄様に助けを求める叫びのことのようだと気づくと、額に額でこつんとぶつけられた。
顔が近い。さっきまでの恐怖が違うどきどきに取って代わる。我ながら現金な乙女心。
「そういうときは、僕の名前を呼ぶこと」
「は、はい……」
「きみの恋人は? 誰?」
「セ、セオ様……です」
「よろしい」
理不尽だ。だけどセオ様の腕に抱かれているとこわばった体がほっとして緩み、ちょっと涙が出てきた。顔を隠すように、ぎゅっとしがみつく。
「……怖かったね。ごめんね、ちょっと意地悪し過ぎたかな?」
「……ありがとうございます」
意地悪は意地悪だけど、見捨てないでいてくれた。最終的にわたしを捨てるにしても。
よく考えたら、セオ様は破落戸を雇ってわたしを襲わせるなんて、卑怯なことをする人ではない。たぶん。
そこに気づくと最後まで張り詰めていた神経が一気にほどけたのか、不覚にも、彼の腕の中で眠ってしまっていた。
目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。
そんな参考書のお約束展開に驚いて文字通り飛び起きたわたしは、隣を見下ろしてまた驚愕する。
同じ布団を共有して、セオ様が眠っていた。……上半身裸で。
均整のとれた彫刻のような肉体美に一瞬と言わずしばらく見入ってしまったが、すぐに自分の衣類を慌てて確かめた。多少くしゃくしゃになっているしちょっと汚れてはいるが、乱れはない。
間違いは起きなかったようだ。
深く安堵して、辺りを興味深く見渡す。
ここは……セオ様の部屋なのだろうか。
確か騎士団内には単身者向けの寮がいくつかあり、兄様もそこで暮らしている。
だが寮は基本的に女人禁制じゃないだろうか。
ちなみにわたしの暮らす寮では、敷地内に男性が侵入することすら禁止である。
だからわたしを部屋まで運べず、ひとまずここに連れてきたのだろうか。
なぜわたしは男性の腕で安心して寝てしまったのか。
自分の豪胆さに呆れ果てる。
「ん……?」
セオ様が身じろぎしたので、なんとなく寝たふりをした。
「アリッサ……?」
起きてしまった、というか、起こしてしまったセオ様が、狸寝入りするわたしをのぞき込んだ気配がした。
それでも頑なに寝たふりを続けていると、セオ様はわたしのこめかみへと、ちゅっと音を立てて口づけた。
「ひゃっ!」
「おはよう、嘘寝がへたな僕のかわいい彼女さん」
バレてた。
兄様の陰に隠れてしまっているとはいえ、セオ様も十二分に優秀な騎士様だ。素人の演技くらい簡単に見抜く目を持っている。悔しいが、わたしの寝たふりなんて子供の嘘くらい簡単に見破れるものなのだろう。
「それとも、キスで起こしてほしいっていうアピールだった?」
「滅相もない!」
「そう?」
「あの、できれば肩なんかを優しく揺すっていただければ……と」
きちんと要望を伝えておかないと、方向性を変えて耳元でお鍋をおたまでガンガン叩かれても怖い。
そう思っておずおず顔を上げると、セオ様は一瞬きょとんとしてから、その顔になぜだかとろりとあまやかな笑みを乗せた。寝起きでも損なわれないかっこよさに恋愛初心者のわたしが太刀打ちできるはずもなく顔が赤らむ。
「うん、わかった。今度からはそうしようね」
「ありがとうございます……、あ」
お礼を言ってから、はたと気づいた。
この言い方では、今後も一緒に寝起きすることがあるみたいじゃないだろうか。
「初夜の次の日の朝は、うんと優しく揺すって起こすからね?」
どうやらわたしの貞操はちゃんといただかれる予定らしい。
破落戸たちじゃなくてよかったが。
身も心も捧げて捨てられたら、目も当てられない。
近い未来から目を逸らすように、わたしは話を変えた。
「ところで、ここは……?」
「寮ではないよ。ここは僕が借りてる部屋」
それって、いわゆる……?
「女を連れ込む部屋じゃないから」
食い気味に訂正が入った。
確かに内装がシンプル過ぎて、女性を喜ばせる感じの部屋ではないかもしれない。
「疲れたときとかにね、ここで日がな一日、なにもせずに過ごすんだ。余裕があれば本を読んだり、近くの屋台で買ったご飯をマナー気にせずのんびり食べたり、一日中眠ったりもするけどね。誰かに煩わされず、ひとりになりたいときとか、あるでしょう?」
あるにはあるが、それ用にわざわざ部屋を借りたりはしない。普通はできない。完全プライベートスペースを確保する資金はわたしにはない。
金銭感覚の違いに慄いていると、掬い上げるように取られた手のひらに、ぽとりと鍵を載せられた。
「はい、合鍵。あげる」
「え……?」
「アリッサも自由に使っていいよ」
「え、いや、でも。セオ様のくつろぎのひとときを邪魔することになるんじゃ……」
「邪魔に思ってたら合鍵なんて渡さないし、まずここに連れてきてもない」
なんかものすごく……恋人同士っぽいことをしている気がする。
ふわふわするような、かと思えば胸が締めつけられてあま苦しいような、不思議な心地でセオ様を見つめる。
「アリッサとならくつろげる」
そう言って、猫が擦り寄るようにわたしの肩に頭を乗せてきた。
さらりとした髪が首筋に当たってくすぐったい。
それ以上に、胸の奥がくすぐったい。
こんなの、愛されていると錯覚しそうになる。
自分を律するように、その冷たい硬質な感触を確かめるように握った。
だけど……どうしよう。
これが全部嘘だったとしても、今が幸せ過ぎて怖い。
そのうち捨てられるのに、この鍵に合いそうなキーホルダーを買わないとと思ったわたしは、本当にどうしようもない世間知らずの田舎娘だ。
後日合鍵用にマスコット作製
リアルなじゃがいも型の力作